ドキドキ

「あ、あの?」


 甘い香りに鼻腔をくすぐられてその香りがする方向を横目で見ると先輩が何故か隣にいた。


「どうしたの? コーヒー、飲まないの?」

「い、いえいただきます……ええと」

「……」


 落ち着いた様子でコーヒーを口に運ぶ先輩は、しかし俺の左肩に彼女の華奢な右肩を当ててくる。


 もちろんわざとなんかじゃないんだろうけど。

 こんなに近い距離にいられると思考がまとまらなくなる。


「え、ええと……こ、こっちに座る方が落ち着くんですか?」

「うん。迷惑?」

「い、いえ……い、いいんですか?」

「何が?」

「お、俺の隣とか……あ、汗臭いかもだし、そ、その……」

「臭くないよ。それに、向かい合うと目があうから。私、目を見て話すの、苦手なの」

「あ、ああなるほど」


 なるほど、でもないけど。

 だけどたしかに隣にいると先輩と目が合うことはない。

 俺も思い切って隣を向くなんてできないし、先輩も淡々とコーヒーを飲んでいるだけ。


 目を見るのが苦手だという先輩なりの対応、というのは頷ける。

 ただ、なぜこんなに距離が近いのかはわからない。

 さっきから何度も肩が触れる。 

 その度にくすぐったくて、そして先輩の香りが色濃く届く。


 頭がクラクラしてきた。


「……か、片付け、始めましょうか」

 

 ようやく言葉を発して、思い切って立ち上がった。

 で、先輩の返事を待つことなく片付けを始める。

 これ以上こんな状態でいたら片付けをする前に倒れてしまう。


 せっせと、床に散らばっていた残りの本を積んでいき、そして部屋の端へ。


「染谷君、片付け好き?」

「ま、まあ嫌いじゃありませんよ。ほら、綺麗になるとスッキリして気持ちいいですし」

「ふうん。なら、この部屋は居心地悪い?」

「べ、別にそうじゃないですよ。でも、整頓すればもっと快適になるかなと」


 とか会話している間も、先輩は何故か片付けを手伝おうとせずに座ったまま。

 そしてゆっくりコーヒーを飲むと、ようやく立ち上がってキョロキョロとあたりを見渡す。


「……片付け、なにからしたらいいかな」


 聞こえるか聞こえないかくらいの声で先輩がそう呟いた。

 本当に片付けというものをしたことがない様子で、戸惑っている。

 うーん、ここは俺が指図した方がいいのか?


「あの、いらない本とかあれば捨てるので紐で縛っててください。あと、部屋はそれくらいでいいので玄関の靴を並べておいてもらえれば」

「うん、わかった」


 こくりと頷いて先輩はまたキョロキョロと。

 今度は何かを探している様子だ。

 紐、かな。


「あの、荷造り用の紐とかはありますか?」

「紐……あ、それなら……ないかな」

「え、ええとそれではガムテープとかでも」

「テープ……それは確か……ないかな」

「そ、そうですか」


 別になくても不思議ではないが、しかし物量が多い割にそんなものが一つもないのは少し違和感はある。


 でもまあ、そういうものを自分で用意する人なら片付けを人に頼んだりはしない、か。

 先輩がそういうところに怠惰でいてくれたからこうして朝から先輩の家に来れたわけだし。

 

 あまり深く考えるのはよそう。


「それじゃ本をまとめるのはまた今度やっておいてください」

「やってくれないの?」

「え? いや、だけど何もまとめるものがないので」

「買いに行かない? 近くにホームセンターあるよね」

「ま、まあいいですけど。でも、開くまでもう少し時間もありますよ?」

「うん。じゃあそろそろ朝ごはん作るね?」

「え、あの、片付けは」

「私のご飯、食べたくない?」

「い、いえ。それじゃあ……いただきます」


 どうも掃除をしたがらない先輩は、また呑気にキッチンへ。


 そんなマイペースな先輩は本当に不思議な人だ。

 普段から何を考えてるかわかりにくい人だなと思っていたけど、関われば関わるほどに彼女が何を考えているのかわからなくなる。


 わざわざ朝早くから迎えに来たから、早く掃除をしてほしいのかと思いきやのんびりすぎて全然片付けが進まないし。

 天然、といえばそれまでだけど。

 なんか無駄が多いなと感じるのは俺が細かいことを気にしすぎなせいなのか。


 そんなことを考えながら、キッチンでお湯を沸かす先輩の横顔をジッと眺めていた。




「……ドキドキ」


 染谷君ったら、やっぱりとっても真面目なんだ。

 私みたいな人見知りでズボラで会話もつまらない女のことを一途に好きでいてくれる彼らしいなって思うと、お顔が見れない。


 私、昔から無愛想で人と話すのが苦手だから冷たい人だって誤解ばかりされて、高校でもせっかく私のことを好きだと言ってくれる人に対しても何て返したらいいかわかんないうちに向こうが勝手に引いていっちゃってて。


 でも、そういう人たちを見ているうちに、多分私が好きなんじゃなくてとりあえず好みな女の子なら誰でもいいんだろうなって思うようになって。

 だから誰に好きと言われても何も感じなくなったんだけど。


 染谷君は毎日私に好きを届けてくれる。

 うまく喋れない私の代わりにお話してくれるし、だらしない私を見せても幻滅しないどころかお片付けを手伝ってくれる。

 元々片付け下手だけど、昨日からいつも以上に散らかしてみたのにそんなの気にしない彼は本当に私のことを好きでいてくれるんだって伝わってくる。


 もう、こんな人はいないかもしれないって思うとドキドキが止まらない。

 でも、ドキドキするほど余計にうまく喋れない。


 だから、お買い物。

 本当は、昨日の帰りにお掃除用の荷造り紐やダンボールとかも買ってきてたんだけど。


 お掃除が終わったら染谷君、昨日みたいにさっさと帰っちゃうかもだからね。

 隠しちゃった。

 押し入れ、開けちゃダメだよ。


 この後は一緒にお買い物。

 楽しみ。

 お楽しみはこれから。


「ドキドキ」


 ずっと、彼が私の方を見ている。

 可愛い。

 

 でも、せっかく好きでいてくれるんだからもっと私のダメなところ、知ってもらいたいから。


 朝ごはん。


 たんと召し上がれ。


 

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