カムバック
「はあ……」
夜になった。
先輩はあの後すぐ、「また明日よろしくね」と言って帰ってしまった。
で、俺は先輩の残り香に包まれた自室でしばらく呆けているところ。
窓の外はすっかり暗くなった。
飯を食うことも忘れていた俺は、ぐうっと腹の虫が鳴ったところでようやく部屋を出ることに。
で、一階のキッチンへ行くと食卓に並んだ冷めた夕食と、呆れ顔の母がいた。
「あんた、彼女のお見送りもしないで何してたのよ」
「か、彼女なんかじゃないって。学校の先輩だよ」
「ただの先輩がわざわざあんたの部屋に何しにくるのさ。まあ、女っけのないあんたにもちゃんとそういう興味があったんだってわかって私は嬉しいからいいけどさ。それにいい子じゃない」
「そ、そんなんじゃないからまじで……ていうか母さん、先輩と話したの?」
「まあ、帰る時に挨拶くらいだけどね。明日もよろしくお願いしますだって。ふふっ、頑張りなさいよ」
嬉しそうにしながら母さんは蛇口を止めて、そのままキッチンを出て行った。
「明日からよろしく、か」
もちろんその言葉の意味は、明日も俺と遊ぶからではなく、明日俺に掃除を頼んだからに過ぎないと知っているけど。
でも、それでも明日また先輩と堂々と会えると思うと、やっぱり胸の辺りが熱くなる。
そしてこのあと、遅めの食事を食べたわけだけどその味なんて覚えてもなく。
風呂に入って部屋に戻ると、そのままベッドにもぐりこんでいつもより早めに就寝した。
◇
「……あ」
翌朝のこと。
別に気を抜いていたわけでも、体調不良を引きずっていたわけでもないのだがすっかり忘れていた。
今日は学校が休みなのだ。
「しまったなあ……何時に家、行ったらいいんだろ」
うちは休日も両親とも朝早くから仕事に出かけて誰もいない。
だから朝早くにリビングへ降りてもシンと静まりかえっている。
そんな中、一人でお湯を沸かしていると。
『ピンポーン』
インターホンが鳴った。
「こんな朝から誰だ?」
まだ朝の6時。
学校があると勘違いして起きてしまったこんな早朝から誰が来たんだと、火を止めてだるそうに玄関先へ。
そして雑に扉を開けると。
氷女乃先輩がじっと前を見据えて立っていた。
「せ、先輩!?」
「……おはよう」
と、驚く俺に対しても平然と無表情なまま、挨拶をされた。
いつにも増して無愛想な様子だ。
機嫌が悪いのか?
「あ、あの……迎えに来てくれたんですか?」
「別に。約束したのに来ないから来ただけ」
「え……」
どうやら先輩は俺が来なかったことにご立腹のようだ。
いや、だけど……。
「あ、朝から俺を待っててくれたんですか?」
「知らない。嘘つく人は嫌い」
「う、嘘つきなんかじゃありませんよ。ええと……すみません今日休みだってことをすっかり忘れてまして」
「ねえ、言わないの?」
「は、はい?」
「告白。しないならいいけど」
そっけなくその場を去ろうとする先輩を見て、俺は慌てて引き留めるように言う。
「す、好きです! 俺、今日も楽しみにしてますから」
しかし先輩は立ち止まることなく、「うん、片付けよろしくね」とだけ。
そして今日は中に入ろうとせず玄関先を離れようとする先輩は、こっちを軽く振り向きながら「来ないの?」と。
俺は慌てて靴を履いて玄関を飛び出した。
◇
「あ、あの先輩」
「何? 迎えに来られて迷惑だった?」
「い、いえそんなことありませんけど……」
まだ日が昇りかけの薄暗い朝の道を先輩と二人で歩いているところ。
休日の朝となればほとんど人もいないけど、俺はそわそわしている。
なにせジャージ姿のままだから。
寝る時はいつも適当なジャージを着ているのだが、その格好のまま家を飛び出してきてしまったので落ち着かない。
こんな姿のまま先輩の家にお邪魔して果たしていいものなのか。
「ねえ、片付けするのやっぱり嫌?」
「そ、そんなことないですよ。ただ、ジャージで伺うのもどうなのかなって」
「片付けするんだから動きやすい格好の方がよくない?」
「それはたしかにそうですけど」
「じゃあ気にしないで」
前を向いたまま、そっけなく話す先輩はスタスタと歩いていく。
俺はそんな彼女の少し後ろをついていきながら、やがて彼女の家までやってきた。
二度目の先輩の部屋。
だからというわけではないけど、昨日ほどの緊張はない。
そして相変わらず散らかっている。
昨日は部屋の中の、目についた本なんかを整頓した程度だったが、よく見れば玄関先から既に散らかっている。
靴も何足か揃わずに散らばっていて、玄関マットもずれている。
ただ、埃っぽくはない。
むしろ爽やかで空気もいいし、先輩の甘い香りが心地よい。
不思議な空間だ。
とてもこんなに散らかった部屋の空気感ではない。
いや……
「先輩、もしかしてここ、誰か住んでます?」
男がいる、と断定するほどじゃない。
他の人が住んでいる形跡もないし、そんなに部屋も広くはない。
でも、もしここに出入りする人がいて、それが男の人だったらそれこそ、俺がこうして片付けをすることに何の意味があるんだと思ってしまう。
また、悪い癖でネガティブになりながら質問すると、先輩は不思議そうに首を傾げる。
「私が住んでるけど?」
「あ、いえそういう意味じゃなくてですね」
「一人暮らし、だよ? どうしたの?」
「い、いえ……なんでもないです」
先輩の様子を見る限り、そういう人がいるわけではなさそうだ。
少しだけホッとした。
と、同時に、やっぱり散らかしたのは先輩なんだと思うと複雑な気持ちでもあったが。
まあ、人間一つくらい欠点もないとだし、俺は別に女の人に家事スキルとか家庭的とかそういう理想を押し付けるつもりもない。
片付けが苦手なら俺がすればいい。
だから俺と付き合ってくれたら、なんて思いながら靴を脱いで部屋へあがる。
「ねえ、コーヒー飲む?」
相変わらずとっ散らかった部屋に入ってすぐ、先輩は片付けを始める前にそう聞いて来た。
「え、ええ。でもまず片付けを」
「朝ごはん食べた? 私、あんまり上手じゃないけど目玉焼きくらいなら焼くよ?」
「え、先輩が? そ、それって手料理を俺に……」
「嫌ならいいけど」
「い、嫌なわけないですよ。それじゃ、お言葉に甘えます」
「うん。とりあえずコーヒー入れてくるから待ってて」
先輩はそのまま廊下にあるキッチンに立つ。
俺は、その間に片付けをすればよかったのだろうけど、できなかった。
長い髪を後ろに括って、エプロンを着る先輩の姿に見蕩れていたからだ。
あまりに色っぽい先輩の姿に、俺はまた少し記憶を飛ばしていた。
そして次に意識が戻ったのは、先輩がコーヒーを二人分入れてくれて部屋に戻ってきた時。
なぜか、先輩は俺の向かい側ではなく。
俺の隣に腰掛けて、肩を寄せてきていた。
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