2章ー4 クラーク邸での初めての晩餐

私はリリーに連れられてベッドの奥のクローゼットに行く。

クローゼットの中には数着のワンピースが入っていた。

どれもフリルと襟のついたワンピースだ。

私は成るべく質素なワンピースを選んでもらう。

それでも襟とリボンがついていた。

色は緑色だ。

「地味な気がしますが、初日ですし、お召し物に気をとられて食事ができないようでは困りますし、少々こぼしてもこの色なら目立ちませんし、、、何よりもお花のようにお可愛らしいですからこれにしましょう」

そして、髪をといてハーフアップに編み込みをしてくれる。

リリーが私の着替えた姿を見て、ホーとため息を吐いた。

「今まで、よく誘拐されませんでしたね。これほどの逸材でしたら、どこぞの盗賊団が誘拐して売り飛ばしていてもおかしくありませんよ」

そんな物騒なことを言われた。

私は父さんと母さんに守られていた。

その自覚は元々あったが、リリーの言葉にもしかしたら家の結界だけでなく、私自身にもそして母自身にも結界を張っていたのかもしれないと思い始める。

思った以上に大切に育てられていたのかもしれない。


着替え終えて先ほどお茶を飲んだテーブルに着く。

「先ほども感じましたが、正しい姿勢が取れています。紅茶もきちんとカップを持ち上げ飲まれていました。ですので、お教えするはずだった内容の半分はクリアされています」

私は胸をなでおろす。

特に何か躾をされたわけではない。

父さんと母さんが食べていたように真似をしていただけだ。

テーブルの上に空の皿が置かれ、ナイフがお皿の右側にフォークがお皿の左側に置かれた。スプーンがいくつかあるナイフとナイフの間に準備されている。

リリーがお皿の上に白い布を置いて私をみる。

「それでは、お食事のマナーをお伝えします」

リリーはまずお皿の上に乗っている布がナプというものでこれを二つ折りまで広げて輪を手前にして膝にのせることを教えてくれる。

私は言われたようにナプを膝に置く。

その後、ザッと食べ方を教わる。

ナイフやスプーン、フォークは外にあるものから使って行くこと。

ナイフやスプーン、フォークを使って食べる時になるべく音を立てないこと。

食器を持ったまま話をしないこと。

食器を持ったままグラスを持たないこと。

一口をなるべく小さめにして口を大きく開けないこと。

量が多く感じる場合残しても良いが、必ず食べない箇所は崩さないこと。

「とにかく、何度も訓練することです。1食1食丁寧に食べて下さいませ。今日の晩餐は旦那様と一緒ですが、明日の朝食、昼食は一人での食事となります。朝食と昼食は量がそれほどございませんので、練習としては良い機会となります。私がしっかりとご注意させて頂きますので、ご安心下さいませ」

私は食事に対して大きな拘りはない。

ただ、この6年間一人で食事をする事がなかった。

明日からの食事が一人だと聞き少し寂しい気持ちになる。

テーブルマナーに関しては今日は忽ちの事をリリーが教えてくれているが、明日からはみっちりと指導が入るらしい。

私は少し肩を落とした。

リリーは肩を落とした私を見て「お辛いですか?」と尋ねてくる。

私は顎を引いて首を横に振った。

「一人の食事は初めてじゃないし、大丈夫です」

リリーが目を見開く。

その反応に違和感を覚える。

私はおかしな事を言っただろうか?

「そうですね、テーブルマナーの勉強を食事中にするという事についてはどうですか?」

そこまで言われてようやく気付いた。

リリーが尋ねていたのは食事を一人で食べる事に対してじゃなくて、テーブルマナーの勉強について辛いか聞いていたのだ。

私は恥ずかしくなる。

顔が熱くなり、俯いて赤い顔を隠した。

しばらく続いた沈黙はリリーの咳払いで破られた。

「大変、大変、可愛らしいものを見せて頂きました」

少しデレっとなりつつそんな言葉からリリーのお説教は始まった。

私がリリーの方を向くと、リリーは顔を引き締めて、怖い顔を作る。

「今はまだ可愛らしいというだけで終わりますが、貴族社会では腹の探り合いです。つまり、本心はごく一部の人にのみ見せるのです。社交の場で本心を読ませるような反応はとても危ういです。これから、少しずつで宜しいですので、本心を隠す練習もしていきましょう」

私はリリーの顔を真剣に見つめ、その言葉に頷いた。

リリーは続ける。

「そして、一番大事なことですが、、、自分が何を目的に生きていくか。何を大切にするか。明確にしておきます。自分の目的のために貴族はそれぞれ動いています。相手の望みを知ることで、その方との取引も行いやすくなります。ギプソフィラ様が一番大切なものは何ですか?」

一番大事なもの。

生きる目的。

私の望み。

そんなこと考えたこともなかった。

「ちなみに、今の私はギプソフィラ様の幸せが一番大切ですが、昨日までの私の一番大切な事は自由でした。そのためにこちらでメイドをさせて頂いていました。親の期待や貴族との腹の探り合いなどが煩わしくて、、、これは本心ですが、私は今まで親にさえその事を伝えていません。旦那様にだけは雇って頂く際にお伝えしております。ですので、私がギプソフィラ様の専属メイドに自ら望んだ事に驚いておられました」

つまりリリーは自分の自由のために貴族社会からドロップアウトしていたにも関わらず、私と関わる事で貴族社会に少なからず足を突っ込む形になるという事だろうか?

そんな、今日会ったばかりの私のために自分の信念を曲げてしまっていいのだろうか?

私の何を見てそんなに入れ込んでいるのだろうか?

私は私自身に対して何も感じないのに。

もしかしたら両親がすごい人なのかもしれないけど、リリーは知らないし私も知らない。

私は確かに前世の記憶を持ったまま生まれた人間だ。

それが特別な何かを生んでいるのだろうか?

でも、それならば私である必要なんてないようにも思う。

私だけでなく、他にも前世の記憶を持って生まれた人もいるかもしれない。

私は恐る恐るリリーに尋ねた。

「あなたは私に何を見ているのですか?」

リリーは不思議な顔をする。

「あなたが自分の自由を失くしてまで私の専属メイドになる理由が分かりません」

リリーは笑った。

「ギプソフィラ様、私は私の直感を信じます。それに、このように貴女様と接すれば接するほどに私の直感は間違っていないと確信させられます。普通の6歳児はあなたのような質問をしません」

私はハッとする。

そうか、こちらの父と母は私の事をそのまま受け入れてくれた。だから、自分が普通と違うなんて思いもしなかった。

でも、リリーの話だと私は普通と違うのだ。

「リリー、私はおかしいですか?」

「いえ、おかしくなどありません。素晴らしいです」

よく分からない返事だった。


部屋がノックされる。

私たちはドアの方を見た。

ドアは開き、外からパルマが入ってくる。

「ギプソフィラ様、もうそろそろダイニングの方にお越し下さいませ。旦那様もそろそろ席に着かれる頃です」

私はリリーを見る。

リリーは大きく頷いてくれた。

「はい。これからダイニングに移動します」

私ははっきりと大きな声でパルマに答えた。


ダイニングは1階にあった。

大きなテーブルが一つある。

私はリリーを見る。

リリーが目をやって席を示してくれる。

私はリリーが見た席に歩いて行く。

テーブルの奥には暖炉があり、きっと高価で素晴らしい調度品なのであろう品々が並んでいた。

私にはよく分からないけれど。

暖炉の上にはお城の絵が銀の額縁の中に飾られていた。

このクラーク邸も素晴らしかったけど、この絵はこの邸ではない。

この邸よりも素晴らしいお城だ。

私がその絵に見入っていると後ろからザックの声がした。

「素晴らしい城だろ?ウィルス城だ。この国の王が座すところだよ」

なるほどと思った。

「すごいお城だと思いました」

「そんなんだ」

誇らしそうに嬉しそうに笑うザックにザックの大切なものは王様なのかなと思う。

ザックは執事のオットーと同じ服に身を包んだスラリとした男性にイスを引かれて一番奥の席に座った。

ザックの横に座れる場所はなく、角を挟んで右側に席が準備されている。

私も準備されてる場所にリリーにイスを引いてもらって座る。

私が座るのを待って、ザックは話かける。

「フィラ、そのワンピース、よく似合っているよ。明日、またリリーやパルマと一緒に自分の好みの服を揃えるといい」

私はザックが話をしながらナプをとり、膝に広げるのを見て、私も同じように膝に広げる。

私がナプを手に取ったのを見て微笑みながら今日ザックと離れた後の事を尋ねてくる。

「そうそう、今日、早速テーブルマナーの勉強をしたんだろ?フィラは姿勢がいいから直ぐに上手に食べれるようになるよ。明日の朝も私と一緒に食べよう。お手本がいれば、覚えやすいだろ?」

私は思わず笑顔になる。

「一緒に食事をするの?ザックと?」

「嫌か?」

私は必死で首を横に振る。

「嬉しい。見て覚える方が早いし、楽しい」

私の言葉にザックは笑顔を作る。

そして、何度か頷いた。

その頃にはザックの前のグラスに紫の液体が入っていて、彼はそれを飲んでいた。

私はそれをじっと見る。

「フィラ、私には疑問に思った事はなんでも聞くといい。場所は選ばなければならないが、この邸の中ならいつでも大丈夫だ。何が聞きたい?」

「その飲み物は何?」

「これは果実酒だ。ウィルス王国では一般的で平民の間でも飲まれているブルベル酒だ。果実が紫色で酒にしても紫のままなんだ。品種によって甘い味からスッキリとした味まである。まだ。フィラは子供だからお酒は飲めないけど、15歳の成人になれば飲んでもいい。それまではブルベルジュースだな。今日は準備が間に合わなかったようだ。また、準備させておこう」

私は前世のワインを思い出す。

ファミレスでワイングラスを見た。

あのワイングラスよりも明らかに上等なワイングラスを手に持つザック。

最初のお皿が給士によって運ばれる。

目の前に置かれた青いガラスのお皿の上には緑や赤や黄色の葉っぱがサラダになって盛られていた。ドレッシングはかかっているようで乳白色の液体が所々にかかっていて、一部ガラスの器に落ちていた。

量は私の小さな手のひらに盛れるくらいに少ない。

私は一番外側のフォークとナイフを手に取る。

フォークで刺して多い部分はナイフで切って小さな一口にして食べる。

私はサラダを口に入れ目を見開く。

咀嚼して飲み込むと、口元が綻んだ。

「美味しい」

思わず言葉として口に出る。

乳白色のドレッシングは酸っぱさと甘さがバランスがよく、サラダになってる野菜たちも瑞々しくシャキシャキした野菜の味もバランスがいい。

少しずつしか食べれないのが残念だ。

私の背中をリリーが触る。

私はハッとした。

食べる事に一所懸命でザックから目を離してしまった。

頭を上げてザックを見る。

ザックはとても嬉しそうな顔をしていた。

「フィラの料理も美味しかったけど、うちのシェフの腕も中々だろ」

私は頷く。

「本当に美味しい。お野菜も美味しいし、見た目も綺麗だし」

私がフォークで野菜を刺して余分な部分をナイフで切っていると、ザックが野菜を折り畳む方法を教えてくれた。

野菜を折り畳む方法で食べると一つの野菜を多く口に入れる事になり、一つ一つの野菜の味を味わえる事に気づく。

どちらの方法で食べても美味しいこのサラダはすごい。

ザックのお皿には私よりも沢山のサラダがのっていたのに、私より早く食べ終わっていた。

私は残そうかとも思ったけど、今まで食べた事で最初の形状を残していないお皿を見て、美しく残すことが難しいとわかる。

残すことも諦めて後数口を急いで口に運ぶ。

私が口に入れてそれほど噛まずに飲み込んでいるのを見て、ザックは顔を顰めた。

「フィラ時間がかかるのはいいから、ゆっくり食べなさい。レディが紳士を待たせるのは問題ない。君もレディだから、堂々と私を待たせたらいい」

私はなんだか目が熱くなる。

待たせていいと言われたのは初めてだった。

ギプソフィラになって幼い私をゲオもフローラルも何も言わず待ってくれていた。

だけど、待たせて良いと思ったことはないし、待たせて良いと言われたこともない。

初めてだった。

加賀美かすみ時代は待たせると酷く怒られたものだ。

小さな頃は特に怒られていた。

体が小さいから急いでも大人に比べて遅い。

走っては転び、転んでは怒られた。

私の脳裏にあの頃の父と母の「早くしろ!」という怒鳴り声が響く。

顔を上げてザックを見る。

優しい笑顔があった。

私の目から涙が溢れる。

「フィラ、どおした?何が悲しい?」

私は泣きたいわけじゃない。

昔の両親と比べて今の保護者の優しさに胸が熱くなっただけ だ。

「ザックは優しいなと思っただけ」

「君の父君母君の方が優しかっただろう」

ザックがゲオとフローラルのことをまた思い出させる。

私の中でこちらの両親が本当の両親だ。

その二人はもういない。

フローラルの笑顔を思い出す。

最後のゲオの笑顔も思い出す。

ゲオの魔石を取り出したこと。

私の涙はもう止まらない。

ザックはしまったという顔をした。

私は食事をとることは出来ない。

「すまない。無神経だった」

私は必死で首を横に振る。

ザックのせいではない。

私は父と母の死を克服しなければならない。

自分が死ぬことは特に気にもならなかった。

でも、残されたものにとってはどんな死であっても胸に突き刺さるものだった。

両親は私のために必死で私が来るのを待ってくれていた。

ちゃんと最後の言葉も聞けた。

形見に魔石も持っている。

私は胸の皮袋に入った魔石を服の上から握り込む。

ザックは手を一度叩いた。

パンと乾いた音が響く。

「フィラ、今日はテーブルマナーは忘れなさい。そして、あのフィラ達の家でスープやサガリのお肉を食べたように気兼ねなく食べよう」

そう言って給士にテーブルの上に料理を並べさせる。

そして、リリーだけを残して他のメイドや執事、給士も退室させた。

私が落ち着いた頃にはあたりにはザックとリリーしかいなかった。

「落ち着いたかい?」

私はゆっくりと頷く。

「ザック、ごめんなさい。取り乱してしまって」

私が謝るとザックは首を横に振った。

「私の方こそすまない。無神経な一言だったと反省しているよ。さあ、食べよう。美味しいものは元気にしてくれるだろう」

私はコクリと頷いて目の前の料理に目を向ける。

どれも美しく盛り付けられていて、美味しそうなものばかりだ。

パンもカゴに数種類入っている。

しかも焼きたてなのか、湯気が立っていた。

私はお行儀が悪いのだろうが、パッと手を伸ばしパンを手に取る。

この世界のパンは好きだ。

こちらに来る前は良く菓子パンを食べていたけれど、特に美味しいとは思わなかった。

こちらに来て初めてパンを食べた時、美味しくて母さんに「もっと」とねだったくらいだ。アレがこちらに来て初めて自分の意思で望んだことだったように思う。

ふわふわで小麦の匂いがしっかりと感じられるパンだった。

こちらの小麦粉はとても香りが強いようでパン独特の匂いが食欲を刺激するのだ。

私はパンをちぎる。繊維と繊維が解けるようにちぎれる。

私はちぎったパンを口に入れる。

私の顔が緩む。

幸せな味だと思える。

母さんや父さんにも食べさせてあげたい。

もしかしたら、二人の友人であるザックのうちで出されるこのパンを母さんも父さんも食べたことがあるかもしれない。

そう考えるともっと笑顔になった。

私の笑顔を見ながらザックがホッとした顔をする。

「良かった。今日はしっかりと食べて夜はしっかりと眠りなさい。明日は朝ごはんを食べたら話をしよう」

ザックはリリーに目をやる。

「リリー、明日は朝食の後昼食までフィラの部屋で話をする。昼食も共に食べる予定だ。そのつもりで」

リリーは静かに頭を下げた。


初めての晩餐は涙を零しながらも美味しく楽しく過ごすことができた。

改めてザックに大事にされている事に気付く。


リリーに連れられ自室に帰る。

薄いピンク色に囲まれた部屋。

一瞬桜の花に囲まれている気がして日本を思い出す。

私は初めて一人でベッドに潜り込んで眠った。

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