プロローグ3 体の熱
仕事内容は何でもよかった。
ただ、母に約束させられたことが一つだけある。
あれは中学1年の冬だったと思う。
中学の先生に変態がいた。
表向き普通の30代の男の先生だった。
中学生が好きな人で、手を繋いだら1000円くれた。
私が毎週どこで手に入れたか分からない1000円をお母さんに渡していたら1か月たったころ学校から帰ったら珍しく母がいた。
母は今まで見た中で一番怖い顔をしていた。
私がその先生と手を繋いで貰っていた1000円が4枚、机の上に置かれた。
「かすみ、これはどうやって手に入れたの?」
私は先生と手を繋いで1000円もらっていたことがなんとなく後ろめたくて言えなかった。
私がうつむいていると、母は言いにくそうにこう続けた。
「もし、、、もしね、かすみが労働以外の方法でこのお金を手に入れたんだったらお母さんはこのお金は貰えない」
「労働以外?」
「そう、例えば男の人にキスしたり、デートしたり、もうかすみはその先も知っていると思うけど、、、そういう行為をしてもらったお金なら、私は絶対に受け取らない」
「お母さんも夜スナックで働いてるよね?アレって男の人にお酒を注ぐお仕事なんでしょ?それも労働でしょ?」
「そうね、でも、お母さんはもう大人だわ。子どもの貴女がしていいお仕事じゃないし、子供の貴女にそれをさせている大人と関わって欲しくもないの」
母は私をまっすぐに見た。
「かすみ、もし疚しくないと言うならどうやってこのお金を稼いだか言えるわよね?それが言えないってことは貴女も疚しいことをしているという自覚があるのではないの?」
私は何も言えなかった。
「お願い。かすみにはいつも頼りっぱなしで情けない母親だけど、これだけは約束して、自分の体を売ってお金を稼ぐのはやめて頂戴。お願よ」
母の目には涙が流れていた。
私はまたお母さんを泣かせてしまった。
私はただお母さんに喜んで貰いたいだけなのに。
私はお母さんに返された4000円も持って次の約束の時間に先生に会った。
先生にはお母さんとのことを少しだけ話した。
彼が案外紳士的で何もしてこなかったのは不幸中の幸いだった。
私たちは絶対に口外しないことを約束して普通の先生と生徒に戻った。
次の春、その先生は転勤していなくなってしまったけど、それから、私は自分を売るような仕事は一切しなくなった。
私自身は自分の身がどうなっても特に何も思わない。
だって、それでお金がもらえるのだから。
でも、それを知った母が悲しむのだ。
母を喜ばせるために行う行為で母を傷つける。
だから、私はやめた。
放課後、急いで自転車をこぐ。
家と学校の中間にあるファミレスで今日は夕方からバイトの日だ。
昼休みに調べた日雇いバイト先への連絡は明日の昼に学校の公衆電話でする予定だ。
本当に高校に入学して良かったと思う。
公衆電話なんて今どきほとんどないし、使っていたらジロジロと見られる。
学校ではもう何度も私が公衆電話を使っているからもう誰も気にしなくなった。
バイト先で制服に着替える。
4月に入って直ぐから始めたバイト。
シフトもそれなりに同じメンバーで少し人付き合いが面倒くさい。
何故か同じシフトになる同じ高校の2年生が積極的に話かけてくる。
彼はとても社交的で色々な人と気さくに話をしていた。
彼は友達も多く、彼の友達がよくこのファミレスで彼の仕事の終わりを待っていた。
先月くらいからだろうか。
その彼からシフトの終わりが同じ時間の時に「女の子一人だと危ないから一緒に帰ろう」と誘われるようになった。
私は基本的にずっと一人で平気だし、もし、危険だとしても私の体も心も大したことはない。
誰かに守られるような人間じゃないから、そんなの関係なかった。
流石に私も無視するのは常識的に考えてよくないと分かっていたから、「今までも1人で帰っていましたし、大丈夫です」と答え続けていた。
何度目かのやり取りの後、一昨日の夜は根負けして、一緒に帰ることになった。
よくしゃべる人だったから、煩いかもと思ったけど、私が前で彼が後ろで並んで帰った。
殆んどしゃべらなかった。
近所のスーパーの駐車場で止まって、「ここで大丈夫です。あそこのアパート何で」というと、彼は少し顔を赤くしながら、「わかった、また、学校かバイトでね」とあっさりとしていた。
私は振り向かずに自分の家に向かった。
駐輪場でフッと気になってスーパーの方を見たら、彼はまだその場に佇んでいた。
私は、指の先がむず痒いような、今まで感じた事のないものが胸に湧き上がっていることに気付いた。
何となく、それは見てはいけないもののように感じて、私は直ぐに彼から顔をそらし、急いてアパートの階段を駆け上がった。
そして、今日。
彼はいた。
同じ学校なのに、学校では見たことがない。
ファミレス従業員の更衣室を出て、最初に目に入った人が彼だった。
「加賀美さん、おはようございます」
ファミレスは24時間営業でこの店の従業員の挨拶は昼でも夜でも「おはようございます」だ。
「橋本さん、おはようございます」
私は小さく声を出した。
彼は暑そうに汗をぬぐいながら、「今日は暑いね」と世間話をした。
頷いた私に「今日も一緒に帰ろうね」と優しく笑いかける。
訳もなく指先や耳の先が温度を増す。
どういうわけか、彼の顔が見れなかった。
私は少しだけ頷いた。
何故か、心が温かかった。
今は、お金の工面をどうするか、考えなきゃいけない時なのに、ファミレスでバイトをしている間、少しだけ心が軽くなった。
そういえば、小学校高学年からこの6年あまり、他人と一緒に帰るなんてしてこなかったことを思い出す。
他人と関わるのが面倒だから、いつも避けてきた。
橋本さんは、避けさせてくれなかった。
バイト終わり、また、昨日の様に前と後ろで自転車をこいで帰った。
アパートの近くのスーパーで自転車を一旦降りる。
彼が「じゃ、またね」と言った。
私は声を発することが出来なくて、彼を見ることも出来なくて、コクリと頷いただけ。
体中に血液が巡っているのをなんとなく感じた。
体が熱くなる感覚。
熱に浮かされかけた時にかおるの声がした。
「ねえちゃん!」
アパートの前にかおるが小さく見えていた。
私は我に返って、橋本さんにお辞儀をして自転車を押しながらアパートに向かって駆けた。
アパートの前、かおるが待っていた。
かおるの前に立つ。
「こんな時間にどうしたの?」
かおるが少し顔をゆがめた。
「親父が帰ってて、、、」
珍しいこともあるものだ。
かおるは父親が嫌いだ。
私も嫌いだ。
それでも、父親だから仕方がない。
さっきまでの体の熱は完全に消え去った。
私は自転車を片付けてから、かおるの背中を押した。
「スーパーに行っとこうか?」
かおるが小学4年生のころから、父親が夜家に帰ってきた時は近所のスーパーに非難するようになった。
お母さんがいないと探しに行く父親だけれど、私たちが家にいないことに関してはどうでもいいらしい。
私とかおるは並んでスーパーに向かう。
もう橋本さんはそこにいなかった。
道を渡るために道路端で車の流れが切れるのを待った。
私たち姉弟に会話はない。
道路幅の狭い道で車の速度は一様に遅い。
もう少しで車の流れが切れるのを確認した時だった。
その後ろを凄い勢いで走ってくる車が1台見えた。
危ないなっと思った瞬間ハンドルをきり間違えたのか、私たちの方に突っ込んできた。
私は反射的にかおるの体を思いっきり後ろに押した。
間に合ったのかどうかは分からないけど、私の体が宙を舞ったのが分かった。
その後の意識はない。
ただ、その宙を舞ったその一瞬、私は死を意識した。
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