第28話 姫君、再会する

 熊殿の泣き声が響く中、哲蓮殿が口を開いた。


「若殿の奥方は北上家の姫君だったな。今はどうされているのか」

「……わしも、何とか文の一通でもいただけないかと、先日北上領に忍び込み、奥方様を探したのだが、見つからず……」

(ごめん、ここにいるから見つからないと思う)


 音をたてないように、涙をそっと袖で拭う。


「奥方様の乳母だった者が、北上領の小さな寺で出家していると聞き、会いに行ったのだが……」

(みつ⁉出家していたの)


 知りたかったみつの近況に耳をそば立てる。


「奥方様は……、奥方様は、次の縁談を拒み、沢に身を投げて自害なされたと‼」

(えええっ!?)


 思わず声が出そうになり、慌てて両手で自分の口を押える。

 時間稼ぎのつもりだった、あんなお粗末な偽装工作が、まさか通じていたとは。

 おそらく、私が監禁されていたボロ寺の兵たちは探すのが面倒で、すぐに結論を出して撤収したのだと容易に想像がついた。


 それにしても……。

(みつ……、相当悲しませてしまった。本当に本当にごめんなさい)

 罪悪感が半端ない。


「そのことは、若殿には……?」

「とても言えぬ‼言ったらどうなることか、自害でもされてしまったら……」


 熊殿の声が小さくなっていく。

 もうどうしていいか分からない。私はひっそり御影家と泰久様の幸せを祈っていたかったのに、このままでは中途半端な私の存在が、泰久様の将来を潰してしまう。

 でも、未だに御影家を巻き込んだ北上家と尾谷家の戦は続いている。この混乱した状況下で名乗り出る訳にはいかない。


 ここまで黙っていた陽慶和尚の声が聞こえた。


「話は分かった。成長したかと思っていたが、相変わらず女々しい小僧じゃな」

「和尚⁉」


 抗議の声を上げようとする熊殿を遮り、陽慶和尚は飄々と続けた。


「御影の小僧をここへ連れて来い。わしが直々に話して進ぜよう」


 この和尚を信じていいのかと私は思ったが、意外にも熊殿は、泰久様を連れてくることを即答し、帰っていった。


 それから私は、心ここにあらずの状態だった。泰久様のことが、頭から離れない。

 よほど酷い顔色をしていたのか、哲蓮殿と淳念殿からすぐに休むよう言われる。陽慶和尚は、珍しく何も言わず、私の顔を見ていた。


 その晩は一睡もできなかった。



 ◇◇◇◇



 熊殿は相当頑張ったらしく、翌日の昼過ぎ、泰久様を引きずるようにして、再び陽玲寺に現れた。

 私は再び息を潜めつつ、御堂の隙間から覗き見した。


 久々に見る泰久様は、遠目で見ても別人のようだった。

 頬はげっそりとこけていて、目の周りは真っ黒で顔色も悪い。元々切れ長の涼しげな目だったのに、何だか目付きが悪くなっているように見える。

 涙がこらえきれず、また必死に声を抑えた。


 陽慶和尚と泰久様は、昨日の熊殿と同様、本堂に入っていった。

 ただ、今日は哲蓮殿は同席せず、熊殿と二人、外から聞き耳を立てている。

 私も昨日と同じく、納戸に隠れ聞き耳を立てた。


「陽慶和尚、御無沙汰を致しております」

「ほうほう、あの小さくて泣き虫の幸樹丸こうじゅまるが、随分と立派に成長したものじゃ」

「和尚、いつまでも幼名で呼ばれますな」


 フォフォといつもの和尚の笑い声がする。

 泰久様の幼名は幸樹丸だったのか……と豆知識が増えた。


「さて、生熊の餓鬼が困っておるぞ。そなたが嫁を無くしてめそめそしていると」


(おいおい!いきなりぶっこみすぎでしょ!)


 おそらく私だけでなく、哲蓮殿も熊殿も同じツッコミを入れていたと思う。


「……そのようなつもりはありませんが」

「確かに、無理やり離縁させられたのだから、思いが残るのは分かる。だが、おなごは案外、男が思うより切り替えが速いぞ。わしも若い頃、泣く泣く別れた娘が、次の週には他の男の隣で満面の笑顔だったのを見たことがある。それで世の中が嫌になって、出家したようなもんじゃ」


 和尚よ、どんな理由で仏に仕えているんだ。深刻な空気をぶち破る話に、納戸の中でずっこけそうになる。

 だが、泰久様はポツリと呟いた。


「……鶴が、他の男の所でも幸せにしているのならば、諦めがつくかもしれません」

「そなたはその鶴殿とやらが、どこにいるのか知っているのか」


 陽慶和尚の問いに、泰久様のか細い声が聞こえた。


「又七の様子を見ていれば、想像はつきます。北上領にこそこそ行ったと思ったら、あれだけ落ち込んで帰ってくれば……」

(熊殿!!全然隠せてないじゃん。顔に丸出し過ぎるでしょ……まあ、全部私のせいか)


 必死に思考を明るくしようとするが、涙が自然に流れてきてしまう。


「では妻を偲んで、出家でもするか?」

「……それも良いかもしれませぬ。どうせこの腕では、武将としては役に立たぬ」


 泰久様が自嘲気味に笑っている。


(やめて。私はそんなこと望んでない。泰久様に幸せになって欲しいのに……)


 和尚、止めてくれと、声に出さず念を送る。

 私の念が通じたのか、和尚がまたも場にそぐわない明るい声を出した。


「だが、この寺では駄目だぞ。今は夫を偲ぶ尼御前がいる」

「は?」

(は?)


 泰久様の声と心の声が被る。いきなり何を言い出したんだ、あの和尚は。


「夫を亡くし、再婚も拒み、実家から逃げている一途な尼だ。よく働くし、料理もそれなりだ。針仕事は酷いがな」

(ええ、失礼じゃない?ってか何で急に私の話をしているの?)


 涙は完全に引いている。よく分からないが、冷や汗が出てきた。


「……和尚、失礼ながら、その袈裟は?」


 泰久様の低い声が聞こえた。


「これか、これはその尼が繕ったものだ。少しほつれただけなのに、わざわざ妙なシワを縫ってくれた。縫い代も酷いもんだろう」


(うおい!だって袈裟なんてどういう仕組みなのか知らなかったんだもん。大体、私が針仕事をしたのは半年前の一回だけなのに、なんでその時の失敗作を着てるのよ!)


 私が一人パニックを起こしていると、隣の部屋でガタッと音がした。


「和尚、その尼御前にお会いしたい」


 泰久様の声が聞こえるや否や、派手に襖を開けて家探しを始める音がする。


(ええ!ちょっとまずい!)


 慌てて納戸から出る。とにかく逃げなければと、縁側から飛び降り走り出す。

 その時だった。


「あ、花詠尼さま、どうされました?」


 外で木の手入れをしていた淳念殿に、呑気に声を掛けられてしまった。

 声変わり前の無邪気な声は結構響く。


 今私の名前を呼ばないで!と心の中で悲鳴を上げるが、淳念殿の声を聞き付けたか、一目散にこちらに向かう足音が聞こえる。


「お待ちくだされ、尼御前殿」


 泰久様の声が聞こえるが、振り返らずに走る。

 だが、運動神経の悪さに定評のある私が、泰久様を振り切れる訳がない。


 パッと後ろから腕を取られる。止まった勢いで、尼頭巾が頭から脱げ、おかっぱ頭が晒される。

 もう片方の手の、着物の袂で、必死に顔を隠すが、食い入るような泰久様の視線を感じる。


「鶴……」

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