第27話 姫君、後悔する

 久しぶりに夢を見た。


「鶴姫様?」


 私ではない、『鶴姫』がいた。

『鶴姫』はどことなく穏やかな表情をしている。以前とは違い、周りにあの黒い靄は無い。


「あの方のこと、助けてくれてありがとう」


 静かに呟く『鶴姫』に、私は答えた。


「御礼を言われることではありません。貴女のためではなく、私は、私自身が泰久様に生きていて欲しいと思ったからです」


 私の返事に、『鶴姫』は初めて微笑んだ。


「そうね……。でも生きていて下さるだけで本当にいいの?」

「えっ?」

「人は強欲だから、その次も願いたくなる……」


 どういうこと?と問う前に、『鶴姫』は背を向けた。


「私の願いはもう叶った。あとは貴女の好きになさい」


 ありがとう、ともう一度呟くと、『鶴姫』は消えていった。



 ◇◇◇◇



 ザッ、ザッと箒で掃く音がする。

 徐々に意識が浮上する中、昨夜までのことを少しずつ思い返し……慌てて飛び起きた。


 まだそこまで陽は高く上がってないが、お世話になっている分際で、寝坊はまずい。

 足はまだ腫れあがっており、ヒリヒリと痛むが、布を厚めに巻けば歩けないこともない。用意されていた作務衣を着込み、外に飛び出す。


「おはようございます!」

「お、おはようございます!」


 淳念殿が境内の掃き掃除をしていた。


「私もやります!」


 見渡すと、本堂裏の小屋に、もう一本竹箒が立て掛けてあった。取ってくると、一緒に落ち葉を掃く。


「お花様はこんなことをしなくてもいいですよ!」


 淳念殿が慌てて止めようとするが、気にせず続ける。


「ここに置いていただきたいのですから、働くのは当然です」

「そのとおりじゃ、娘っこよ」


 突然、第三者の声がした。

 声の方向を見ると、参道を歩いてくる老人がいた。

 僧衣に身を包み、かなりの高齢と思われるが、あの石段を登ってきたにも関わらず、足取りはしっかりとしている。


「お帰りなさい!ご住職様」


 この陽玲寺の住職、陽慶ようけい和尚だった。



 ◇◇◇◇



 陽慶和尚に呼ばれ、本堂で向き合う。

 既に陽慶和尚は、哲蓮殿から事情(ただし思い込み)を聞いているようだった。


「娘っこよ。そなたの事情は特に興味ない。この寺に居たいだけ居ればよい」

「ありがとうございます!」

「もう哲蓮の飯は不味くてたまらん。淳念の掃除も汚い。女手が来てくれて助かるわい」

「……はい?」

「しっかり働くのじゃぞ」


 フォッフォッと、機嫌良さそうに笑う。

 どうやら、泰久様が以前称していた「変わり者和尚」というのは、本当だったらしい。



 ◇◇◇◇



 私は陽慶和尚から「花詠尼かえいに」という名を与えられた。


「私は修行も何もしていないのに、良いのですか?」と聞いてみたが、「わしが良いといえば良いのじゃ」と笑われた。この寺はそれで本当に大丈夫なのかと心配になった。


 私の一日は早朝の掃除から始まる。淳念殿と一緒に境内を掃除し、朝餉の支度をする。

 泰久様の館で炊事を覚えていたお蔭で、少なくとも哲蓮殿のご飯よりは美味しいらしい。


 昼間は、境内の草むしりや、堂内の掃除を行う。

 袈裟や法衣などの繕い物をした日もあったが、翌日、「花詠尼様は針仕事だけはやらなくていいです」と涙目の淳念殿になぜか止められ、それ以来していない。


 そして夜は夕餉を作り、一日の仕事が終わる。

 ……出家したはずなのに、全く修行らしいことをしていない。


 だけど、親切な哲蓮殿と、まだまだ可愛い淳念殿、そして飄々として全く僧侶らしくない陽慶和尚との暮らしは、とても静かで、心地よい。


 波乱万丈すぎたこの数か月が嘘のように感じられた。


 泰久様のことは、油断するといつも頭に浮かんでくる。

 でも、頭の中から必死に振り払う。


 私はここで静かに生きていこう。御影家と、泰久様の幸せを祈りながら。



 ◇◇◇◇



 私がこの寺に来て、はや半年となった。

 ある朝、揃って朝餉を食べ終わった後、哲蓮殿がとんでもないことを言い出した。


「ご住職様、本日午後、御影家家臣生熊又七郎が、ご住職様にお会いしたいと申しておりますが」

「……生熊、又七郎……」


 思わず声に出してしまった。哲蓮殿が訝しげに私を見る。


「生熊殿を知っているのか?」

「あ、いえ、そういう訳ではありません」


 駄目だ、我ながら声が動揺丸出しだ。これは完全に知っていますと言っているようなものだ。

 哲蓮殿と淳念殿はこちらを見ているが、陽慶和尚は気にした様子もなく、


「生熊の餓鬼か。珍しいのう。ちゃんと御布施を持ってくるように言っとくのじゃぞ」


 と相変わらずのマイペースで笑っていた。



 どうしようかしばらく考えたが、放っとく訳にもいかず、哲蓮殿にこっそり話しかけた。

「あの、本日、生熊殿がお越しになるということですが、武家の方に私がいることは知られたくないので、出来れば内密にしていていただけませんか」


 哲蓮殿はじっと私を見つめている。しばらくすると、次第に目が潤んできた。

(えっ、なんであなたが泣くの!?)


「花詠殿はよほど武家で辛い思いをされてきたのですな……。大丈夫です。この陽玲寺、受け入れた者を売るような真似は致しません。あの熊野郎にも一言たりとも漏らしませぬ」

「く、熊野郎……」


 凄い言い方だな、と驚くと、哲蓮殿は何事もないように続けた。


「生熊又七郎は、私の従兄弟ですから」

(な、なんと。道理で思考回路が似ている訳だ)


 半年目で初めて知った、割とどうでもよい真実だった。



 ◇◇◇◇



 午後、熊殿がやってきた。

 私は目に付かぬよう、奥の間にいるように言われたが、こっそり隣の部屋の納戸に潜んだ。いけないことだと分かっていても、気になる。

 やがて、懐かしい声が聞こえてきた。


「陽慶和尚、本日はお時間を賜り、恐悦至極……」

「あの荒くれの餓鬼が、随分立派な挨拶ができるようになったもんじゃ」


 熊殿もそこそこ身分のある武士なのだが、陽慶和尚、言いたい放題である。


「して、今日は何の用じゃ。出家する気になったか」

「……いえ、与三郎様のことで和尚に相談したく……」


 久々に聞く泰久様の名に、心臓が跳ね上がる。


「あの気弱な小僧か。戦で深手を負ってから、戦には出ておらぬと聞いていたが」

「はい。左腕は動きませぬが、ご自分で問題なく生活しておられますし、執務にも戻っておられます。最近は片腕で馬に乗っておられます」


 この寺に来てから、風の噂で御影家の若殿の情報は聞いていた。ご無事であることは知っていたが、随分良くなられたらしい。心から安堵する。


「ですが、与三郎様はあの戦以来、全くお笑いになりません。以前は冗談を口にされることも多かったのに、今ではほとんど口を利かれなくなりました」


 ほっと吐いた息が止まる。心拍数が上昇しているのが分かる。哲蓮殿が口を挟む。


「それは又七相手の時だけではないのか?」

「そのようなことはありません。大殿や、お辰の方様にも、他の家臣にも同じです。奥方様を失ってからの若殿は、昔の若殿ではありません」


 熊殿が大声で泣く声が聞こえる。


 泰久様が意識を取り戻される前に離縁となった。きちんと話すことができなかった。

 それは私が望んだことじゃないけれど、泰久様にそれほど大きな傷を負わせてしまっていたなんて、胸が張り裂けそうな思いがする。


 裾を噛み、声を出さないように努めるが、涙は次から次へと溢れてきた。

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