第25話 姫君、脱走する

 御影領から北上領に引き渡され、駕籠の担ぎ手や、付き従う家来も、北上家の者に変わる。

 そのまましばらく駕籠に揺られていたが、少し進んだところで、止まる気配がした。


「鶴姫様、着きましてございます」


 見覚えはないが、北上家の家臣と思しき男が、淡々とした声で言葉をかけてくる。

 だが、国境くにざかいからこれ程の短時間で、北上家の城に着く訳がない。


 駕籠から降りると、目の前には北上家の城ではなく、朽ちかけたような寺があった。


「鶴姫様におかれましては、しばらくこちらの寺に滞在するようにとの、殿からの指示でございます」


 殿とはおそらく異母兄だ。役目も果たせなかった出戻りの異母妹を城に入れる気は無い、ということだろう。


「な、無礼な」

「姫様にこのような所に暮らせと申すか」


 みつと多恵が口々に抗議する。

 相変わらず、何の感情も感じられない声で、男は告げた。


「鶴姫様の次の嫁ぎ先が決まるまでの間の、一時的なことでございます」

「……次の、嫁ぎ先……?」


 あまりに信じられない言葉が聞こえて、思わず呆然とした。

 みつと多恵も絶句している。


「鶴姫様はまだお若うございます。此度の縁談では、北上家の為に働くことは叶いませんでしたが、北上家の御為おんため、働く機会をもう一度与えようという、殿からのご厚情でございます」

「わ、私は、まだ離縁したばかりですので、そのようなことは……」


 声が震える。だが、私の気持ちなど全く無視をして、男は続ける。


「無論、御影の子を身籠っておられると面倒ですので、二月程はこちらで様子を見ることになります」


 そうだ、戦国時代では、女子など家の道具でしかなかった。

 北上家だけではない。離縁や死別で、夫を失った女は、すぐに新たな政略結婚の駒となる。そんな例はいくらでもある。ただ、そこまで考えが巡っていなかった。


「それから」と男は更なる宣告をした。


「鶴姫様の乳母と侍女は、本日をもってお役目を解く、との殿からの命です」

「そんな!」

「それは困ります‼」


 みつ、多恵と一緒に、必死に抗議するが、聞いてくれるはずもなかった。

「代わりの侍女は用意してありますので」と冷たく言い放つと、他の家来に命じ、みつと多恵を力ずくで連れ出していった。


 あまりの事態に立ち竦む私を横目に、「それでは」と最後まで事務的な様子を崩さず、その男は去っていった。



 ◇◇◇◇



 座敷牢のような部屋での軟禁生活が始まった。


 新たに付けられた侍女は一切私と口を聞くことなく、食事や着替えを決められた通りに運んでくるだけだ。屋敷内には、数人の監視兵がいる様子で、部屋の外に出ることもままならない。


 北上家は、最早私のことを信用していないのだろう。

 御影家での私の動きを顧みれば、当然と言えば当然のことだが。


(このまま、どこかの会ったこともない人に嫁ぐの……?)


 泰久様以外の男に、触れられる――。

 想像しただけで虫唾が走った。それだけは絶対に嫌だ。

 ならば、出家して仏門に入り、一生独身のまま過ごしたいと思うが、それも許されるはずがない。

 私が持っているのは、結婚前に嗜みとして父から渡された短刀くらいだ。


(でも自害はやっぱり無理。怖すぎる)


 焦りだけが募る。だが、良い解決策が思い浮かばないまま、ひと月以上が過ぎていた。



 ◇◇◇◇



 最近、侍女や家来たちの様子がおかしい。


 相変わらず、私とは余分な口を一切聞かないが、何か浮足立っているような雰囲気がこのボロ寺全体に漂っている。

 監視する兵の数も減っている気がする。


 そしてある日、厠まで行く途中の廊下で、兵たちが立ち話をしている場面に遭遇した。

『御影』という単語が耳に入り、反射的に立ち止まる。彼らは私の存在に気付いていないらしく、当然、盗み聞きすることとした。


「で、戦況はどうなんだ」

「どうやら逆に押されているらしい。殿は御影をすぐに落として、他の連中への見せしめにするつもりだったそうだが、尾谷が予想外の速さで御影の援軍に来たとか」

「はあ、大殿がお倒れになってから、何だかよくねえなあ」

「おいおい、大きい声で言うなよ。とにかくここは国境に近いからな。明日にでも姫を城に移すとさ」

「ようやくこの襤褸屋からオサラバできるってことか」


 わははと笑いながら、兵は持ち場に歩いていく。

 物凄く重要な情報を、頭の中で精査する。


 どうやら御影家と北上家はまた交戦状態になっているらしい。

 だが、尾谷家のおかげで、御影家は今のところ、危険な状況にはなさそうだ。

 何だかほっとする。


 しかし、ヤバいのは私の方だ。

 城に移すと言っていた。城に入ってしまえば、脱出が不可能なことは、身を持って知っている。

 今なら、戦のおかげで、監視の兵も少なくなっている。

 そうなると急だが、チャンスは今日しかない。



 ◇◇◇◇



 夜になり、私を夜着に着替えさせると、侍女たちは一人を部屋の外に残して、下がっていく。

 室内には誰もいなくなったことを確認すると、障子の外にいる侍女に気が付かれないよう、音を立てず、私の手持ちの中で最も暗い色の小袖に着替える。


 失敗は許されない。

 緊張で手が震えるのを、深呼吸して何とか抑える。


 空の布団に、着物など手あたり次第詰め込み、誰かが寝ているように膨らめておく。

 そして、短刀を抜くと、腰まである髪の毛を、肩のあたりで一息に切り落とした。


 一気に頭が軽くなって、少し爽快な気分になる。

 長い髪を掛布団から出して置いてみると、頭まで布団を被った寝相の悪い女が、寝ているように見えなくもない。

 とりあえず、少しでも時間を稼げれば良い。


 短刀を腰に差し、夜着を適当に畳んで懐に入れる。

 そして、音を立てず慎重に、侍女が控える廊下と反対側の縁側に出た。

 こちらの縁側は中庭に面しており、外には通じていないので、監視も配置されていない。


 私とてこのひと月半、ただ茫然と過ごしていた訳ではない。

 逃げるチャンスを伺い続け、隙を見てはこの中庭を物色し、数日前このボロ寺の床下に入れる穴を見つけたのだ。

 他に外に出られる可能性のあるルートは発見できていない。

 埃と蜘蛛の巣まみれで、ネズミやら何やらもたくさんいるであろう真っ暗な床下に、手探りで入り込む。


(手に何か触れても気にするな。なんてことないさ。私は無)


 頭でシミュレーションした通りに、表門ではなく、裏門の方向へ這いずる。

 途中で物音がしたり、肌に何かが触れたりするたびに、悲鳴を上げたくなるのを必死にこらえた。


 暗闇の中、感覚だけで進むのには思いのほか時間がかかったが、月明りが前方に射し、床下の終わりが見えた。

 床下からそっと外を伺うと、私が目指していた裏門が見える。予想通り、山に面している裏門は、誰も使う者がいないようで、人の気配は全く感じられない。


 静かに一度深呼吸をすると、裏門に向かって一気に駆けだした。


 誰の妨害にも合うことなく、裏門から外に出ると、振り返ることなく、とにかく全速力で走り続けた。

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