第23話 姫君、別れの時
泰久様の顔を見ることなく、そのまま自室に戻る。
みつと多恵も部屋に戻っていた。二人も私とは別に今後のことを聞かされたらしく、泣き腫らした顔で私を見た。
「姫様……悔しゅうございます。姫様は御影のため、これ程身を粉にして働かれてきたのに」
「詮無きこと。御影の義父上の判断は、当主として正しいことです」
これほどの扱いを北上から受けながら、これ以上北上に従うことなどできる訳がない。
本来なら磔にするはずの『人質』を、離縁で済ますことも、泰久様の容体が安定するまで待ってくださったことも、義父上の私に対する、精一杯の恩情だったのだと思う。
だからこそ私は、御影家の人たちを怨む気持ちには全くならない。
むしろ、あのまま泰久様がお亡くなりになっていたらと思うと、北上家を怨んだ『鶴姫』の気持ちが痛いほど分かる。
切り替えるように、二人に声をかける。
「さあ、明日には出立しなければなりません。急いで片付けましょう」
「姫様……」
それ以上二人は何も言うことなく、三人で黙々と荷物をまとめた。時折、多恵が鼻をすする音以外、誰も声を発することはなかった。
琴殿が訪ねてきたのは、片付けも一段落してきた頃だった。
入室してきた琴殿は、いつもの明るさが見られず、沈痛な面持ちだった。
琴殿に向け手をつき、丁寧に礼をする。
「北上の娘である私に、親切にして下さって本当にありがとうございました」
「とんでもございません。むしろ、わたくしのような者に、奥方様は気さくに接してくださり、本当に感謝のしようがございませぬ」
琴殿は言葉につまる。袖口を潤んだ目に当てたあと、手をついて話し始めた。
「大変ご無礼ながら、何卒お願いしたき儀がございます」
「なんなりと」
安請け合いした私に対する琴殿のお願い、それは夫である生熊又七郎殿の目通りを許していただきたい、とのことだった。
熊殿にまだお礼も言ってなかったことに気付いた私は、二つ返事で了承した。泰久様を命懸けで助け出してくれたのに、今まで頭が回っていなかった自分が恥ずかしい。
◇◇◇◇
「若殿を無傷でお返しすることができず、面目次第もございません‼」
時を置かず現れた熊殿は、私が口を開くより前に、猛烈な勢いの土下座が炸裂させた。
音が鳴るほど畳に頭を叩きつけている。
「そ、そんなことはございません!生熊殿のお陰で、泰久様のお命は助かったのです‼」
勢いに押され、私まで思わず声を張り上げてしまう。
戦に出ていて無傷は、流石にハードルが高すぎるだろう、と思わず斜め上のことを考える。
「……いいえ、若殿のお命を助けたのは、奥方様です」
熊殿の言葉に目が点になる。戦の間、私は城にいただけだが?
「奥方様、こちらに見覚えはありますか?」
熊殿が出したのは、ごくありふれた石だった。ただ、その平べったい形には見覚えがあった。
「これは……私が泰久様にお渡しした護り石では……?」
あの地獄のお百度参り中、ずっと握り締めていたのだ。形はよく覚えている。
「やはり、奥方様でしたか。琴が奥方様に御葉神社の話をしたと申してましたので、そうかと思いましたが」
「これが、何か?」
まさか私の念の力で助かったとか、慰めの言葉をかけてくれるのだろうか。首を傾げる私に、熊殿が石に目を落としながら話し始めた。
「若殿が敵に囲まれた際、一度腰の辺りを刺されたように見えたのです。ですが、敵の槍は逸れ、若殿は致命傷を免れました」
「はい?」
熊殿は続ける。
「その時は何があったか分からなかったのですが、思い出したのです。若殿がずっと、腰の辺りに何か入った布袋を提げていたことを」
熊殿は石を裏返す。裏側には石を削るほど大きな傷が、一本はっきりと刻まれていた。
「若殿は、奥方様から戴いた護り石を布袋に入れておられたのです。奥方様の護り石のおかげで、槍の突きから守られたのです。奥方様がおられなかったら、若殿の御命はあの時点で尽きておられました」
ありがとうございます。と熊殿が深々と頭を下げる。
気付かぬうちに、私の頬に涙が伝っていた。
「私は……、私は、泰久様のお役に立てたのですか…?」
「若殿は!与三郎様は、奥方様を何よりも大切にしておられました!奥方様が嫁いで来られてから、いつも与三郎様は楽しそうでした!あのいまいち覇気の足りなかった与三郎様を、あれ程立派な武士に育てたのは、奥方様です!!」
熊殿がオイオイ泣き始める。大男の泣き声に、伝っていた涙が少し止まりそうになる。
(そっか……、私は少しでも泰久様の助けになれたのか)
思い残すことが無いとは、とても言えない。もっと泰久様と一緒にいたい気持ちは変わらない。
でも、もう十分だ。大好きな泰久様を助けられて、少しでも泰久様から想って貰えたのなら、私はこの数か月の思い出で、どこでも生きていける。
「ありがとう、生熊殿。どうかこれからも泰久様を支えて差し上げてくださいませ」
◇◇◇◇
翌朝、駕籠に乗り込み、静かに出立した。数か月前嫁いできた道を、逆に進む。
付き添う人数も、花嫁道中とは比べ物にならないくらい寂しい。
「与三郎に会っていかなくても良いのか?」
義父上に聞かれたが、黙って首を振った。顔を見たら、せっかくの決心がまた揺らぎそうだったから。
「鶴は泰久様の御多幸を、幾久しくお祈りしておりますと、お伝えくださいませ」
涙は見せなかった。私のよくわからない、最後の意地だ。
磔エンドを回避した。泰久様の討ち死も回避した。
嫁ぐときに決めた目標をすべてクリアした。
なのに、なぜ私はこんなに空虚なのか。
嫁いで来るときはあんなに酔った駕籠も、今は何も感じない。
何一つ、感じなかった。
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