第16話 姫君、平和を願う
御影家の亡き嫡男の忘れ形見は、
今後は、当主である義父母の元で養育され、元服するまで、叔父である泰久様が後見することが正式に決まった。
恐らく殺されていたであろう跡継ぎは、無事産まれた。これで一つ史実が変えられたのではないか、と思うが、まだまだ今後の問題点は多い。
まずは北上家の出方だ。
当主の娘を嫁がせ、その血を引く跡継ぎを産ませる予定だったのに、御影家は別の子を跡継ぎとするという。
北上家が黙って許すはずがない。
私の不審すぎる服毒事件といい、いつ北上の父が動くかと冷や冷やしているが、今のところ不気味なまでに沈黙を守っている。
そしてもう一つが、夢の中で「鶴姫」が言っていた言葉だ。
『北上の異母兄があの人を殺した』
あの人とは、まず間違いなく泰久様のことだろう。
史書では、泰久様は北上と尾谷の戦で討ち死にした、と記されていた。
それを、北上家のせいで死んだ、殺されたと解釈することはあり得るが、あの「鶴姫」は異母兄が殺したと確信していた。
だからこそ、あれ程の闇に呑まれ、怨霊となるほど怨んだのだ。
そして、北上の異母兄が誰か、ということだが、それは何となく予想がつく。北上の父は、この時代の大名らしく、複数の側室を抱えており、私の異母兄弟は軽く二桁はいる。しかし、話の流れから考えると、「鶴姫」が怨む異母兄というと、北上義泰の嫡男で、次の当主となる北上
正室の出生であるこの異母兄と私は、会話したことすら一度もない。
何せこの異母兄は、恐ろしくプライドが高く、側室腹の異母弟妹たちを心から見下し、気が短く、人の意見を聞かず、それでいて遊び好きというどうしようもない「うつけ者」だった。
深窓の姫君だった私の所にまで噂が届くぐらいなのだ。その酷さは相当なものなのだろう。
だが父も、己の嫡男の無能さについては把握しており、有能な側近をそろえ、フォローさせていたはず。
今、御影家の若殿を殺す必要性は全くなく、むしろ御影家の完全な離反を招くことは、アホの異母兄はまだしも、側近たちは十分理解しているだろうし、何より父が生きている限り、許すはずがない。
史実では、北上義泰は泰久様や鶴姫が死んだあと、病で亡くなっている。
その後、アホの異母兄が家督を継ぎ、あっという間に北上家は滅ぶのだ。
(いったい何があったの?)
考えても全く分からなかった。
◇◇◇◇
ところで、虎樹丸が生まれると時を同じくして、泰久様は城に住むようになった。
正式に後見となったためだろうと思っていたが、当の本人からは、「鶴は目を離すと危ないから」と爽やかな笑顔で言われてしまった。
泰久様はますます忙しくなったらしく、昼間は仕事でほとんどいない。
その間、私は義母であるお辰の方様に奥向きの仕事を習うようになった。
だけど、家族として受け入れられた事が嬉しく、むしろ楽しさすら感じてしまい、満面の笑みで説教を受けていたら、気が触れたのかと、大層不気味がられてしまった。
夜はお戻りになった泰久様の夕餉の支度をする。
戦国時代、通常妻は夫と共に食事をしないのだが、泰久様の希望で私は一緒に食事を取っている。
「鶴は目を離すと何を口に入れるか分からないから」と。これまた爽やかに言う泰久様は、大変失礼だと思う。私を何だと思っているのか。まあ前科があるから大きな声で反論できないけど。
そして夜、横に並べた布団で添い寝する。これ以上の関係にはまだ進めないけど、私は今のところ満足している。
虎樹丸は生まれたばかり。まだまだ北上家が諦めたとは思えない。
何より、いつ何があるか分からない――自分の命も、泰久様の命もどうなるか分からない――状況で、やっぱりまだ母になるという覚悟はできなかった。
この穏やかで温かい毎日が続いてほしい、という私の願いは、この戦国の世では叶うはずもない。
◇◇◇◇
その知らせは、深刻な顔をした泰久様からもたらされた。
「鶴、これはまだ定かではないのだが、北上の大殿がお倒れになったらしい」
「北上の父がですか⁉」
国許からは何の連絡もない。急ぎみつを呼ぶと、みつも聞いていないらしく、「すぐに確認いたします」と小走りで出ていった。
数日後、みつが手配した遣いのものが帰ってきた。近況を伺う私の書状には「変わりなし」と素っ気無い返事が返ってきたのみであったが、みつの情報網ではある程度の状況を掴めていた。
わが父、北上義泰は一か月程前、それこそ私が毒をあおる直前に、城の廊下で突然倒れ、意識不明の状態が続いたらしい。
現在は意識を取り戻しているが、布団から起き上がることもできず、言葉も発せられない状態にある、と。
どうりで、あの服毒事件の後も、侍女を送り返しても、虎樹丸が生まれても、北上家が動かなかったわけだ。いや、内部は大混乱で動けなかったのだろう。
北上義泰という屋台骨を実質的に失い、いきなり異母兄が舵取りを任せられることになった。
これから坂を転がり落ちていくであろう北上家に、このままでは御影家も否が応にも巻き込まれてしまう。
大きく変わる時代の流れに、私は一体何をすればよいのか。今のところ良いアイデアは一つも出てこなかった。
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