第15話 姫君、家族を得る
淡々と繰り広げられるみつのお説教を、平身低頭聞き続けるが、やはり猛烈な眠気に襲われ、途中で眠ってしまったようだった。
次に目を開いた時には、あたりは真っ暗だった。
喉の乾きを感じ、寝ぼけ眼で枕元の急須に手を伸ばすと、誰かが素早く茶碗に水を注ぐ気配がした。みつか多恵かと思い、布団から目線を上に向けると、蝋燭の微かな光が、その端正な横顔を照らす。
「泰久様……?」
「少し体を起こせるか?」|
夢か
唇に当てられる茶碗から少しずつ水を飲み、再びの眠気にうとうとしながら、泰久様の胸に寄りかかる。
そのまま、また眠りに落ちてしまったようだった。
翌朝、差し込む日差しを感じ、少しずつ意識が浮上する。
暖かくて気持ちいい……と抱き枕を引き寄せる。
……ん、この時代に抱き枕なんてあった?
急激に覚醒すると、目の前に紺色の布地が広がっていた。
この色の着物を好んで着ている人を、私はよく知っている。
「ぎゃあ‼」
抱き枕こと泰久様は、私に抱き寄せられ、体を捻ったかなり無理な体勢で固定されていた。
もはや諦めきった遠い目をしている。
「まことに申し訳ございませぬ!」
「いや……」
どうやら私は一晩中彼を抱き枕にしていたらしい。
乱れた着物の襟元を直す泰久様。目の隈は全然良くなってない。むしろ悪化している。
恥ずかしいやら申し訳ないやらで、どうすべきか分からないが、とりあえず挨拶をすることにした。
「おはようございます」
「……おはよう。体調はいかがか?」
「はい。もうすっかり」
それは良かったと、泰久様はようやく表情を緩める。
みつと多恵が入ってくると、泰久様は入れ違いで出ていった。
体が痛いらしく、首を回し、腰を伸ばしながら。
「姫様の看病は自分がするからとおっしゃって、昨夜は私たちを休ませてくださったんですよ」
若殿は本当に素晴らしい方ですね、と多恵はニコニコだ。
なんといういたたまれない気持ちだ。
◇◇◇◇
みつと多恵の手を借り、身支度を整える。既にあの三人の姿はない。
三人の侍女は、手違いから、主人である私を危険に晒したということで、北上家に戻すこととした。嘘八百の経緯を書いた父宛の書状もしたため、侍女と一緒に送りつける。
こんなペラペラな嘘など、流石に通じるとは思っていないが、とりあえず表面上は御影家に無関係な形で取り繕えれば良い。
あとは父が何て言ってくるか待って、対策を練ることにしよう。
午後になると、義両親である、御影家当主久勝様とお辰の方様が訪ねてきた。
婚儀の翌日以来、一度も会っていなかったので、予想外の見舞い客に少々驚く。
「わしらはそなたを誤解していたようだ。これまでの非礼を心からお詫び申す」
開口一番謝罪の言葉を口にした義父は、そのまま頭を下げる。横の義母も、夫に倣い、畳に手をついた。
「そんな、別に非礼なんて受けておりません!」
義両親に頭を下げられるなんて、とっても居心地が悪い。慌てて頭を上げてもらう。
「いいえ、私たちは貴女をずっと疑っておりました。貴女は命がけで千代と赤子、そしてこの御影を守ってくださったのに」
「とんでもございません。私は泰久様の妻です。御影家のために働くのは当然のことです」
千代とは、亡き嫡男のご正室の事だろう。義母の言葉にも、殊勝な態度で謙遜してみる。
「彼氏のお母さんに気に入ってもらうには、とにかく良い子アピールよ!」と語っていた、前世の友達のアドバイスを参考にしてみた。
「本当に与三郎がいう通りの姫だな」
「あの子があんなに怒ったのは初めて見ましたもの」
義両親は顔を見合わせ、おかしそうに笑う。
話が分からず、首をかしげると、「鶴様には失礼なお話ですが」と義母が話し出した。
「鶴様が与三郎の屋敷に通ってくださるようになったころ、それを良く思わない家臣が一部おりまして……。与三郎に、鶴様を遠ざけよと直接言う者まで」
義母はやんわりと言っているが、実際はもっと過激な意見だったのは容易に想像がつく。
まあ警戒している北上家の娘なのだから当然だろう。
実際、侍女は暗殺計画を遂行していた訳だし、おっしゃる通りとしか言いようがない。
「そうしたら与三郎が見たことがないくらい怒りましてね。『姫様はそのような方ではない』と」
義母は笑う。
「あの与三郎が、言葉だけで当家一の大男を言い負かすさまは、中々見ものであったな」
義父も続ける。
「与三郎は幼いころからおとなしくてな。争いごとも嫌いで、始終寺に逃げているような童だった。もはや出家させてやった方が良いのかとも考えていたが、あれ程猛々しくなれるとは、やはり御影の男よ」
「ほんに、鶴様のおかげですよ」
なんだか恥ずかしく、嬉しく、そして申し訳なさを感じる。
曖昧に笑っていると、部屋の外からバタバタと足音が聞こえる。
何事かと思うと同時に、襖が開き、当の泰久様が飛び込んでくる。
「父上、母上、いったい何をされているのですか!?」
「まあ与三郎。
「わしらは大切な嫁と親交を温めていただけだ。なあ鶴殿?」
義父母は完全に息子をからかっている。両親に遊ばれている泰久様はいつもの落ち着きが無くなり、十七歳の青年らしい幼さが垣間見える。
私は北上家しか知らなかったから、夫婦、親兄弟でも距離があるのが当然だと思っていた。女は駒として扱われ、男は戦に赴き、時には敵同士となり殺し合うのが当たり前、それが戦国時代なのだと無理やり納得していた。
でもここは違う。同じ時代でも、私が想像する家族のやり取りが存在している。
泰久様と義父母のやり取りに、暖かな気持ちになった。
◇◇◇◇
それから十日後、御影家に新たな命が誕生した。
泰久様の亡き兄上のご正室、千代様が生んだ子は男児だった。
私も泰久様と義父母に連れられ、初めて千代様と赤ちゃんに会うことができた。
千代様は目がクリクリした可愛い顔立ちで、私より年上のはずなのに、全くそう見えない童顔な女性だった。
だが、私が部屋に入ると、警戒中の猫のような目を向けてこられた。
(そりゃ自分の夫が亡くなった戦を起こした上に、自分や赤ちゃんを殺そうとしていた北上家の人間なのだから、当然だよね……)
仕方ないとはいえ、敵意を向けられるのはやっぱりつらい。あまり視界に入らないように、泰久様の後ろにひっそりと座る。
だけど、千代様は赤ちゃんを抱くと、私に渡してくれた。
「えっ、抱かせていただいても良いのですか」
「……鶴様はこの子の命の恩人ですもの。これからも何卒よろしくお願いいたします」
なんて優しい。重くて、温かくて、柔らかい赤ちゃんを抱くと、何だか泣きそうになった。
泰久様がそっと背中に手を添えてくれる。義父母もニコニコと私たちを見つめてくれている。
(やっぱり私はこの家族が好きだ)
そして、この御影家を守りたい、と強く感じた。
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