第17話 姫君、祈る
「はあ……」
「奥方様、大丈夫ですか?」
心配げな琴殿の言葉に、我に返る。
何度目か分からない溜め息が、また無意識に出てしまったようだ。着物のほつれを繕う手も止まりがちで、元々得意ではない裁縫が全く捗らない。
私の家事の師匠である琴殿は、泰久様が城に戻ってからも、時々私を訪ねてきてくれている。どうやら夫である熊の勇姿を見るついでらしいが、同年代の友人がいない私にはとても嬉しい。
なんでも相談できるお姉さんといった存在だと、勝手に思っている。
琴殿は裁縫の手を止めて、私のそばににじり寄って来た。
「何かお悩みですか?わたくしでよろしければお聞きしますわ」
「いえ、別に悩みということではなくて……不安、と申しますか」
琴殿は納得したように「なるほど」と頷いた。
「また尾谷が不穏な動きをしているようですからね。戦が近いかもしれませぬ」
そう、北上家は隠そうとしているが、北上義泰の重病説は近隣各国に広がっていた。
尾谷家がそれを見逃すはずもなく、再び北上との戦の準備を進めているらしい。
戦国時代において『戦』は日常的な出来事である。嫁ぐ前の私も、父や異母兄、家臣の出陣を何度も見送ってきたが、正直、特段思い入れの無い相手だったため、どこか遠い出来事だった。
それが、泰久様や義父、熊など、大切な人達のこととなると、『戦』が、急に恐ろしいものとして、目の前に迫っている。
特に、史実通りであれば、泰久様は討ち死――考えたくもない最悪の未来が近づいてしまう。
何が何でも、どんな手を使ってでも、絶対に行って欲しくない。が、どれ程頭をひねっても、武士の出陣を止める手だてがあるはずがない。
琴殿は私の顔をじっと見ると、「信じるしかないですよ」と言いきった。
「信じる……?」
「戦は男たちに任せるしかないですからね。わたくしたちは勝ってくると信じて、家を守ることがしかできないのです。もどかしいことですが」
少し切なそうな顔で薄く笑った琴殿。しかしすぐに声のトーンを上げた。
「まあ、我が夫、又七様は
そしていたずらっぽく続けた。
「それに若殿はとても慎重で頭の良い方。槍働きで突っ込むよりも、後方で策を練られる方と聞いておりますから、大丈夫ですよ」
武士としてそれはそれでどうなんだろう、とは思ったが、琴殿が私を励まそうとしてくれているということが痛いほど伝わった。
「そうそう、この近くにある戦勝祈願の神社の御守りについて、あとで奥方様に教えて差し上げますね」
「それは是非お願いします!」
前向きで明るい琴殿に励まされる。
来る日まで、私にできる限りの準備をしようと心に決めた。
「それにしても奥方様……。その縫い方では、若殿は袖から腕を出せなくなってしまいますわ」
私の手により、穴を塞ぐどころか袖が塞がってしまった着物を見て、今度は琴殿が深い溜め息を吐いた。
◇◇◇◇
いよいよ戦が迫ってきた。
尾谷家は、北上家の領地に兵を進めている。
北上家は異母兄を総大将として迎え撃つべく出陣しており、御影家にも援軍要請が来るのは時間の問題となった。
城内は戦支度で慌ただしく、泰久様も軍議から出てこない。
私は一人城を抜け出し、裏手にある御葉神社へ向かった。
琴殿によると、神社の境内で石を一つ拾い、それを掌で包みながら神社の入り口から本殿まで百往復しお参りする…いわゆるお百度参りをすると、石に念がこもり、護り石となるとのことだった。
前世ではスピリチュアルなことに全く興味のなかった私だが、今や、泰久様を守ってくれるなら、神でも仏でも悪魔でも、なんでも頼る気満々である。
境内で目に付いた、平べったい楕円形の石を拾う。
(どうか、泰久様をお守りください)
掌に石を包み、社殿に向かって祈る。そして張り切ってお百度を踏み始めた私だったが……。悲しいことに転生しても運動神経が最悪だった。
三十回を過ぎたあたりで足は猛烈に重くなり、五十回を過ぎる頃には、足がガクガクし始めた。
(五十回で許してくれないかなぁ。それか、残りは分割で払うじゃ駄目だろうか…)
私の現実逃避に答えてくれる神は無く、最後は這いずるように百回目を終えた。
(よく頑張った……私……)
日の高いうちに始めたはずなのに、辺りは薄暗くなっている。
疲労困憊で、どうやって城に帰ったか記憶がないが、気づくと自室で、みつが濡れた手ぬぐいを用意してくれていた。
みつの御小言を聞きながら、着物をたくし上げ、丸出しにしたふくらはぎに、手ぬぐいを巻きつけて冷やす。あまりの気持ちよさに、思わず大の字になって寝転がる。
すっかり燃え尽き、ぼんやりと天井を見ていると、一度下がったみつが戻ってくる気配がした。
「姫様、若殿がお見えになられましたよ……って、何とはしたない‼」
「鶴、いかがしたか?」
完全なるくつろぎ体制を見られてしまった。
珍獣を見る目で私を見る泰久様に、(いい加減慣れてよ!私はその目で見られるの慣れたわ!)と心の中で逆切れし倒す羽目になった。
みつを下がらせ、二人っきりになった部屋の中。
何とか居住まいを正した私に、泰久様は静かに、しかしハッキリと告げた。
「明日、出陣することとなった」
覚悟していたはずなのに。武士の妻としてきちんと受け止められると、そう思っていたはずなのに。
「……嫌です」
口から零れ出てしまう。
駄目だ、こんなこと言ったって泰久様を困らせるだけなのに。
「行かないでください。お願いします。死なないで」
止めようとしても、次々と女々しい言葉が飛び出す。涙が溢れてきて止まらない。
子供のようにしゃくり上げ、言葉にならない私に、泰久様はそっと近寄ってくる。
ふっと、泰久様の腕に包まれる。
「必ず帰ってくる。どうか待っていて欲しい」
抱きしめられているんだ、と気づく。意外と筋肉質で固い胸板に顔を押し付けていると、泰久様の手が私の背中を優しく擦る。
私も泰久様の背中に手を回し、力いっぱい抱きしめる。
一瞬、泰久様の手が戸惑ったように止まったが、やがて強く私の体を抱きしめた。
絶対に離したくない。その一心で私は泰久様に縋り付き続けた。
そのまま熱い波に、身を任せた。
どれくらいの時間が経っただろうか。外は薄っすらと明かりが差しつつある。
隣の泰久様が起き上がる気配がし、慌てて体を起こす。
「鶴、大丈夫か?」
心配そうに問いかけられ、とたんに恥ずかしくなる。
「だ、大丈夫です……」
真っ赤になった顔を背け、慌てて着物を整える。
支度を整える泰久様に、昨日は渡す余裕のなかった御守りを差し出した。
「これは……御葉神社の護り石か?」
「はい、私の念をたっぷり込めました。泰久様を御守りしてくれるはずです」
その気になれば、怨霊になれるポテンシャルを持っている私だ。
おそらく強力な念の持ち主だと、勝手に信じている。
「ありがとう。肌身離さず持っていくことにする」
笑顔を見せる泰久様を見ていると、また涙が出そうになったが、今度は食い止めることができた。
城中で出陣式が行われ、義父率いる御影軍はいよいよ戦場に発つこととなった。
鎧兜に身を包み、馬に乗った精悍な姿の泰久様に、短く声をかける。
「ご武運を」
「行ってくる」
遠ざかる泰久様たちの背中をただ見送った。
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