第12話 若君、吐露する


【SIDE 若君】



「姫様!手が危のうございます‼」「姫様、それでは火が強すぎますよ」


 炊事場では女たちが大騒ぎする声が聞こえる。

 これはどういう状況なのか理解できず、私はただただ立ちすくむしかなかった。



 祝言の夜、たどたどしい挨拶を聞いた瞬間、北上の城で出会った娘であることに気づいた。

 髪を整え、化粧を施しているが、可愛らしい声と、真っすぐな目は全く同じ。

 あの時、好ましいと思った印象そのままの姫であった。


 嬉しいと思うよりも、猛烈な後悔に襲われた。

 圧倒的な格下の家に嫁がされ、しかも今後の情勢によっては身の安全すら保障されない、姫にとってはあまりに過酷な婚儀だ。必死に逃げようとするほど追い詰められたのは、痛いほど分かる。

 それを、薄っぺらい励ましで逃げ道を塞いでしまったのは、私だ。


 しかも、覚悟を決めて嫁いできたであろう姫に、更に苦労を背負わせようとしている。


 今更謝ることもできず、気付かぬふりをしてやり過ごす卑怯な自分。

 罪悪感から姫の顔をまともに見続けることができず、早々に眠ったふりをし、更に翌日には自分の屋敷に逃げ込んでしまった。


 夫としての役目を果たすつもりのない私が接することは、姫に負担になるだろう。

 姫がせめて心煩わされることのないよう、御影家中の冷たい目から遠ざけ、不自由無く生活できる環境を整えることが最善だと、言い訳をしながら。


 そんな私の愚かしい考えをものともせず、姫は私に寄り添おうとしてくれた。

 逃げてばかりで、まともに説明すらしない男に、愛想を尽かしても当然なのに、こんな所までやってきてくれる。

 家臣の妻に頭を下げてまで、やったこともないであろう炊事に挑戦している。


 疲れ切った顔をしている乳母や琴と対照的に、「どうぞお召し上がりくださいませ」と得意げな顔で膳を出してくる姫に、心の中で深く謝罪した。



 ◇◇◇◇



「昨日、奥方様が井戸で水を汲まれていたそうで、うちの妻が驚いておりましたぞ」

「うちのは先日、畏れ多くも奥方様に洗濯の仕方を教えたなどと申しておりまして、大変ご無礼を致しました」


 最近、家臣らから毎日のように姫の動向を聞かされるようになった。


 あの後も、姫は毎日我が家にやってきては、自ら家事をし、夕刻、私の帰りを待って城に戻っていく。

 一切私を責めるようなことも言わず、何も求めず、ただただ家臣の妻たちと同じように働く。

 止めようとしても、「私のやりたいように過ごしてよいとおっしゃったのは殿でございますよ」と言われ、全く聞いてもらえない。


 北上家から何か言われるのではないかと少々怖いが、一方で家臣達からの評価は様変わりしている。


 近年、当家の北上家に対する感情は悪化の一途を辿っている。今回の婚儀に関しても、北上家からの露骨な圧力だと反発の声は強く、姫に対しても嫁ぐ前から印象は悪かった。

 しかし、姫はいつの間にかその空気を変えている。家臣の妻たちと交流し、教えを請い、その裏表のない明るい性格で女性陣を味方につけてしまった。


 そして妻たちは家に戻ると、夫に姫の話をする。妻たちから夫へ、そして御影家中に全体に好意的な空気が広がっていく。

 我が御影家の家風が単純で鷹揚であるとはいえ、姫は何の武力も権力も使わず、あっという間に空気を変えてしまった。


 これがもし策略だとしたら、もはや我々に太刀打ちできる術はないが、姫は今日も楽しそうに笑っている。


 そろそろ自分も姫に向き合わねばならない。

 その日、いつも通り帰ろうとした姫に、少し話があると呼び止めた。

 改まった雰囲気を感じ取ったのか、姫はいつも連れている乳母を部屋の外に出し、私の前に座った。


「当家のことで、姫様にお伝えしなければならないことがあります」


 姫は無言で私をじっと見つめ、次の言葉を待っている。


「私はおそらく当家の家督を継ぐことはないでしょう。当家には私より跡継ぎとなるべき血筋の人間がおります」

「……そのお話は私が聞いてもよいのですか?」


 姫は静かに問い返してくる。北上家の娘である姫に離すということは、北上家に筒抜けになるということだ。それは正直望ましいことではないが、どうせ北上家の密偵はすぐに掴むだろうし、既に掴んでいる可能性も高い。


「……私は貴女に隠し事をしたくない」


 正直な思いを口に出すと、姫は目を丸くし、顔を赤くして少し笑う。

 そのコロコロと変わる分かりやすい表情を見つめ、意を決して伝える。


「実は亡くなられた兄上の正室、千代殿が身籠っておられた。間もなく産まれますが、男児だった場合、当然その子が当家の跡取り。私はその子が成人するまでのつなぎに過ぎませぬ」


 流石の姫もかなり驚いた表情を浮かべている。


「さようでしたか……。存じ上げませんでした」

「無事産まれるまでは何としても守らねばならぬゆえ、御影の一部で秘しておりました」


 跡継ぎが生まれることをよく思わない勢力から。今、その中には同盟国であるはずの北上家も含まれている。


「故に、私が子を為せば争いの種になる。それだけは避けねばならないのです」


 姫に恐ろしく酷なことを言っている自覚はある。

 泣かれても憤られても何も言えない、と姫の言葉を待った。


「それは仕方ないですね。承知いたしました」


 私の想像に反し、姫はあっけらかんとした声で話し始めた。


「北上の父は御影家の外戚となって乗っ取ろうとしていますもの。殿のご判断は間違っていないと思います」


 ずっと悩み続け、相当な覚悟をして打ち明けた話を、姫は簡単に受け入れてくれた。


「でも、私が言うのもなんですが、北上の密偵は相当入り込んでいます。父は目的のためなら何をしてもおかしくありませんので、露見したら危険かもしれません」


「私の方でも、どこまで掴んでいるか少し探ってみますね」とごく当たり前に御影家のために動こうとしている姫。

 この姫はもはや私の想像を超えている。もしこれが巧妙な罠だとしても、もう私はどうしようもなくこの姫に惹かれている。


「それから一つお願いがあるのですが」

「何なりと」


 即答した。これだけ苦労を掛けているのだ、姫の頼みであれば、どのような無理難題でも聞こうと決めている。


「そろそろ敬語を使うのをやめてくださいませんか?あと、私のことを姫と呼ぶのも」

「えっ?」

「私は貴方様の妻ですから」


 次第に声が小さくなっていく。


「鶴とお呼びください」と恥じらうように言う妻は、この上なく愛らしかった。

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