第11話 姫君、修羅場
なんで私は気付かなかったのだろう。
泰久様はこの時代では立派な成人男性。御影家の若君で、しかもあれだけのイケメンだ。
側室の一人や二人、いて当たり前。
主家の姫を正室に迎えるにあたり、憚って側室をこっそり別宅に移すなんて、簡単に想像できたのに。
勝手に思い込んで、勝手に突っ走って、何やっているんだ。
(側室の家に突撃するなんて、私、相当ヤバい女だ……)
正室とは言っても、昨日結婚したばかりの名ばかり妻。こんな美しい女性と戦う覚悟も自信も、あるはずがない。
ショックと恥ずかしさに襲われ、回れ右をして帰ろうとするが、それより早く女に呼び止められた。
「もしや、鶴姫様でございますか?」
おっとりと小首を傾げる女にやむなく向き直るが、何と言うべきか分からない。
そんな私の心中を察してか、みつが私の前に庇うように立つ。
「いかにも。そなたは何者じゃ?」
みつの問いかけに慌てて返答したのは、女ではなく熊だった。
「ご無礼を。これはわしの妻で琴と申す。おい、琴!」
「あらまあ、大変失礼しました。琴と申します。お見知りおきくださいまし」
しっとりとした色気漂う美女が、ニッコリと頭を下げる。
「生熊殿の……奥方?」
「まことですか?」
みつも恐らく私と同じことを考えていたのだろう。思わず失礼なことを口走る。
「まあまあ、本当ですよ。もしかして誤解させてしまいましたか?」
琴殿は気にした様子もなくコロコロと笑う。
「若様は侍女を置いておられぬので、わたくし共で、時々お掃除などを手伝わせていただいておりますの」
横で熊も同意するように頷いている。
「若様は大変真面目な方ですので、奥方様のご心配にはおよびませんよ。わたくしも旦那様一筋ですし」
うっとりと熊を見つめる美女。
「人前でそのようなことを申すでない」と言いつつデレデレの熊。
突然繰り広げられるリアル美女と野獣の世界に、私とみつはただただ圧倒された。
◇◇◇◇
今、泰久様は近隣の村に視察に行っているとのことで、勝手に上がらせてもらい、お帰りまで待たせていただくことにした。
中は確かに狭い。調理場がある広い土間と三部屋しかない。
この家には馬の世話のために下男を一人置いているだけで、細々とした家の中のことは、近隣に住む家臣の妻たちが交代で手伝っているらしい。
「若様はなかなか他人に頼らない方ですからねえ」と言いながら、琴殿は慣れた手つきで炊事場に立っている。その姿になぜか少し胸がチリチリした。
琴殿と話をしていると、それほど時間を置かず、外から馬の蹄の音が聞こえてきた。「おかえりなさいませ」という熊の大声が聞こえる。
「又七、今日は城に詰めるのではなかったか……えっ?」
「おかえりなさいませ」
熊の後ろから顔を出し、新婚の妻らしく、とびきりの笑顔でお迎えする。
凍り付く泰久様の顔に、一度沈んだ気持ちが再び怒りとなって燃え上がってきた。
不穏な空気を察してか、熊と琴殿は、「とにかくお二人で話し合ってください」と、そそくさと外に出ていった。
みつも部屋の外で待機している。
「このような所までお越しになるとは……何かご不便でもありましたか」
恐る恐るといった様子で泰久様が聞いてくる。
「ございました。何故私を置いて、勝手に、ご自宅にお戻りになられたのですか?」
「ここは見ての通りのあばら家ですので、姫様にはとても」
「でしたら、殿が城に住まいを移されれば良いではないですか?」
「それはできぬのです」
そもそも、三男とはいえ、他の兄弟が亡くなった今、泰久様は唯一の跡継ぎ。
ならば当然城に住むべきなのに、なぜ城下にいるのか、全く分からない。
「これは当家の事情です。姫様には何の非もありません」
しかし、泰久様はそれ以上の理由を語る気は無いようだった。
言葉は丁寧なのに、高すぎる壁を造り、一線を引いている。
今日は感情のアップダウンが激しかったせいか、自分でも気付かぬうちに、涙が滲んできた。
「姫様‼」
泰久様が焦って近寄り、手を差し出しかかってくれたが、すぐに引っ込めた。
「やはり無理やり娶らされた北上の娘など……」
と言いかけて、その先の言葉に詰まる。口から発すれば、自分が傷つくと分かっているからだろうか。冷静に話したいのに、情緒不安定な自分が嫌になる。
「そのようなことはない!姫様は私にはもったいない方です」
「ではなんで……」
「……今はまだ、お伝え出来ません。申し訳、ございません」
泰久様は絞り出すような声で頭を下げる。
私よりよっぽど苦し気な顔で俯く泰久様を見、私は静かに立ち上がった。
「……城に戻ります」
振り返ることなく城に向かって速足で歩く。
みつと熊が慌てて追いかけてくる気配があったが、泰久様が追ってくることはなかった。
◇◇◇◇
明朝。
「殿、おはようございます!」
寝起きの顔で呆然とする泰久様。ぽかんと口を開けた顔もまた、麗しく感じるのは惚れた弱みだろうか。
(また、心の中のイケメンフォルダが潤ったぜ)とか考えながら、どんどん家の中に押し入る。
「朝餉を作りますね!少々お待ちください」
もちろん私一人で作れる訳もないので、みつと琴殿を引き連れてきた。
朝っぱらから大迷惑なはずなのに、二つ返事で了承してくれた琴殿は、
「若様、奥方様はなかなかの強敵でございますよ」
とおかしそうに笑っている。
切り替えの速さが、私の長所だと自負している。
政治のことも、家同士の複雑な事情も、難しいことは分からない。
だが、私は自分のできることをやる、そう決めたのだ。
泰久様が壁を作っていることは分かるが、史実通りにいけば、私たちに時間は無い。
いざ、押しかけ女房作戦スタート。
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