第10話 姫君、突撃する

 自分で言うのは何だが、私は前世からそれほど怒るほうではない、と思う。

 イラッとすることはあるが、大抵のことはスルーするし、せいぜい心の中で呪いをかけるぐらいに止めている。


 例えば今、泰久様の遣いでこの書状を持ってきた、熊のような大男。

 確か北上の城で私を引っ捕らえて脅してくれた男だと思うが、別に怒りとかはない。

 向こうは全く気づいていない様子だし、あの時は、私にも問題があったし。


 だが、一見親切ぶっているこの書状の内容には、非常にムカついた。


(何を考えているか分からない人だとは思ったけど、新婚早々なにやってんの?政略結婚の意味わかってんの?そんなに私が不満か。わからんでもないが)


 荒ぶる心の中を出さないようにして、できる限り穏やかに話しかける。


「そなた、生熊殿とおっしゃいましたね?」


 自分でもびっくりするくらい低い声が出た。

『熊』こと、生熊又七郎殿がビクッと肩を震わせる。


「はい」

「我が殿はいずこにおわすのかしら?」

「与三郎様……いえ、若殿はですね、あの」

「はっきり答えなさい!」

「はいぃ!」


 不思議なもので、北上の城で捕まったときは恐ろしく感じた熊が、今はちっとも恐くない。

 権力万歳。


「若殿は元服されてから、城下に屋敷を構えて暮らしておられまして、そちらに戻られたのかと」

「……ほう、私はその若殿に嫁いだと記憶しているのですが。妻と別々の屋敷に住むのが御影家の家風なのですか?」


 どんどん声が低くなる。

 私の声に反比例するかのように、熊の声はどんどん小さくなっていく。


「とんでもございません。ただ若殿のお住まいは、屋敷といっても古くて狭く、とても北上家の姫様を迎え入れるようなものではなく……」


 一生懸命話す熊を見て、少しずつ頭が冷えてきた。


(そうかいそうかい、他人には偉そうなこと言っておいて、自分はとっとと逃げるってか。そうはさせるか)


「おみつ、外歩き用の小袖を準備して。生熊殿、殿の屋敷まで案内なさい」

「姫様⁉」


 みつと熊の台詞がハモる。


「私は確かに北上の娘ですが、今は御影与三郎様の妻です。妻が夫のそばに行って何が悪いのかしら?」

「いや、しかし」

「それにこのままですと、私は北上の父に文を出さねばならなくなりますし」


 私の明確な脅しに、熊は屈した。

 みつは早々に諦めている様子で、侍女に着物の準備をさせている。


 熊とみつを連れ、私は堂々と城下に下りた。



 ◇◇◇◇



 嫁入り前の花嫁教育において、御影領は貧しい土地だ、と教えられた。

 山間部が多く、稲作ができる土地は限られ、商いの要所でもない。

 北上家と尾谷家という大勢力に挟まれ、戦術上は重要な立地であるがゆえに、情勢は常に落ち着かない。


 確かに、私が今歩いている場所は御影家の家臣が屋敷を構える区域、いわば御影領の中心部のはずだが、農民の家より多少大きいかな? 程度の屋敷が並んでおり、経済的に豊かだとは思えない。


 ただ、そこかしこで子供の声や、女たちの笑い声が響いており、人の生業や活気といったものが肌で感じられる。

 よく見れば、家や道も手が入っている様子がうかがえ、汚れた印象は全く受けない。


「活気がある、良い地ですね」


 思わずこぼすと、城を出て以来しょんぼりとしていた熊の顔が、ぱあっと明るくなる。


「ええ!そうでしょう!耕す地を持たなかった者たちを、御影の初代様が束ね、皆で造り上げてきた地です。この地は先祖から受け継いだわしらの誇りです」


 大男が子供のようにはしゃいでいる。

 そこからしばらく、御影家の歴代当主がいかに民思いで素晴らしい方々だったかの講義が延々と続いた。


「……そして今のご当代様に続くのです」

「なるほど」


 とんでもない熱量に少々引いたものの、純粋に御影家を慕っている様子はとても清々しい。

 また、北上家では完全に見下している御影家のことを、御影家側から聞けることはとてもありがたい。


 少し間をおいて、熊が恐る恐る話し出す。


「若殿も大変素晴らしい方です。いつも我々や民のことに気を配っておられ、自分のことはいつも二の次のお優しい方です。ただ、あまり考えを口に出されないので上手く伝わっていないと言いますか……」


 私は何と返事すれば良いか浮かばず、黙って熊の言うことを聞く。


「どうか、若殿を誤解されないでください」


 間もなく、泰久様の館に着いた。

 ……なるほど確かに北上の姫を迎え入れるには相応しくない家だ。

 周りの屋敷と大きさは遜色なく、若殿が住んでいるとは到底思えない。いったい何を考えているのか、さっぱり分からない。

 それでも、今は私の夫なのだ。直接話し合わねば、前に進まない。気合を入れ、生け垣の間をくぐったときだった。


 屋敷の玄関から若い女が出てきた。


「あら、どちら様でしょうか?」


 肉付きが良く、垂れ目で実に色っぽい女性だ。特に泣きボクロが素敵……と、関係のないことを考え、その直後、泰久様の家から出てきたという事実に、頭に昇った血がスッと引いていく。


 ……もしやこれは修羅場?

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