第9話 姫君、新生活を始める
夢を見た。
あれは小学校五年生の夏、校外活動でキャンプに行った時の夢だ。
その日は台風が接近していた。中止すべきという声が上がっていたが、「直撃しないから大丈夫」という校長の楽観的判断により、結果、私たちは暴風雨が吹き荒れるロッジで一夜を明かす羽目になった。
古い木造のロッジは絶え間なく揺れ続け、隙間風も吹き込み、今にも吹き飛ばされそうな状況。
先生方も不安を隠せず、子供たちは身を寄せ合って怯え、泣き出す子も出る中、私は手持ちのブランケットにくるまり、朝までぐっすり眠ってしまった。
「すごいね」「うらやましい」「図太い」「緊張感無いね」「どこでも生きていけるよ」と惜しみない称賛を浴び、得意げになっているおバカな私。
当時、褒められていると信じて疑わなかった、能天気すぎる自分をなぜか思い出した。
◇◇◇◇
閉じた瞼に、うっすらとした明かりが差し、夢から徐々に引き戻される。
鳥のさえずりと、近くからは衣擦れの音が聞こえる。
ぼんやりとした意識の中、手に触れる布は、前世のベッドではなく、北上家の布団とも違う。ここは……。
「どわ‼」
一気に覚醒し、奇声を上げて飛び起きる。
(普通初夜で朝まで爆睡する?すごいな私)
恐る恐る横を見ると、泰久様と目が会う。
どうやらもうとっくに起きていたらしい。紺色の小袖を羽織り、一人で着付けている最中でフリーズしている。
(もうイケメンのビックリ顔も見慣れたもんだぜ……じゃなくて)
「も、申し訳ありません‼」
勢いよく土下座する。この時代、夫の身支度は妻の仕事。夫より後までぐーすか寝ているなど、武家の妻としてあり得ない。
「い、いや、別に気にする必要はない。姫様もお休みになれたようで良かった」
恐らく彼に他意はない。嫌味ではなく純粋に言っているのだろうことは伝わってくる。
だが今この状況で優しさは逆につらい。
私が心に致命傷を負っているとはつゆ知らず、泰久様は慣れた様子で着替え終わると、
「追って父と母への挨拶がある。それほど格式張る必要はない方々だが、よろしく頼む」と言い残して去っていった。
入れ違いにみつや侍女がわらわらと入室し、あっという間に私の身支度を整える。
私の様子や布団の様子を見た侍女達は眉間にしわを寄せ、何やら物言いたげな視線を向けてくる。
(そりゃバレるよね。何もなかったことが)
取り合えず気づかなかったことにして、部屋を右往左往する多恵を見る。
新しい敏腕侍女がどんどん進めていくため、手際についていけない多恵はそれどころではない様子。いじめられるのではないかと、かなり心配だ。
みつだけが、いつもと変わらない笑顔で、「さあ、できましたよ。堂々と行ってきなさいまし」と送り出してくれた。
◇◇◇◇
御影家の広間で、泰久様のご両親、つまり御影家の当主夫妻と面会する。
無事、婚儀が終了したことを泰久様が伝え、続いて私が挨拶を行う。今回は淀みなく言えた。
御影家当主、御影久勝はやや横に大きめだが、決してデブではなく筋肉質な印象の偉丈夫だ。角ばった顔には大きな刀傷が入っており、いかにも猛将といった見た目で、泰久様と全く似ていない。
一方、正室であるお辰の方は細身の美人。年は四十歳を超えているらしいが、全くそうは見えない若々しさだ。(ちなみに人間五十年と言われていた戦国時代の四十代は、現代の感覚とは全然違う)
どうやら泰久様は母親似らしい。
「まことに美しい姫君で。与三郎にはもったいないくらいですね」
「ええ、まことに。畏れ多いことです」
私とは比べ物にならないくらい美形な母子の会話に、曖昧な微笑みを張り付ける。
そもそも義母上、にっこり笑っているのに目が笑っていないのでとても怖い
こちらに向けられる視線に、思わず背筋に冷や汗が伝う。
一方義父上は全く気にしていない様子で上機嫌。北上家に思うところもあるはずなのに、そんな様子はおくびにも出さない。たぶんこの人は良い人だ、と直感で感じる。
「姫は北上家と御影家の友好の証だ。何卒よしなに頼むぞ」
◇◇◇◇
さて、自室に戻ったものの、大変退屈な時間がやってきた。
やることがないのだ。
義母上に何か手伝いを……と聞いたところ、「北上家のお姫様に仕事などさせられません」とバッサリ断られた。
「どうぞお部屋でごゆるりと」とあの笑っていない目で言われてしまえば、それ以上食い下がることもできず、自室に戻った。
あまり大きくもなく新しくもない御影家の館で、私に与えられた部屋は日当たりも良く、畳や襖もきれいに直されている。
道具類も何不自由なく揃っており、主家から来た姫君に対して気遣いを感じる。
(でも、これお客さんへの対応だよね)
御影家の侍女や家臣は私にはまったく寄り付かない。
用事を申し付ければ速やかに動いてくれるし、嫌がらせなど全くないが、とにかくよそ者として壁を作られ、部屋で静かにしていて欲しいという気配をひしひし感じる。
かといって、北上家から連れてきた侍女とは、全く打ち解けていない。
話しかけても会話が続かず、気まずい沈黙が流れる。
(また出歩いてみる?でも、ただでさえ警戒されているのに、流石に
とりあえず、次に泰久様にお会いした時に相談してみよう、と決める。
困らせるかもしれないが、あの人なら邪険にはしないだろうと、根拠なく思っていた。
ところが、泰久様の行動は私の想定を超えていた。
結婚わずか二日目にして、妻の所に来なくなったのである。
「ご不便があったら何なりと家の者にお申し付けください。姫様は心安らかにお過ごしくださいますよう」などと書かれた泰久様からの書状を、私は思わず握りつぶした。
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