第8話 姫君、祝言を迎える
薄暗い駕籠の中、私は一人、勝ち目のない戦いに挑んでいた。
なにせ、すさまじく酔う‼
二人の担ぎ手が前後で運ぶ駕籠は、乗り心地は実に良くない。
戦国時代の道路が舗装されている訳もなく、時にゴツゴツとした悪路が続き、ゆっくり歩いても駕籠は左右にゆらゆら揺れ、胃も頭もフラフラしてくる。
外の景色を見ることもできない暗い駕籠の中、横になることもできず、腰も猛烈に痛くなってくる。
「おみつ……いつ着くの?」
駕籠の横を歩くみつに、いつになくか細い声で問いかける。
「そうですね、祝言は夕刻ですから、その前には着きますよ」
昼前に出発したのに着くのは夜……。誰かタクシーを呼んでくれ。
朦朧とした頭で現実逃避しながら、私は早くも後悔していた。
みつの予告通り、日が傾き始めるころ、ようやく私たち花嫁一行は御影家の館に到着した。
もはや足はがくがく、とても歩けるとは思えず、差し出されるみつの手を掴もうとしたが、頭の中に義母の怒声が響く。
(「御影家の人間として、決して無様な様子を見せるではない!!」)
悲しきかな、厳しすぎる花嫁教育のトラウマがよぎり、私は気合と根性で立った。
顔色の悪さはおそらくたっぷりと塗られた白粉でごまかせているだろう。
こみ上げてくる酸っぱいものを全力で抑え、前を見据え気力で進んだ。
(周りを睨みつけるとは、流石北上義泰の娘。何と気の強い姫君か)
などと、御影家の家来週に思われてしまっていたとは、この時の私は知る由もない。
◇◇◇◇
夜。館内で祝言が執り行われた。
静かな座敷内、夫となる人が隣に座り、三々九度の酒を酌み交わす。
この間、相手の顔をジロジロ見てはならないときつく言われていたが、好奇心に負け、こっそり顔を上げる。
(うーん、やっぱり格好良い)
北上の城で会ってしまった時の泰久様は、休息中だったのか、小袖に袴という質素な着物を着ていたが、今日は礼装姿で隙が無い。
真っすぐ前を見つめている横顔は、無表情であるが故に、人形のように恐ろしく整っている。
私の視線に気づいたのか、一瞬こちらを見た気がしたが、表情は一切変わらない。
儀式が終了した後も、心の中で悶える私を一顧だにせず、泰久様は座敷を後にしていった。
通常、祝言の後は夜通し宴会が執り行われる。
しかし、今回の婚儀では、御影家より「祝い事は最小限に控えさせていただきたい」との申し出があったとのことから、私はそのまま与えられた居室に戻ることとなった。
「北上の姫を迎えるというのに、なんと無礼な者たちか」
嫁入りにあたり、北上家より同行した侍女達が不満をあらわにする。
「ご嫡男がお亡くなりになられたばかりなのです。そのようなことを申すではない」
窘めるが、恐らく一切聞いていない。
彼女たちは元々私付きの侍女ではなく、新たに任じられた者たち。私の面倒を見るためではなく、密偵として付いてきたという方が正しい。
私なんぞ、主人だと思っていないことが態度で丸出しだ。
(まあ実際歓迎されていないようだけどね)
フラフラな体調ではあったが、駕籠を降り、御影の館に足を踏み入れた瞬間から、凍り付くような雰囲気は全身で感じた。
花嫁を迎え入れるというより、敵を迎え撃つという方が正しいような視線。
温度の感じられない定型文の歓迎の言葉。
いくら私が高校生から深窓の姫君に転生した、社会人経験ゼロの世間知らずとはいえ、そのくらいの空気は読める。
夫となった泰久様も、何を考えているか読み取れなかったが、少なくともこの婚儀を喜んでいるような顔には見えなかった。
(なんなら、今すぐにでも殺されそうな雰囲気じゃん。無謀すぎた……帰りたい)
ちなみに、泰久様とは北上家の城で出くわしてしまっているが、恐らくバレない自信がある。
なにせ、あの時の私は、筆舌に尽くしがたいほどブスな顔をしていた。
目は泣きすぎて腫れあがっており、顔は真っ赤、髪はボサボサ。自室に戻った後、鏡をのぞき、自分で悲鳴を上げてしまうレベルだった。
今の私は完璧に整えられた姫で、あの悲惨な姿の面影は一切ない。
我ながらなかなか悪くないと思える出来なのだから、大丈夫だろう。
……むしろ気づかないでくれ。
しかし、私の悩みは、それだけではない。
祝言の夜、最大のイベント? が待ち受けている。
自慢じゃないが、私はそっちの知識は豊富だと思う。(自慢じゃない)
なにせ現代高校生だったのだ。ネットにもSNSにも情報は溢れていたし、周りには彼氏持ちの友人も多く、その手の話は割と普通に飛び交っていた。
花嫁教育で、
だが、知識があるだけなのだ。
高校入学後、レキジョ街道を爆走していた私は、彼氏ができる気配など微塵もなく、実戦経験は一切ないまま、短すぎる生涯を終えた。
自分が当事者になるなど、考えるだけで心臓が口から出る。
(やっぱり帰りたい……)
「まだ覚悟が……」などという呟きは華麗にスルーされ、侍女たちの手で支度を整えられた私は、二組布団が敷かれた部屋に放り込まれた。
電気の無い戦国時代の夜は暗い。
燭台のぼんやりとした明かりが灯るだけの部屋で、襖を開ける音がする。
(つ、ついに……)
極限の緊張感の中、とにかく記憶だけを頼りに、手を突き、頭を下げ、挨拶をする。
「き、北上左京大夫義泰が娘、つ、鶴にございます。不束者ではございますが、よよよよろしくお願いいたしまする‼」
噛みまくった挙句、最後の方は何だかやけくそになってしまった。
沈黙が痛い。この空気感、ついこの前もあったぞ。
いたたまれない空気の中、ふっ、と笑ったような息と「面を上げられよ」と声が聞こえた。
目の前には泰久様が座っている。先ほどの正装と打って変わって白い夜着となった姿は、恐ろしいほどに色気が駄々洩れで、思わず鼻血が出そうになった。
女の私よりよっぽど色っぽいとは、これいかに。
「御影与三郎泰久と申す。こちらこそ田舎者ゆえ行き届かぬ点があるかと思うが、何卒よろしくお願い申し上げる」
祝言の時よりもいくばくか柔和な顔になった泰久様に安堵する。
とりあえず、今すぐに殺されることはなさそうだ。
「さて、鶴姫様におかれては、遠路お疲れでござろう。今宵はゆるりと休まれよ」
「へっ?」
そう言い残すと、泰久様はとっとと奥の布団に入って休んでしまった。
(こ、これはどうすれば……?)
異母兄嫁の
しばらく悩んだが、やむなく空いている片方の布団に入る。
(こんな状況で眠れるはず……)と悩んでいたはずが、いつのまにか眠りに落ちていった。
「……子狸ではなかったな」
夢の中で、つぶやくように小さい泰久様の声を聞いた気がした。
「逃がしてやればよかったのに、無責任なことを言ってすまなかった……」
意味不明な夢なのに、あまりにもリアルで、悲しげな声だった。
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