第7話 姫君、出発する

 ぼんやりしていても、いつのまにか部屋に戻れたらしい。

 帰った私を待ち受けていたのは、目を吊り上げで激怒するみつ、泣きそうな顔をした多恵だった。


 怒り心頭のみつ、そして着物を奪った挙句、汚してしまった多恵に必死で謝る。

 最終奥義土下座を繰り出し、無理やり許しをもぎ取ったが、そのまま自室に押し込まれ、部屋の前には他の侍女が三人体制で見張りに付くようになった。

 しかし、今の私は彼のことで頭が一杯で、そんなことを気にする余裕は無かった。


(御影泰久と会ってしまった……)


 縁談から逃げようとして、当の相手に出くわすとは。


 泰久の顔が脳裏に浮かぶ。

 怨霊姫の調査をしていた時、夫である泰久のことは、あまり詳しく調べていなかった。怨霊姫の物語において、泰久は結婚後、すぐに討ち死にする、モブのような存在だったから。


 でも実際は違う。冷たい顔もすれば優しい顔もする、笑いもする、心のある一人の人間だ。


 私はこれまで、とにかく自分が死なない方法を必死に考えてきた。でも、もしこのまま私が知る歴史の通りに進めば、一番最初に死ぬのは、あの人だ。


 見知らぬ異母姉妹の生死は全く関心がなかったのに、一度会っただけの彼が死ぬのは、物凄く苦しい。

 ごくわずかな言葉を交わしただけなのに、私はあの人を死なせたくない。


 戦国時代に転生してから、わずかに接点のある男性陣――父や、異母兄弟など――は、ごく普通に女性を駒として見ている。

 正室も側室も、身分の差はあれど、子供を産むことが第一。実家の力によって尊重されることはあれど、その女性を一人の人間として大切にしていると感じたことがない。


 それが戦国時代だと飲み込み、諦めていたのに、あの人は実に紳士的に、訳の分からない怪しげな侍女を一人の人間として扱ってくれた。

 ……そりゃ惚れるでしょ。いや、顔で判断している訳じゃないよ、性格に惚れたんだよ。


 心の中で一人言い訳しつつ、決意した。


 あの人を怨霊姫の夫として死なせるのではなく、鶴姫の夫の「泰久様」として絶対生き延びさせる。

 そして私も怨霊にならず、天寿を全うし、安らかに成仏できる生涯を送ってみせる!


 ……と、一人高らかに宣言したものの、今も昔も、私はなんの力も持たない小娘。いかんせんノープランノービジョン。数分後にはやっぱり弱気な自分が顔を出す。


(磔エンドが避けられなくなった時のために、最悪でも苦しまずに死ねる方法を考えておこう)



 ◇◇◇◇



 正式な輿入れ日が一月後と伝えられ、婚礼に向けた準備が急ピッチで進められた。


 嫁入り道具は日々座敷にうず高く積まれていく。

 どうやら北上家の圧倒的な財力を見せつけようと、かなり気合を入れて用意しているらしく、私が口をはさむ余地はない。

 更に私は、礼儀作法、書道、歌道、いわゆる花嫁教育を詰め込まれ、もはやテスト前の一夜漬け状態。


 ただでさえ忙しい中、イラっとしたのが、父が寄こした家老とやらからの教育だった。

 嫁ぎ先でいかなる情報を収集すべきか、どのようにして北上家へ伝えるか、夫を誑し込め、北上家の利となるよう動かせ……。


 スパイじゃん! いや、戦国時代の姫君には当たり前の役割ではあるんだけど。

 現代人の感覚が入った私は、実家のために夫を裏切るように働くのは気が進まない。

 しかしあまりに疎遠にしすぎると御影家と北上家の亀裂になってしまう。そうするとやっぱり磔?

 うーん、バランスが難しいな。


 今私にできること――知識を詰め込むことを必死にこなし、怒涛の勢いでその日は来てしまった。



 流石の私でも、その前日はほとんど眠れないまま、まだ薄暗いうちに起こされた。大勢の侍女たちに取り囲まれ、あれよあれよと化粧を施される。

 真っ白な小袖を着付けられ、これまた真っ白な打掛を掛けられれば、立派な花嫁さんになっていた。


 両親や一族が並ぶ中、広間で最後の挨拶を行う。

「北上家の娘として、しっかり役目を果たしてくるがよい」

「はい。今までありがとうございました」


 手を突き、深く頭を下げる。

 一月前に縁談の話を告げられた時と同じ状況。でも私の覚悟はあの時とは別のもの。


(絶対に生き延びて見せる。私も、泰久様も)


 駕籠に乗り込む。ゆっくりと持ち上げられ、私の花嫁行列は御影の領地に向かって出立した。


(いざ、出陣‼)


 意気揚々と出発した私だが、大いに後悔することになるのは、これから僅か数十分後のこと。

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