第6話 若君、子狸と出逢う
【SIDE 若君】
我ら御影家が武士を名乗り始めたのは、曾祖父の代からである。
「氏も素性も知れぬ連中」と言われているが、事実なのだから仕方がない。
厳しい山中でたくましく育ってきた強靭な家臣たち、そして結束力の強さが我らの誇りだ。
しかし、両脇を尾谷家、北上家という大大名に囲まれた小さな領土、個々の武のみで守り切れるほど乱世は甘くない。
祖父も父も北上家に頭を下げ、歯を食いしばって屈辱に耐え、家を、領地を、民を守り抜いてきた。
だが、北上家は、現当主・義泰に代替わりしてからというもの、領土拡大に邁進し、四六時中戦に明け暮れている。その度に従属している我々も駆り出され、血を流す。
家臣も民も、終わりの見えない戦に疲弊しつつあり、「北上家ではなく尾谷家の庇護に入るべし」という意見も上がるようになっていた。
それを止めていたのは一番上の兄だった。
兄は一族の中でもずば抜けた体躯と力を持ち、武勇に優れ、常に戦の先陣をきっていた。
「裏切りは武士の恥」と一喝する真っすぐな気質で、北上家からの離脱に反対し、そんな兄の言うことならばと、皆が従う。正に御影家の当主にふさわしい男だった。
しかし、そんな兄は、北上家の戦で死んだ。兄の死で皆の不満が限界に達し、止める者の無くなった中、一部の家老らは秘密裏に尾谷との交渉を始めており、当主である父も、それを黙認している。
御影家の情勢が大きく動こうとしている最中、北上家の使者が慇懃に告げてきたのは、北上義泰の娘と私の縁組だった。
◇◇◇◇
「何とか断れないだろうか」
「若、もう五十回は聞きました。断れません。そもそも北上の城まで来て、今更逃げられる訳がないでしょう」
有無を言わせず、北上家の居城に呼び出されたのが一昨日。
当主義泰に謁見させられ、「泰」の字を与えられ、名を改めさせられたのが昨日。
あとは来月、北上家の姫君が輿入れしてくるという。
さすがは北上義泰というべきか。
我々の離反の動きを早急に察知し、強烈な先手を放ってきた。
抵抗の余地すら与えず、猛烈な勢いで埋められていく外堀に、深い溜息を落とした。
そもそも私は家督を継ぐ気は全くないのだ。
武家に生まれた男子として、絶対に口には出せないが、私は戦が好きではない。
武勇第一の御影家に生まれ、幼少期から剣術、槍術、馬術、弓術とありとあらゆる武術を叩き込まれたが、私は兄弟の中で最も体が小さく、いつも兄たちに叩きのめされていた。
早々に自分が武士に向いていないと察した私は、密かに出家しようと決意するも、次兄が初陣で暴走し、あっという間に討ち死にしてしまったため、跡継ぎである長兄の予備として御影家に残る羽目になった。
その後はただただ戦場で生き残るために、敵の攻撃を躱すことや相手の隙を突くことばかりを追求し、古今東西の兵法書を読み漁った。逃げるために、馬も極めた。
結果、なぜか乗馬の達人だとか槍の名手だとか、果ては軍略家だとか、噂だけが膨張していくことになってしまったが、十四歳の初陣以来、何とか生き延びてきた。
だが、それは目立たない三男坊だったからだ。
跡継ぎなんぞになったら、敵方は首級を上げようと殺到してくるだろうし、味方の士気を上げるため先陣に立つ必要もある。とても自分にできるとは思えない。
「美しい姫だと良いですね。でも北上家の方々を見る限り、あまり期待しない方が良いかもしれませんね」
人の気も知らず、乳母兄弟の
「どうだかな。もうおとなしい女ならなんでも良い」
ふと昨日の謁見の際、義泰の隣にいた正室を思い出す。容姿は美しいのかもしれないが、冷ややかな目でこちらを見下す表情を隠そうともしていなかった。
あんな高慢な女だったら……と想像すると、ますます気が滅入ってきた。むしろ、妾腹とはいえ北上の姫だ。圧倒的格下である
覚悟しておくべきかもしれないと、もう何度目か分からない溜息を吐いたときだった。
――ガサガサッ
庭の植え込みから派手な音が聞こえた。
そばの家臣たちに緊張が走る。又七は槍を掴むと素足のまま飛び出していった。
「何者だ⁉」
又七の怒鳴り声が聞こえる。
従属しているとはいえ、ここは他勢力の城。跡を継げる者を根絶やしにし、御影を滅ぼそうと考える者がいたとしても、不思議ではない。
しばらく座敷から様子をうかがう。騒然とした雰囲気は漂っているが、特に殺気は感じられない。
念のため腰に刀を差し、表に出てみると、又七が若い娘を捕まえていた。
髪はボサボサで所々木の葉が付き、這って動いたのか、着物にも泥汚れがついている。
顔は涙と鼻水で酷い有様。こんなに崩れた女の顔は見たことがないな、と失礼なことを考えつつ、又七に事情を聞く。
すると、娘も必死に声を出してきた。
焦っているからか、随分早口になっているものの、可愛らしく聞き取りやすい声だ。
こんなに動揺を丸出しにする忍びはあり得ない。
侍女の着物を着、顔は悲惨な状況だが、よく見ると肌は白く手も荒れている様子が一切ない。相当な世間知らずの雰囲気もあり、どうやら侍女ではなさそうだな……と察する。
何やら「逃げ出したい」とか、随分物騒な内容を大っぴらに話し、感情を前面に出す姿。
変わった女だと思ったが、不思議と不快感はない。
取り繕うこともなく必死に訴えてくる姿に、山で子狸を見かけた時のような、何とも言えない微笑ましい気持ちになる。
泣いて腫れた顔が、どことなく狸にも見えてきた。
(……可愛らしい)
思わず浮かんできた感情を慌てて打ち消す。我ながら少し趣味がおかしい。
嘘を言っているような印象は受けなかったので、又七に娘を離させた。
なにせ又七はじめ、当家の家臣は他家と比べても、大層厳つい。大柄な男たちが娘を取り囲んでいる姿は、熊の群れの中に放り込まれた狸、もしくは山賊に捕まった村娘にしか見えない。これではどう考えてもこちらが罪人だ。
グズグズと泣く娘を哀れに思い、思わず彼女を励ますようなことを言ったが、すぐにこれは自分自身に言っているのだと気づいた。
(そうか、私はまた逃げたいと思っている。何も考えず無責任に)
軟弱な三男坊だと馬鹿にされたこともあるが、一族も家臣も皆気の知れた仲間。
なんだかんだ言いつつ、自分を大事にしてくれているということは痛いほど分かっている。
例え兄のようにはなれなくても、御影の血でできることがある。
名も変わった。これからは御影与三郎泰久として、自分のやり方で戦わなければならない。
とぼとぼと来た道を帰っていく、名も知らぬ娘の背に、彼女の行く末が安泰であることを祈り、そして苦笑する。
――自分のことで精一杯なくせに、人の幸せを願うとはな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます