第5話 姫君、一目惚れする
私を取り囲んでいた男たちが居住まいを正し、声の主に対し、一斉に頭を下げた。
熊も頭を下げるが、私の腕を掴む力は全く緩まない。
「若殿、不審な者がおりましたゆえ、ひっ捕らえました」
「不審な者?その女か?侍女に見えるが」
「木の下を這って進む侍女はおりません」
「……確かに。それもそうだな」
「違います!私は怪しい者ではありません‼」
あっさり納得してしまった男に焦った私は思わず口を出してしまった。
慌てて顔を上げると、若殿と呼ばれた男と目が合ってしまった。
(えっ、かっこいい……)
熊の群れの中にいるせいか、体格は小柄に見えるものの、その体は決して華奢すぎず、男性らしさを感じるものだ。
切れ長の目は吊り上がり気味だが、涼し気で、鼻筋は通り口元も整っている。
転生してからの私は、姫君としてひっそりと暮らしていたため、ほとんど男性と接する機会がなかった。
顔を合わせる機会があるのは、父や異母兄弟など、北上一門の男たちであるが、残念ながら北上家はあまり美形の家系とはいいがたく、どことなく厳つく、のっぺりした顔の造りをしている。
戦国時代の顔はこういうものなのだろうと一人納得していたら、この男の顔はなんなんだ。
令和の日本でも、トップアイドルかイケメン俳優として、十分に持て囃される容姿だろう。
戦国時代にもこんなイケメンがいたのか……と呆然としていると、イケメン、もとい若殿が問いかけてきた。
「そなた、侍女のようだが、いったいここで何をしていた?」
「あ、あの、道に迷ってしまいまして……」
とっさに本当のことを言ったものの、我ながらあまりにも嘘くさい。
周りも同様だったらしい。胡散臭げな目線と沈黙が刺さる。
「北上家の侍女が屋敷内で迷うわけがなかろう。しかもここは客間の外れ、侍女が入ってくる場所ではない」
若殿はあくまでも冷静に淡々と問い詰めてくる。口調は相変わらず穏やかであるが、言葉一つ一つが刃物のように鋭く、大柄な男たちの恫喝よりもよほど迫力があった。
「ほ、本当なんです。私、城から出ようと思っておりまして、こっそり出口を探していたところ、こちらに迷い込んだ次第でございまして……」
この場を切り抜けれるような気の利いた言い訳なんて思いつかない。敬語がどんどん怪しくなっているが、とにかく正直に白状した。
「城から出る?」
「はい、逃げたいんです!」
話しているうちに、感情が高ぶっていく。
気が付いたら戦国時代で、一年後には処刑される姫君になり、逃げようとしたら、怖そうな男性陣に囲まれて槍を突きつけられている。
こんな状況、凡人の私には耐えられない。いくらイケメンがいたところで、テンションが上がるほど能天気でもない。
「私は、死にたくありません!」
涙と鼻水が溢れ出す顔で、叫ぶように言うと、若殿は目を見開いて唖然としている。
若殿だけではない。熊も周りの男たちも、ドン引きしている雰囲気がひしひしと感じられた。
しばしの沈黙の後、若殿が熊に命じた。
「又七、離してやれ」
「いや、しかし……」
「問題ない。こんなうるさい忍びを北上家が飼う訳ないだろう」
熊に離され、私はその場にへなへなと崩れ落ちた。
すっと、目の前に手ぬぐいが現れた。顔を上げると若殿が差し出してくれている。
心までイケメンなのか……。
今更ながら、イケメンにとんでもない顔面を晒していることに気づいた私は、あわてて顔をぬぐった。急に猛烈な羞恥に襲われる。
いきなり庭から現れて、泣くわ喚くわ、どう客観的に見ても、私完全にヤバイ奴じゃないか。
「侍女殿、この乱世、思い通りにいくことの方が少ない。いつ命を刈り取られてもおかしくない時代だ」
静かな声に思わず若殿を見上げる。
「私としては逃げることも一つの選択肢だとは思う。だが、戦うにしても、逃げるにしても、策を練り、準備を整え、ありとあらゆることを先読みした方が生き残る。無鉄砲は死ぬだけだ。何があったか存じ上げぬが、もっと御身を大事になされよ」
女など駒として扱われ、意思など尊重されないこの時代に、初対面のたかだか侍女――しかも明らかに怪しい――に対して、この人はなんて真剣に向き合おうとしているのだろう。
ぽかんと口を開けた間抜け顔のまま、若殿の整った顔を見つめる。
若殿は少し照れたように笑い、冗談めかして続けた。
「まあ、無事に逃げられたら、我が領の
「与三郎様もしょっちゅう逃げ込んでおられましたからな」
「童のときの話ではないか」
豪快に笑う熊と若殿。先ほどまでの緊張感が嘘のような和らいだ空気が漂う。
だが、私は聞き捨てならない単語に再び硬直した。
「陽玲寺……?」
「存じておるか?我が御影領の北、山奥にあるボロ寺だ」
聞いたことがある。前世だが行ったこともある。怨霊姫の墓が建てられていた寺だ。
ということは……。
「ご無礼ながら、貴方様はもしや……御影泰久様……?」
「そうだが。昨日賜った諱がもう伝わっているとは、我らも随分名を上げたものだな」
諱をいきなり呼ぶという、この時代ではとんでもなく失礼なことをしてしまったが、若殿は特に気にした様子もなく笑う。
笑うと意外に幼く、何だか可愛らしいなと、こんな時なのに場違いなことを考えてしまった。
我ながらなんて単純なんだと思いつつ……。
私鶴姫は、前世も含め、初めて好きな人ができてしまったかもしれません。
この先に破滅が待つとわかっていても。
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