第4話 姫君、逃亡する
頭が痛い、目が回る、お腹が痛いとありとあらゆる言い訳を使い、布団にこもって一週間。
私考案「虚弱体質で破談に持ち込もう作戦」は失敗の気配が濃厚に漂っていた。
なにせ戦国時代。スマホもなければテレビもない。寝ていてやることといえば天井を見つめるだけ。鶴姫自身も、元々はお転婆姫としてみつを泣かせ続けてきた実績の持ち主だった上、妙なところでアクティブだった前世の人格も混ざってしまっている。
破談の前に、私自身がストレスで破裂しそうだった。
しかも、肝心の縁談については何の音沙汰もない。調子の確認一つなく、むしろ誰も気に留めてないのではないか……と薄々感じている。
(生きてさえいれば別にいいってか。はぁ、戦国時代の姫君可哀そうすぎるでしょ。……しかしまずい、このままじゃ時間が無い!)
「んもう‼」
思わず姫にあるまじき声を出すと、そばに座っていた侍女が飛び上がった。昨年から出仕している侍女・多恵は、とてもおとなしく、気の弱い子だ。
突っ込みを入れることもなく、奇声を上げた主人を恐る恐る見つめている。
今控えている侍女は多恵一人、みつもちょうど席を外している。
(もういい、こうなったらやむを得ない。プランBに移行しよう)
「多恵、少し着物貸してくれないかしら?」
「……はい?姫様、いきなりどうされたんですか」
「少し外の空気を吸いたくて……」
我ながら前後の文が全く繋がっていない。意味不明すぎる申し出に、多恵が驚愕のまなざしでこちらを見つめている。
「ずっと寝ていたから少し動きたいのよ。でもこのまま外に出るわけにもいかないし、いつもの着物に着替えるのもめんど……いや、体に負担がかかる気がして。侍女の着物なら動きやすいし、もし誰かに見られても騒ぎにならないと思うの。少しの時間だけだから。さあ着替えて」
こういう時は、相手に考える時間を与えてはならない。マシンガントークで有無を言わさず、私はあっという間に多恵の着物をはぎ取った。
もはや立派な変態、もしくは追いはぎである。
事態についていけず、フリーズする多恵に明るく微笑みかけた。
「しばらく私の代わりをお願いね」
◇◇◇◇
北上家の城は広い。姫である私が過ごすのは『奥』と呼ばれる大名のプライベートスペースで、正室である義母の管理のもと、複数の側室や、未婚の異母兄弟姉妹が部屋を与えられている。
私付きの侍女は多恵と、乳母のみつだけであるが、奥全体では多くの侍女がせわしなく働いており、侍女の着物で歩く私を気に掛ける人はいない。
私の生母は、側室の一人であったが、私が赤子の時に流行り病で亡くなったという。
名目上、正室の養子となったものの、面倒を見てくれたのは乳母のみつ、ただ一人。父も、正月など奥一同で挨拶をする行事以外で顔を合わす機会はなく、直接名前を呼ばれたのも、先日が初めてのような気がする。
大方、御影家との融和を考える中で、ちょうど良い年頃の側室の娘がいたと思い出した程度の話だろう。
ここまで何不自由なく育ててくれたことには感謝している。でも現代人の記憶と思考が混ざったせいか、以前のように『家』のために自分を犠牲にすることが、どうしても納得できなくなってしまった。
(もう、逃げるしかない)
プランB、とりあえず脱走作戦。
お金もない、人脈もない、市井の知識もない、お姫様と女子高生の融合体である私が逃げるなんて、どう考えても無謀だ。そもそもこの城の出口すら知らない。更に、外は現代日本ではなく、戦国乱世。
プランBは、それこそ死亡エンドまっしぐらな選択肢なのだが、私はとにかく焦っていて、冷静な判断力を失っていた気がする。
自室を抜け出し、しばらく庭をがむしゃらに歩くと、小さな木戸を見つけた。見張りもなく、どうやら城の中の別の区画につながっているらしい。
くぐり抜け、整えられたツツジの下を這いずって進んでいた時だった。
「何者だ‼」
怒号と共に、目の前に槍の刃先が突き付けられた。作り物ではない、本物の刃物が的確に私の喉を狙っている。
初めての命の危機に、指先までフリーズした。声も出ず、呼吸をすることもできない。
痛いほどの力で腕を掴まれ、引っ張りあげられた。震えが止まらない足には力が入らず、立っていることもままならないが、がっちりと腕は掴まれたままであり、しゃがむこともできない。
私を掴む男は、熊と見間違うかのような大柄な男だった。ぼさぼさの髭を蓄え、片手に身長を大きく上回る長槍を軽々持ち、もう一方の手で私をぶら下げている。
声を聞いてわらわらと集まってくる男達も、揃いも揃って体格が良く、囲まれた威圧感は半端じゃない。
「忍びか?狙いは何だ?」
低い声で問い詰めてくる熊に私はとにかく首を振ることしかできない。否定しなければと思うのに声が出ない。恐怖で涙がとめどなく溢れてきた。
(殺されたくない!誰か助けて!)
パニックで呼吸も苦しくなってきた時だった。
「いかがした、又七」
座敷の方から若い男の声が聞こえた。
決して大声ではないのに、不思議とよく通る声。こんな状況なのに、なぜか心地よく耳に響いた。
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