第13話 姫君、窮地に陥る
「ならば私のことも、殿ではなく名で呼んでもらえるか?」
珍しく少し顔を赤らめた泰久様は、鼻血が出るかと思うくらい神々しかった。
◇◇◇◇
城の自室に戻り、しばし悶えた後、あらためて泰久様の話を振り返る。
確かに、亡くなられた嫡男の子が男児であれば、正当な後継者はその子だ。
家督を継げるようになるまでは十年以上かかる。その間、泰久様がつなぐのは自然な成り行きだろう。
御影家当主である義父も、泰久様も、家臣団も、その方向で一致していたのだ。
しかし、泰久様に主家である北上家当主の娘という、とびきり血筋の良い嫁(自分で言うな)が来てしまった。
北上は確実に御影家を乗っ取りに来ている。もし北上の血を引く子が生まれれば、その子を当主にするために、簡単に邪魔者を排除するだろう。
だから御影家は、懐妊中である亡き嫡男の妻を必死に隠している。
(だけど…)
私は前世の記憶を必死にたぐる。
御影家は江戸時代末期まで、小藩として存続している。
だが、史実では、泰久様が亡くなり、当主である義父上も亡くなった後、家督を継いだのは、泰久様の従兄弟にあたる一門衆の一人だったはず。
嫡男の子の存在は、どの資料でも見たことがない。
結局女児だったということなら良い。
そもそも子供の生存率の低い時代であり、成人を待たず、病などで幼くして亡くなったという可能性も十分にある。
――だが、もし何者かにより殺されてしまったとしたら。
その『何者か』が北上の手の者だったとしたら。
御影家が、北上家の姫を憎み、殺すのは、当然の成り行きなのかもしれない。
浮かんでしまった不吉な予感をぬぐい切れず、その日は寝つけぬ夜を過ごした。
◇◇◇◇
翌朝から、私は動き出した。
まずは、今、北上家がどこまで情報を掴んでいるのかを調べなければならない。
今、御影家に入り込んでいる北上の手の者といえば、まずは私、そして嫁入りについてきた侍女たちだ。
もちろん私は違う。北上家に定期的に文を送ってはいるが、内容はビックリするくらい脳天気な日常報告だ。
となると侍女だが、元々私に仕えてくれている乳母のみつと、侍女の多恵は密偵ではないと思う。ただの勘だが、傍でずっと見てきたのだ。みつは私のことを第一に考えて動いてくれているし、多恵は……密偵にしては、あまりにおっとりすぎる。
となると、確実に怪しいのは、嫁入りにあたり付けられた三人の侍女だ。
そういえば、私が泰久様の屋敷に通うようになった時、最初はブツブツ言っていた彼女たちだが、最近は何も言ってこなくなった。今日も私の朝の支度が終わると、スッと下がっていった。
今私のそばにいるのは、みつと多恵だけだ。
「ねえ、多恵?」
「!何でしょう‼」
そんなにビビらないでほしい。反射的に着物の襟元を握らなくても大丈夫だよ、剥ぎ取らないから。
「私はいつもおみつと泰久様のお屋敷に行ってしまっているけれど、皆退屈していないかしら?」
警戒感丸出しの多恵に、やんわりと聞いてみる。
「いえ、私はいつもお部屋の掃除ですとか、姫様のお召し物の手入れをしていますので。他の方は全然やってくださらないので……。あ、いえ、別に不満という訳ではなくて」
「大丈夫よ。いつもありがとう。それで、他の者たちはいつも何をしているのかしら?」
「さあ。いつも三人でコソコソと部屋に籠ったり、フラフラとどこかへ行ってしまったり……」
口を尖らせて不満そうにしていた多恵だったが、ふと思い出したように話し始めた。
「そういえば、あの方たちは最近、よく薬売りを呼び寄せておられます」
「薬売り……?」
「はい。一度お聞きしたら、何やら頭の痛みに効く良い薬だと。北上から送ってもらっているとか」
多恵は何げなく話しているが、その内容に、私は言い知れぬ不安を感じた。
「本日は所用に付きお伺いできません」といったことを書いた簡単な書面を多恵に預け、泰久様へのお遣いを頼む。多恵が出ていったあと、これまでただ静かに私を見つめていたみつに申し付ける。
「おみつ、あの者たちが今何をしているのか、確認したいのだけど」
「……かしこまりました」
みつが出ていったことを確認すると、一人で侍女たちの部屋に向かう。
私の部屋に比べたら遙かに質素で狭い室内には、人気はない。少しためらう気持ちはあったが、空き巣を開始した。
綺麗に片づけられた和室に、探すべき場所は多くはない。壺の中や畳の裏まで確認し、折りたたまれた薄い布団の間から、遂に探していたものを見つけた。
それは、白い紙に包まれた粉末だった。
◇◇◇◇
包みを着物の帯の間に隠し、自室に帰ると、みつは既に戻っていた。一人で出歩いていた私を、叱るでも責めるでもなく、静かに報告を始めた。
「あの者たちは、最近は下男や下女、庭師、出入りの商人に、御影家の家風を知りたいとよく聞いて歩いているようです」
彼女たちも知らない土地にいきなり来たのだから、その程度の行動自体は別におかしくはない。みつは続けた。
「先日、御影家で懇意にしている産婆は誰かと聞かれた者がいるようです」
「産婆?」
「姫様がご懐妊されている可能性があるため、教えてほしいと申していたようでございます」
私に懐妊の兆候どころか、夫婦関係すらないことは、傍で仕えている侍女たちが一番よく知っているだろう。
物凄くせっかちで準備万端な侍女なら良いが、今、懐妊中の女性を見つけ出そうとしているとしたら……。
「おみつ、すまないけれど、あの者たちを呼んできて」
◇◇◇◇
しばらくして、私の前に現れた侍女たちは、実に不機嫌な顔で座った。とても仕える相手に対する態度ではない。私はできるだけ明るく声をかけた。
「私が泰久様の屋敷にばかり行っていたせいで、貴女たちが体調を崩していることに気づかなかったみたいで。すまぬことをしました」
三人とも、いきなり何を言っているのかとピンと来ていない顔をしているが、私はそのまま続ける。
「何やら薬売りを呼んでいると聞きました。このような薬を飲むほど悪くなっていたなんて、気付かなかった私は主君失格ですね」
スッとあの薬の包みを差し出す。その瞬間、三人の顔色がサッと青ざめた。
(ああ、やっぱり)
明らかな動揺を見せる侍女たちに、包みの中身が薬ではないことを確信する。
動揺を隠しきれなくなったのか、一人の侍女が上ずった声で、聞いてもいないことを話し出し、他の二人も慌てて口を開いた。
「わ、私たちは北上家に仕えております。姫様が憂いなく、北上の血を引く跡取りを産めるよう環境を整えることが仕事です」
「我らは既に居場所を掴んでおります。姫様はゆるりとしておられれば良いのです」
「すべては北上の大殿からのご命令です」
それは紛れもなく自白。しかし彼女らは、私に罰せられるなどつゆほども思っていない。私が北上家の娘である以上、北上家の意向が絶対だと、確信しているからだ。
このまま放っとけば、間もなくこの薬は使われる。懐妊中の女性に対して。
警察も何もない時代、恐らく証拠が出ることはなく、表面上、私がすぐにどうこうなることはないだろうが、御影家の人々の中には、北上家に対する疑念と、深い恨みが刻みこまれる。
そしてそれは、泰久様が亡くなった時に、大いに爆発するだろう。
しかし、彼女たちの主君は北上の父であり、私が何を言っても、もはや止めることはできない。かといって、表ざたにして処断すれば、北上と御影の大きな亀裂となる。
今、両家の関係を悪化させれば、まず滅びるのは御影家だし、北上家も大きなダメージを受ける。
あくまで御影家とは無関係に、それでいて北上家に揚げ足を取られない方法で、毒と侍女たちを処理しなければならない。
(……最後の手段にでるしかない)
この薬包を見つけた時から、実は考えていた方法がある。ただしそれは、かなりの度胸と覚悟がいる。
だが、何の罪もない赤子の命を奪うことはできないし、泰久様も死なせたくない。
「そうね、貴女たちの言うとおりだわ。跡取りを産めるよう、まず私の体調を整えなきゃね」
若手名女優の気持ちで演じる。能天気で頭の足りない姫を。ぽかんとした侍女たちに口を挟む隙を与えないように。
「私が最近頭痛に悩まされているのに気づいて、気を使ってくれてありがとう」
私がしようとしていることに気づいたのだろう、みつが慌てて立ち上がるが、その前に勢いよく薬の包みを掴む。
一気に中身の粉末を自分の口に放り込んだ。
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