寒露
十月初旬。絵画を処刑した次の日。一気に気温が下がり、猛暑日から真夏日を通り越して秋になった。小望月が乗るバンのカーナビから、急激な気温差から体調を崩さないように注意しましょう、などと聞こえてくる。
少し広い路地の路肩に止め、朝のニュースですと続いた放送をエンジンごと切った。降りたのは晦の家の前。迷わずチャイムを鳴らし、秋風が僅かな枯れ葉をひっくり返す中で待つ。
出てきたのは、一人の男だった。
「何か、ご用ですか?」
「アトリエでアルバイトとして雇われている者だ。車で迎えに来た」
男は顔をしかめた。当然のことだが、初対面で敬語すら使わない小望月が不審者にしか見えなかった。
「そうですか。息子は今、体調が悪いので。……お引き取りください」
「今日は休むと?」
「いいや。でも体調が悪い子どもを外出させる訳ないでしょう。お引き取り――」
「僕はアトリエに行きますよ、お父さま」
男の後ろから、晦が顔を覗かせた。
男――父親の言う通り、決して具合が良いという血色ではない。
疲れたような表情も相まってか、昨日の今日で一気に窶れたように見えた。
「……でも」
「でも? 僕の命を、僕が使いたいように使って何が悪いんですかね」
「お前だけの命じゃないんだぞ。父さんと母さんが大事に育てた命だ」
「ええ。それはもう大切に。大事すぎてお互いに押し付け合いをしてましたものね」
父親は口を半開きのまま、唖然とした。晦はそんなことすら気に留めていない。
「さて、僕にはやらなくちゃいけないことがあるのでね」
「絵を描いて燃やすのなら、もう十分やっただろう。最期くらい、息子として接してくれよ!」
「接してますよ」
「そうじゃない……本当はお前だって、体力があったらスポーツとか、遊びにいったりしたいんだろ。仕方なく絵ばっかり描いてるんだろ。それくらい分からないと思うのか」
晦は無視して靴を履き、出てきた。
「では行ってきます。お父さま」
閉まりかけた扉の向こうで男は、悲痛に顔を歪めていた。
「迎えに来いなんて、業務命令を下した覚えはないんだがな」
「今日からは車で行くぞ。少しでも体力を温存するべきだ」
「ま。それはそうだな」
バンへ乗り、エンジンを掛ける。するとテレビ放送が唐突に始まり、今度は晦が顔をしかめた。彼はテレビも嫌いだった。
「天気を知るのに聞いていた」
小望月が音を切りながら言うのを、ため息をつきながら頬杖で聞いていた。
「スマホで調べろよ」
「それもそうだな」
アトリエまでは車で数分もかからない。しかし晦はその僅かな間を永く感じ、何とは無しに口を開いた。
「あいつの言うことは気にするなよ」
「父親か」
「あいつは父親なんかじゃない。お母さまの方もだ。どっちも僕の親なんかじゃあない」
ずいぶんと皮肉っぽく「お母さま」といい、晦はまっすぐに前だけを見た。
「僕を息子として扱い始めたのはな、僕の絵が売れ始めてからだ」
「金になると見たからか」
「違う」
運転席を見る。彼は少しも変わらない無表情のままでいた。
「理想の息子になったからだ。お利口にしていて、社会に出しても恥じない人間ってやつだ。勉強に上手く着いていけなかったときは、どっちの血筋がなんて夫婦喧嘩していたのにな」
そうして俯き、助手席に横になるみたいに姿勢を変え、小望月へ背を向けた。
「あいつらが僕を息子にするか決めるなら、僕もあいつらを親にするか決める。その結果があれだ」
小望月には、よく分からなかった。色々とあって家族はなく、血縁も調べていない彼にとって、家族はフィクションの産物でしかなかった。
アトリエに到着し、停車する。サイドブレーキの音がギギギと鳴っても、二人とも車から降りなかった。
「家族愛とかいうものか。お前が言いたいのは」
「…………」
「俺には分からないが、血が繋がっているだけで愛と言うものは発生するのか」
「…………」
「血は形質の遺伝であって、それを保護するという生物としての機能があるのは分かる。だからといって、それが愛という形で露顕するものか」
「知らないよ、そんなこと」
「俺もだ」
小望月はエンジンを切った。車が呼吸を止めても外の音は止まず、風と枯れ葉が煩いほどに響いていた。
「素人意見だが、家族は遺伝関係にある他人だ。夫婦はまだしも、親子は相性の良し悪しを選べるものではない。愛が何かというのは知らないから『受け入れること』と仮定するが、これは無条件で発生するものじゃないんだろう。家族であるという原因を、愛さなければならないという結果に結びつくかは怪しい」
「だったら何だよ。僕は受け入れられない人だって言いたいのか。絵がなきゃ価値が無いのかよ」
「そうじゃない。お前の父親がお前を受け入れると決めた切っ掛けが絵だっただけじゃないのか」
「同じことだろ……」
「少なくとも俺は、お前を愛している。絵を描いていなくともな」
不意を食った晦が、ゆっくりと小望月を見た。当の小望月はドアを開けた。
「仕事の時間だ、お姫さま」
慌てて追うように降りる。
「おい。な、なんだよ、今の」
「何がだ」
「だから……告白みたいな……」
「……?」
小望月は本気で分からないようだった。鈍感というよりは、思考回路に異常があるんじゃないか。
晦はそんなことを思った。
「だ、だから。その、愛してるって……」
「受け入れることを愛と仮定したからだ。お前を受け入れているというだけだが、それがどうかしたか」
「……なんなんだよ。もう」
本当に変な奴だな。今までも思っていたが、改めて再認識させられた晦だった。
「というかだな。お姫さま呼ばわりはもう止めだ。さりげなく呼ぶな」
「分かった。それより、話がある」
小望月は入口横のいつもの席に座った。晦も続いて座り、向かい合った。
「話?」
「提案だ。来月に二枚描き上げる計画を考えた」
「……? どういうことだ?」
時を追うほど体力を失っていくことは小望月も分かっているはずだった。それなりの考えがあるのだろうと、まずは最後まで聞くことにした。
「晦はいつも、考えながら描いているな。それだとかなり消耗する」
「そうか? いつもそうしているからそう描いているんだが」
「描写は決断の連続だ。少し描いては次にどうするべきか決断する。そこで、決断と行動を分離する。細かいところまで決めてしまえば、あとは行動だけで済む。描き慣れたお前なら先を読むこともできるだろう」
「そうは言っても、それがどうして解決になるんだよ」
結局、決断の量と行動の量は変わらない。それが解決策になるとは思えなかった。
「これは持論だが、決断は体力があるときにしかできない。行動以上に体力を使うからな」
「ああ。そういうことか」
覚えのあることに、晦は頷いた。
確かに、全く集中できない日があった。あれは集中できなかったというより、次にどうするかを決断することができなかったということになるんだろう。
「どうして決断の方が疲れるんだろうな」
「決断の多くは直感に逆らうことになる。これだけで、体力は一気に減っていく」
「……確かに、そうだな」
晦は腕を組む。それにも身に覚えがあったのだ。
さて描こうというときに、こう描きたいという衝動が生まれることがある。しかし大抵はその通りに描くと微妙になる。きちんと目標に合致した方法でなければ、求めていたものと違うものが出来上がる。
こうしたい、いやしかし。という頭の中の出来事が消耗の原因なのか。
「最悪は俺が、指示通りに筆を落とすこともできる。晦さえよければ、だが」
「いいや。そんな手伝いはするな。絵は、僕が描かなきゃいけないんだ」
晦は立ち上がった。
「でも、お前の主張はよく分かった。最後の二枚は十一月の新月から描き始める。最期まできっちり付き合ってもらうからな」
続けて、小望月も立ち上がった。
「分かっている。そういう契約だからな」
「準備を始めよう。下書きの設計はノートで、厳密に練っていくというのはどうだ」
「言われずとも近い方法でやっていた。塗りの部分まできっちりと、描き始める前に考えないと――」
二人で道具を揃えようとしていると、日暈が入ってきた。
「――懲りもせずに来たな。あいにく、小望月は貸せないぞ」
「そう、ですか。すみません」
元気のない返事に、晦は思わず手を止めた。彼には聞いたことのない声色だった。
「? 具合でも悪いなら帰ってろ。具合を悪くさせてまで来るな」
「……いえっ。大丈夫ですよ? それより、バンが停まってましたけど」
「あれは俺のものだ。買った」
「買った!?」
晦は思わず大声を上げ、咳き込んだ。
「今までのアルバイト代どころか貯金まで使ったんじゃないか」
「あれは中古で安かった。修理費込みで五十万くらいか」
「そ、そこまでしなくても……」
「約束を終えるためだ」
「……本当に変な奴だな」
そのやり取りにいつも通りの笑顔を咲かせる日暈だが、すぐに影が差し、またしょんぼりとしてしまう。
「で、話を戻すが、お前だ日暈。日暈の癖に分厚い雲みたいな顔をしやがって」
「…………ごめんなさい。私、外されることになっちゃいました」
「取材をか? ……ふうん」
晦はいつ死んでもおかしくない。それなのに成果を全く持って帰らない彼女だ。
焦っている新聞社が日暈に見切りをつけて人を変え、取材嫌いの芸術家にどうにか取材できないかと試行錯誤しようとするのは当然の成り行きだった。
「晦さま。今まで、ご迷惑をお掛けしました」
「随分と長いこと、だったな」
「ええ。長い間、です。色々とお世話にもなりました」
晦は何も答えない。マスコミがやっと消えるのかという安心感があった。
その反対に、妙な不快感もあった。
「小望月さんも。色々と楽しかったです。またお話とか、できるといいですね」
「来たければいつでも来ればいい。接客対応ならできる」
日暈は何かを言おうとして、切なそうな顔になって、深くお辞儀をした。
「それでは、失礼します」
身体を起こすのと同時に踵を返し、アトリエを出ていった。
「……フン」
晦は作業に戻った。あれはもう来ないのだ。やっと絵に集中できる。他に来るなら小望月が追い返す。
机に戻って、ノートを開き、ペンを持った。一枚目に使う絵の具を考えよう。頭には思い浮かんでいるのだ。メインは暗い色で、中心を色彩豊かに彩る。そうなると、暗い部分はメインの色を一気に大量に作って塗りつぶすか。
鮮やかな部分はキャンバスの白の上に薄く塗って、暗い中に浮き出るようにする。不自然なまでに浮くだろうが、キャンバスの中は一種の異世界だ。現実と切り離されたようにしたい。
それと……。
…………。
「……ん?」
ふと、メモしているページの隣でペンを走らせている自分に気付いた。ほとんど、無意識だった。
目の前には『玉座に頬杖を付き、脚まで組んで座った日暈が、地面に座らされた晦にマイクを向けている』という落書きがある。そう、あいつはたまにこういうものを描いて渡すとバカのように喜ぶので、動物に餌でもやるみたいで面白かった。それに、記者の中ではマシだと思っていた。
……マシ? あの、誰から見ても異常な取材をしてくる奴がか。
晦は今まで気付かなかった、自分の中の決定的な矛盾に気付いた。
あんな取材をしてくるのだから、誰よりも不快な記者のはずだ。皮を被ってお利口にしている記者の方が、まだマシだ。こう思うならまだ分かる。どうして僕は、日暈をマシな記者だと思っていたんだ。慣れたからとは、違うのだろう。他の記者は最初の一回で拒絶しきって、小望月に追い返させている。
玉座で偉そうに微笑む日暈を見た。絵にはこう描いているが僕は――――彼女を受け入れていたのか。
「小望月。あいつの所属部署に繋げ」
「ああ」
小望月は何も聞かず、ただ諸星新聞の本社に電話を掛けた。晦の代理と伝えただけで電話口の向こうが慌ただしくなり、ざわめきが僅かに小望月の耳へ届いた。
「ああ、間違いない。電話をしたいというので……。俺はアルバイトの小望月だ。それで、日暈という者の所属する部署へ繋いで欲しい。……いや代表の者がいい」
しばらくのやり取りの後、小望月からスマホを受け取った。
「どうも。芸術家ということで名が通っています。晦というものです」
やや皮肉めいた口調だったが、相手はまるで世紀の大悪党から電話が掛かってきたような緊張感だった。
「いやぁどうもどうも。わざわざのお電話恐れ入ります。諸星新聞文化部、編集長の、黒穴です。ほ、本日は、どのような、ご用件で……?」
強張った中年の声に、晦は笑いだしそうなのを堪えた。いい年をして僕みたいな子どもにへこへこしやがって、なんて心の中で毒づいた。
「先ほど、日暈さんという記者が来てですね? 僕の担当から外れるとだけ言って、帰ってしまいまして」
「そ、それは大変なご無礼を働いてしまいました。すぐに、謝罪を……」
「いえ、今日は応じようかと思っていただけですよ。取材に」
電話口の向こうが沈黙した。きっと絶句しているんだ。電話を持ったまま唖然としている中年、というものを想像して、晦は電話から顔を話して少し笑った。
「日暈さんは僕が売れる前から、よく顔を出してくれていたものでね。その根気強さに折れようと思ったのですが……まっ、無理に呼び戻せとは言いません。ただ、代理の方が来るなら応じる気はありません。もし向かわせているなら、引き返させるのが懸命かと」
「い、いえ今すぐ! 今、すぐに日暈を呼び戻しますのでっ! ぜひとも、よろしくお願いいたしますっ」
「そうですか」
「いやぁ、実に光栄です。わが社の記者を選んでいただけて、至極恐悦とはこのためにある言葉でして、ええ。それに、芸術家として名が通っている、なんて。我々からすればもう偉人に並ぶ素晴らしい芸術家であるというのに、なんと謙虚な――」
「あ~電波がぁ。では」
「え、あの」
晦の言葉を勝手に解釈し始めた辺りで、この中年は思ってもいないことを長々と言い出すだろうなと確信し、晦は電話を切った。
「…………はあ。何を喋ったもんかな」
「聞かれたことを話せばいい」
「わざわざ聞かれるのが嫌なんだよ。絵なんだから見て分かれ」
「それでも、結局ものごとは言わないと分からない。見ても分からないが、分かりたいという欲を持つ者は多い。そのためにインタビューがある」
「そう言われてもな……」
「ふたつの選択肢で考えてみろ」
小望月が顔の横で握り拳を作り、ピンと人差し指を立てた。
「ひとつ目の選択肢は、インタビューを受ける。恥を忍んでわざわざ言葉で説明するということだが、嫌でも言った通りの解釈が広まる」
「ふうん。それで?」
人差し指に続いて、中指も立てた。
「ふたつ目は、インタビューを受けない。即ち、あれはこういう意味これはああいう意味と喧騒しまわる、知ったかぶりの存在を許す」
「ひとつ目だ。ひとつ目が良い。今のでインタビューに対する抵抗がすっかり消えた。どうもありがとう」
皮肉めいた口で言う晦だったが、ほとんど本心だった。
冗談じゃないぞ、そんな奴。
「といっても、……なあ」
「彼女の腕を信じて、答えやすい質問を用意してくれて、勝手な解釈などしないと期待する。受けると言った以上はそうするしかない」
「……ま、あいつは勝手な解釈はしないだろうな。暴走しがちだが、言った通りの言葉で受け止める。そういうやつだ」
芸術家として登場したての頃は、訳もわからず取材という取材を受けた。そうして、嫌なことばかりに遭遇する羽目になった。記事の都合で生まれる身勝手な質問。売り上げの都合で生まれる拡大解釈。記事になって生まれた言ってもいない歪んだ事実。それにショックを受け、記者嫌いになった。
だが日暈の記事は違った。あの全く売れていなかった記事だけは、晦の言った以上のことを書かず、むしろ彼の言いたいことを守った上で読みやすいように表現を変えたりするくらいだった。それで記者というものを許せたかといえば、全くそんなことはない。だが、不思議と印象に残っていた。
しばらくして、アトリエの扉がやや乱暴に開かれた。
乱れたスーツと髪。息を大きく弾ませていた。
晦の目の前まで来て、息が切れたまま芸術家を見下ろした。
「………………取材……応じるって……」
小望月は立って椅子を引き、彼女へ席を開けた。
晦は机に頬杖を付いて、脚を組み、露骨に顔ごと目を逸らした。
「なんだよ。そら、出せよ質問表。答えを考えられないだろ」
そして日暈は、その表情を崩した。
「……ありがとうございますぅうう……!」
泣きながら晦に抱きつく。
苦節、三年と数ヵ月。ファンの熱と記者の誇りが勝ち取った取材。やっと、実った夢だった。
「お、お前っ。取材相手に抱きつく奴があるかっ」
「ごめんなさい……でも嬉しくってぇ……!」
「ああもう……」
晦は口では嫌と言うが、日暈の熱が少し心地よくて、振り払いはしなかった。その自分が見えてなんとも言えない気分になる。その感覚に覚えがあって、思わず小望月を見た。
……そうか。僕は、お前も。
――――――――――――――――
(以下、WEB版の記事を、さらに簡略化した文書)
【独占取材】死と燃焼。晦という表現者あり。
SNSで話題になっており、世界的に注目され始めていながらも謎多き芸術家、晦。今回はインタビューを通し、彼の世界をより深くまで探索していく。
三年前。若さ以上の実力で登場してから多くの魅力とたっぷりの皮肉をおり混ぜた世界観を描き続けた彼が、絵画を燃やすという表現に至った訳とは。
なぜ、燃やすのか。描かれたものと、炎の色。
――今回の一連の活動。SNS上では炎上の魔術といった名で呼ばれることもあるようですが、どのようなコンセプトやテーマを持っているのでしょうか。
晦 魔術などということはない。強いて言うなら、『ヒトの火葬』。それが名で、テーマだ。ヒトが生きて蓄積されたものは記憶として保管される。それは思い出だったり、感情だったり、あるいはヒトそのものを形作る何かの要素だ。そうしたものが老いるにつれて、失われていく。それを燃焼として表現することが、この活動の意味だ。
――なるほど。それをライブ配信という形で発表した経緯について教えてください。
晦 ネットでの配信ということだが、特別な意図はない。ただ、絵としては残らない表現をより多くの人に届けられると、うちのアルバイター君が言うのでね。現代ならではうんぬんという話ではなく、ただ多くの人に見せる方法として配信を選んだ。
――確かに、灰となってしまいますからね。同時に同じ場所に人を集めるより、効率的な手法ですね。
晦 効率的といっても、本当に届けたい者へ届けばどんな方法でも構わなかったのだがね。僕がしたいのは結局、表現活動だ。
――芸術活動、ではなく?
晦 うちのアルバイター君がこの前、『芸術は受け取り手がいる前提で、自分だけで完結するのは表現』というようなことを言ってたんだ。それを僕なりにも考えて、自分なりの答えを出した。『表現は確かに自己完結していて、そこに受け取り手は必要ない。芸術は真逆に受け取り手側で完結していて、そこに表現者は必要ない』。表現者と受け取り手には壁があるから、僕はただ表現だけをする。
――なるほど。その上で、晦さまの活動の根幹は自己完結の表現である、と。
晦 自己救済というやつだ。この一連の火葬も然り。他の人に見せるのはあくまでついでだ。
――それでは次に、描かれた絵画についてです。あれらのタイトルを教えてください。
晦 先日(10月△日)に火葬したのは『夢』というタイトルだ。他の絵画にも題名を付けてはいる。教えても構わないが、後で知ることができるギミックがある。知りたい者が知ればいいと思ってね。
――ギミックですか。楽しみです。どの配信でも、絵画のタイトルが分からないまま燃焼させてしまいますが、それは意図的なのですか。
晦 意図的といえば、まあ意図的だな。見る者が、好きに呼ぶといい。
――見る人にタイトル付けを任せるということですね。
晦 そうだな。創作者というものは生み出すものを選べても、消費のされ方を選ぶことはできない。だから、むしろそういう所は消費者に丸投げしたんだ。僕の見る世界を描いたところで、その通りに届くことはない。その代わり、見た者の中に解釈として何かが生まれることがある。それをタイトルとして勝手に呼べばいい。
――晦さまは感想が非常にお嫌いである、と聞きますが、これはそのことに起因することなのですか。
晦 その通り、非常にお嫌いだ。全くもって、感想など聞くに堪えない。僕は僕の世界を作って、形にするために描く。知りもしない他人の中に生まれた僕の世界なんか知ったこっちゃない。だからそれを僕のものとして言って聞かせられるのは苦痛でしかない。なんとも思わなかったと言われる方が遥かにマシだ。ついでに言うが、考察とやらを触れ回る奴も、それに影響される奴も嫌いだ。
――考察を触れ回るというのは、自分の解釈を周りに語る人、ということでしょうか。
晦 良いと思うなら良いと言え。自分に自信が無いのか知らんが、わざわざそんなつまらない理由付けをして感想だの考察だのを喧騒するな。この取材で最も声を大にしたい主張だぞ、これは。
――そうだったのですね。さて次は、炎の色についてです。燃やす絵画は毎回異なる色の火柱を立てますが、これにはどのような意味がありますか。
晦 どれだけ高い温度で燃えるかということを表現している。色温度というものがあって、例えば熱した鉄は赤くなって、さらに熱くすればするほど白っぽくなる。それ以上に熱くなれば青く染まっていくそうだ。こういう風に、何ケルビン(*1)で何色という色の移り変わりを数字で色を表現する考え方だ。
(*1 ケルビンは熱力学温度による温度表現で、絶対零度を0としている。セ氏の0度は273ケルビンである。絶対温度とも呼ぶ)
――つまり色温度では、赤、白、青の順に温度が高くなっていくのですね。そしてそれぞれの絵画に示された世界が、晦さまの中でどれだけ高い温度で燃えるか。ということですか。
晦 その通りだ。だから、僕の中で重要なものほど、青く燃える。
――なるほど。しかし8月□日に燃焼した絵画は緑色の炎でした。あれは何かの例外ということになるのでしょうか。
晦 そうだ。あの絵は『恐怖』というタイトルで、僕の中で恐怖は異質の存在なんだ。言葉にするのは難しいが、他の感情とは異なってずば抜けて強く、最期まで残るものだと思う。だから、色温度という法則が見え始めたあのタイミングで緑色に燃やすことで、他の感情より特別であると強調したんだ。ある意味では…不気味にも見えると思う。
――晦さまの表現だからできるギミック、というわけですね。
晦 僕の表現と限定はするな。むしろこれは技法として広まってほしい表現だ。
――広まってほしいのですか。私のような人ですと、むしろそうした技法ほど自分のものとして誇りたいと思ってしまうものですが…。
晦 そう思う者もいるだろうな。一番始めに考えた者が偉いという風潮があって、それはその通りかもしれない。いわゆる元祖というやつだ。だが、だからといってその者だけにしか許されない表現方法であるとしては停滞するだけだ。いいか、元祖はもっとも精鋭化されてないんだ。無駄が多くて、劣悪だ。その無駄を他の奴が見つけ、削って磨いていく。それでこそ良い表現ができる。より良い技法にしたければ、独占するよりも流派にしろ。
――なるほど。さて次に、配信の期間についてです。配信、即ち燃焼は必ず新月の日に行われます。これはどのような意味があるのでしょうか。
晦 そこまで深い訳は無い。ただ月の満ち欠けを生と死に当てはめただけだ。だから新月の次の日に描き始めて、満月で描き終わる。そして次の新月になったら燃やす。
――――中略。晦の人間性を聞くような質問に、つまらなさ極まるといった晦の様子と、何故かそれで嬉しさ極まっている日暈の様子――――
――最後に、これからの活動についてです。これから次の絵画に取り掛かると思うのですが、それに込める思いを教えてください。
晦 それについては、回答はしない。ただ、今月は配信をしないし、燃やさない。12月の新月に二枚を燃やす。それで活動は終わりだ。
――二枚描きで最後を締めくくるということになりますね。来月が非常に楽しみです。
晦 どうも。言っておくが、これが最初のインタビューで、最後の報道だ。死後の報道云々も謹んでくれたまえよ。いつも報道される人間の想いを汲んでいるのだから、言わずともよーく分かるだろうがね、報道者諸君?
――ありがとうございました。
――――――――――――――――
「…………なんだよ。ずいぶんと嬉しそうじゃないか」
頬杖をついて、晦がじとりとした目で日暈を見た。彼女は満面の笑みだった。
「いやぁ、皮肉たっぷりのコメント。いいですねぇ。えへへ」
「…………」
晦は顔をしかめた。皮肉を言うほど嬉しそうになってどうする。小望月ほどじゃなくても訳のわからん奴だな。
「そうだ。皮肉と言えばこれをくれてやる」
晦はノートから一ページだけ破って、日暈に差し出した。玉座のインタビュアーの絵だ。それを彼女は恐る恐る受け取り、思い切り笑顔になった。
「あっ! うわぁ、素敵です……! ありがとうございます。今回も、ふふふ、堪りません……」
皮肉に比例してぞくぞくとしている日暈に、晦はインタビューを受けたことを後悔し始めていた。
「気色悪いなぁ。そら。とっとと帰ってこねくりまわして、記事にでもパイにでもしろよ」
「もちろんです! それでは、私は戻りますね」
日暈は貰った絵をやたらと慎重に仕舞って、出口へ向かった。
立ち止まり、笑顔で振り返る。それなのに、いやに寂しげな表情だった。晦にはそう見えた。
「――これから先、私はただのお客さんです。もう、お仕事でここに来ることはありませんので」
「なら、よく冷めた出涸らしを用意して待ってるよ。そういうのを好き好んで飲むようだからな、君は」
「えへへ。それでは失礼しますっ!」
今度は芯からの笑顔をぱっと咲かせ、足取りも軽く帰っていった。
晦はやれやれと首を振って、描きかけのノートに向き直る。
少年の無表情を装う笑顔を、小望月はじっと見ていた。
「……なんだよ」
「ずいぶんと嬉しそうじゃないか」
自分の言葉をまるごと返されて、晦は頬を赤くした。
「う、うるさい」
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