寝しなと、二度寝のときは、はっきりと夢を見る。寝しなの、無意識への誘いの夢は、すべてがごった煮のシチューのようだ。直近数日間くらいの経験から拾われた無数のキーワードがランダムに選ばれて、三題噺どころじゃない、狂ったパレードのような奔流に放り込まれる。明け方に見るリアルな夢とは違う、そう、ヒナがよく言う、新進の映画監督、どころか映画のど素人が気負って作った、意味のない代物。夢が記憶の整理の合間に立ち現れる残滓だというのなら、この夢を指すのだろう。

 明け方に見て、汗をかいて飛び起きて、それでも忘れてしまいやすい長い夢は、繰り返し同じ場所が出てくることが多い。夢の中の自分の認識は確かに「実家近くの神社」とか「小学校の通学路」とか「母親」とか「友達」だが、そのどれもが実際のおれの経験上のものとは異なっている。まるで異世界にいるもうひとりの自分の記憶を盗み見ているようだ。夢は前世の記憶である、という馬鹿馬鹿しい説もあるが、それはこの明け方の夢の性質所以のことだろう。夢にだけ繰り返し出てくる同じ場所、というのは、ちょっと気味が悪い。しかも現実には知らない場所なのだ。覚醒しているときに、たまにその場所の匂いを思い出す。そうして懐かしくなる。なるほど前世なら懐かしくなるのも当然というわけだろうか。馬鹿馬鹿しい。仮に前世というものがあったところで、そんなもの知りたくもない。おまえは既に何度も死を経験しているのだと言われて素直に受け入れられるだろうか? 生も死も、おれにはもっと意味あるものでなければならない。そうでなければ、母の死を背負い、捨てることで、今まで取り逃がしてきたさまざまなものへの切望は、憧憬は、一体どうなる。

 二度寝のときに見る夢は、明け方の夢と同じ性質を持ちながら、記憶に残りやすい。おそらく時間に余裕があるからだろう。夢から現実に精神が移行する時間がゆっくりで、その間に夢での経験が記憶として定着する。ヒナの脚本を半分ほど読んで寝た次の日は土曜で、休日だった。十時過ぎを示す携帯の時計を見てから、白い天井をぼうっと見上げておれは夢の記憶を辿った。

 場所は、小学校だった。

 その小学校は、夢の中のおれが現在通っている小学校ではなく、別の学校だ。おれの通っている小学校は、この道路を右方向に十五分程歩いたところにあるのだ。

 確かに知っているが、こちらの学校のほうがやはりいい。そんなことを思った。そう思う理由として、重大な事件とその顛末(これは忘れてしまった)があって、それは昇降口に関係していた。おれは意を決してそれをいつの間にかとなりにいた母親に、時間をかけてすべて説明しようと思った。その前に母親は、なにか自身の関心事についての話を始めてしまった。タイミングを逃した、とがっかりしながらおれは校庭を縦断した。左手にはサッカーボールを使った野球のような遊びをしようとしている少年がひとり、ホームベースに立っている。一塁から三塁までを結ぶようにレンガでできた塀のようなオブジェが並んでいて、校庭にこんなものがあったら野球はできないんじゃないかと考えた。

 道路に出た。

 おれはそこでワープするように、学校と家の中間地点にある、神社の入り口の前にいた。神社の入り口はゆるい坂道で、石垣に挟まれている。石垣の上は野っ原で、杉の木が道路に沿って並んでいた。

 歩く先に、低空飛行しているハチの軍団がいた。ハチと認識してはいるが、それは水色の四角い体幹から糸のような無数の足を左右と後方に長く垂らした物体だった。三角形の陣形を描いていて、ショウグンと呼ばれるとりわけ大きなものが先頭に据わっていた。何故それをショウグンとわかったのかというと、ご丁寧に「ショウグン」という白いカタカナがその背中の上数センチほどの空中に浮かび上がっていたからだ。

 ショウグンは危険だ、この幼児の歩行速度ほどしか出ないらしい軍団のスピードをよく考えて慎重に足を出さなければならない、そう思ったのも束の間、となりにいた***の無遠慮な歩行により突き上げられたスニーカーの足が、こともあろうにショウグンの尻を蹴飛ばした。大きく空に舞い上がったショウグンを前に、あるじに無礼を働いた不届きものは誰だといちはやく反応した後衛が、こちらに向かってものすごいスピードで襲い掛かってくる。最初からそのスピードを出していればいいものを、と思いながら逃げ惑う。その間騒動の原因となった***は母親に姿を変え、「ショウグンの針はものすごく太くて長くて痛くて急所を外さず狙ってくるから気をつけて」と空の上から叫んだ。おれはすっかり諦めていた。逃げきれるわけがない。歩道の脇の、林の中のうどん屋へ続く獣道でおれは捕まった。青々とした丸い茂みに倒れ込む。おれは動けなかった。連中が首の後ろを狙っていることだけはよくわかった。人間の指先で首をつつかれる感触があった。それはどこが一番痛いポイントであるか探っているように、つつく場所を左右に変えた。そうして真ん中にぶすりと太い針が刺さる感覚があった。意外と痛みはなかった。だがその針は容赦なく脊椎に添って深く深く体の中に入り込んできた。アウと声にならない声が出た。脊椎を通して何かが響き、声を上げ、何かよからぬものが体中に広がっていく感覚がした。全身が震えた。寒くなった。


 おれはこの夢の内容をヒナに伝えた。ヒナなら何かいい解釈をしてくれるのではないかと思ったからだ。

 だがヒナは、夢に意味などないと一蹴した。何て言ってもらったら満足なの、ハチで死んだお母さんのことがトラウマで、幼少期に根を持つ欲求と恐怖がこのような形で現れたとでも言ったらあなたはああその通りだなあと思うの? ばかばかしい、やっぱり文学なんて空の雲みたいなものね、心理学とか社会学にしてればよかったんじゃないの、夢診断がしたいならフロイトでも読んでみれば、よく知らないけど、と早口に言った。

 じゃあなんでヒナは法学部なんだ、と、思わぬ攻撃に怯んだおれは抗議にもならない質問をぶつけた。

「法律って、人間が人間のために作った最たるものだと思うの。それを知ることで、人間が人間をどう考えて、どう妥協して、この社会ってものを取りつくろおうとしたのか、わかる気がしたの」

「取りつくろう?」

「だって社会って実体がないもの。私、そのことに最近ようやく気づいた。まあそんなの今考えたんだけどね。受験科目が二科目でよかったし、卒論がないし、楽そうだからよ」

「そう」

「ところで私、感想を聞く前に補足したいの。理想の映画について」

「どこまで読んだか聞かないの?」

「どうせたいして進んでないんでしょ。あれから三日しか経ってないもの、君は読むのがやっぱり得意じゃないみたいね。これがいい練習になればいいんだけど」

 ヒナはそう言って肩を竦めた。そうして、おれの相槌など不要とばかりに語を進めた。

「前に言ったでしょう。淡々としたできごとの連続。私、それがすべてだと思うの。できごとしか存在しないのよ。そしてできごとそのものに、意味なんてない。価値もない。あると思ってるんだとしたら、それは全部、人間の勝手な後づけ。できごとに対して善悪や正誤を判断したり、意味づけをしたりするから、私たちはできごとを支配できずに逆に翻弄される。できごとの生き死には、個々のそれ自体には意味なんかない。ただそれが何度も何度も繰り返されて、大きなひとつの流れになったときようやく、何かがうすぼんやりと見えてくる。人間の生き死にも同じだと思うの。それ自体に意味なんてなくて、それが積み重なっていくことで何かが生まれる。それが何なのかは、俯瞰するまでわからないの。こう考えると、創作ってものすごいことだと思えない? 箱庭の宇宙で新たな命を生み出すような」

「ずいぶん壮大だね」

「ばかにしてるの」

「してないよ。そこまで考えているのは、すごいと思う」

「そう。それにもね、できごとをただただ、盛ってみたの。登場人物が単なる駒にならないように気をつけはしたけど、それは叙情詩じゃない、叙事詩なの。そこから何を読み取るかは自由なのよ。それぞれの人の中で違う色を放って生き続ける、そんな作品を、私は作りたい」

「難しいね。それって可能かな」

「むしろ、みんなが同じ解釈しかできない作品なんて存在しないと思わない? どんなにわかりやすいエンタメだって、感想は人それぞれ違うでしょう」

「筋書きによって、その感想の方向性はある程度定まる」

「それ、文学を学んでいる人が言うセリフ? 小説みたいな芸術こそ、シニフィアンとシニフィエの乖離が起こりやすいものでしょう」

「それ使い方合ってる?」

「とにかく、私は君がそれを読んで、君の中でそれがどうなるかを知りたいの。見届けたいの」

「あんまり期待してもらっても困るよ。批評とか、得意じゃないし」

「誰が批評しろって言ったの。ただ、心がどう動いたか教えてほしい。動かなかったら。私の負け」

「勝負なの?」

「勝負だよ。いたずらを仕掛けて、それが成功するかどうかを物陰から見張ってる気分!」

 ヒナはそこまで言って、突然がくっと項垂れた。

「どうしたの」

「ごめん。今日、調子悪い。生理なんだ。帰るね」

「いきなり?」

「ごめん。妙に、いらいらするの。自分でも、コントロールできないんだ」

 ヒナは顔を上げて言った。

「どうしたらいいか、わからないの。どんな結末――どんな幕切れにするべきなのかが、今の私には、どうしても、わからない」

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