ノート2:【兄の台本】
【兄の台本】
兄と豊泉雪子のファストフード店での話し合いの結果、台本のコンペが行われることになった。まだ新入部員の入る可能性があることから、五月に入ってから参加者を固め、同月の十五日を開催日とすることになった。その日付は豊泉雪子姉妹の誕生日でもあった。
豊泉のビラの効果か、その後数日間は新入生のグループがちらほらと顔を見せるようになっていた。だが全員、再び顔を合わせることはなかった。私自身も親しくなったクラスの何人かに声かけをしてはみたが、いずれも入る部活を決めているということで取り合ってもらえなかった。
結局は兄の狙い通り、新入部員は私だけということになった。コンペの参加者として二年生の三人がそれぞれ名乗りを上げた。兄は創作、残りの二人は既成の台本集からそれぞれが選んだものを出すことになった。審査はろくに部活に来ない、名前だけ顧問である古典の教師に頼むことになった。兄の創作台本は少人数用の密室劇としてほぼ書き上がっていたが、より完璧なものにして絶対にコンペを制するとの意気込みから私にその台本を読むよう命じてきた。
兄の話によると、あの二人はグルだ、もしかしたらもう付き合っているのかもしれない、ということだった。確かにあの初日の様子を見ればそう考えるのは当然かもしれなかったが、私はそうは思わなかった。その後部室に集まって彼らのやり取りを見ていくうちに、澤田も豊泉も兄に敬意を持っていることがはっきりと感じ取れた。兄はこの弱小演劇部の屋台骨だった。そのうえで澤田が豊泉の占有という部への破壊行為に手を出すとはとても思えなかった。
だが、兄の創作台本という一択に待ったをかけるために澤田と豊泉が密談したらしいことは確かだった。私は兄にそれとなく聞いた。
「こういうの、前に澤田先輩たちに見せたことあるの?」
「プロットの段階から見せたものは二十本くらい。そのうち豊泉がいいって言ったやつを途中まで書いて見せたな」
「二人の反応は?」
兄はなんでそんなことをと言わんばかりに眉間にしわを寄せた。
「澤田はまあ、普通。だけど豊泉が、やっぱりこれはやめて別のがいいって言いだした」
「なんで?」
「思ったより怖い、とかなんとか。とにかくこれは最後まで書かないでって」
「それで没にしたの?」
「まさか。きちんと最後まで仕上げて、今おまえの手の中にある」
そう言ったときの兄の勝ち誇ったような笑みを、未だに忘れられない。兄の中にとっくに生まれていたらしい疑念は、豊泉への思慕を二人に対する憎悪に変えていたようだった。
「豊泉が怖いって言った理由は、まあわかるんだ。双子が出てくるからな。舞台は異世界で、背景がどんどん変わる。実際演じるときは照明の色を変えることでそれを表現する。双子の片割れの死の真相を求めて、その遺書を媒介にして心の奥底まで潜っていくというのがメインプロットで、そこに三人の登場人物同士の愛憎を絡めることで厚みを出した、美しい愛の物語だ。かなりの傑作だぞ」
「双子の片方が死ぬって? なんでわざわざ」
思わず口を突いて出ていた。兄は笑みを消さずに言った。
「最後まで読めばわかる。怖いことなど何もない。それを豊泉に知って欲しかったんだよ」
それが兄の本心であるかどうか、私にはわかりかねた。膝の上に乗せた紙の束が重く感じられ、ふくらはぎが小さく震えた。
「松谷はおれのを選ぶよ」
顧問の名を出して兄は言った。
「大会では部員による創作台本のほうが高く評価される傾向にある。それに脚本賞も狙えるからな。そうすれば全員おれを認める。もう好き勝手なことは言わせない」
兄は、私が思った以上にこの台本に多くのものを賭けているようだった。ますます震えた。
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