26

 雨でぬかるんだ地面をなるべく避けて、巡礼者が襲撃されたポイント付近まで探索者たちは進む。カロリーナを先頭に、夕闇ダスク、ミレイユ、ゲオルグの順で森を探索していた。 

 襲撃から五日が経過している。昨日、ミレイユはゲオルグの魔導式銃腕の暫定的な修理を完了した。彼はそれを受け取ると調整を済まして、問題なく機能することがわかると、ミレイユに深く感謝した。対価はレイニーウルフの討伐協力をもって支払うこととなった。


「このあたりだと思います。あっ!」


 カロリーナは木の影にズタズタに裂かれた鞄を発見して近寄る。中身の食料はとっくに食い散らかされており、食べられないものにも噛まれた痕跡があった。歯型からして小型の野生動物のようだ。いずれにせよ、持ち帰ったところで役に立つものは既にない。修繕しようにも裂かれているだけではなく雨に濡れ、泥にまみれてずいぶんと汚れてしまっている。カロリーナの記憶によれば、巡礼者のいずれかが前に寄った町で安く買った品だ。そのまま目印として置いておくことにした。


「念のため今回の任務について再度、確認しておこう」


 ゲオルグが周囲を見回して、獣の息遣いがしないのを把握してから落ち着いて話し始めた。


「この森にどれだけのレイニーウルフが生息しているのかを知り得ない以上は、遭遇した奴らを手当たりしだい討伐していくわけにはいかない」

「町からそう遠くない地点に縄張りを持たないように、森深くへ追い返すのを優先するということですか」


ゲオルグはミレイユの言葉に曖昧な相槌を打ってから「いや」と口にした。


「追い返すという表現は不正確だ。いずれこの森の探索や開拓が進めば、自然と俺たちは森の深くまで侵略することになる。ようするに、だ。この任務は体裁としては、制裁や報復であるが、実態は違う。……そのことを騎士の嬢ちゃんも了承してくれているんだろうな?」


 敢えて脅すような口ぶりのゲオルグであったが、カロリーナが「はい」と怯まずに応じると「なら、いい」とあっさり引き下がった。

 カロリーナ自身、今回の討伐協力の目的は仇討ちではないと受け取っている。エリカやイネスに漏らしたように、それは克服にある。すなわち魔物との戦闘に対する恐怖を打ち破るため。カロリーナは腰に差した剣の柄に手をかけ、握る。ここまで来るのに何度もそうしてはその剣身を露わにする時を思い描いている。以前、襲撃された際には振るうどころか、引き抜けさえしなかった。


「ここを安全な通路として整備するために、この地点付近の魔物を一掃する。深追いは禁物。レイニーウルフ以外の魔物との戦闘も想定しておく。こんなところかしら」


 夕闇の要約に他の三人が肯く。出発前に、夕闇の魔導扇を目にして、もしやこの少女は魔女の類かと推定しているゲオルグであったがわざわざ口にはしなかった。うら若き錬金術士と共にいるのが、魔女だとしてもおかしくない。彼はむしろ夕闇がただの利口そうな少女でなく、実力がある者であるのを願っている。時折、ミレイユとのやりとりでは年相応のあどけなさを見せる彼女であったのだが。


 大木を背に、ミレイユが夕闇から借りたマジック・ポーチから、がさごそと何か取り出す。

 

「では、これでレイニーウルフさんたちをおびき寄せますね」


 蓋のついた小さな壺らしきものだった。それを地面に設置する。

 ゲオルグが首をかしげる。調理用でないのはわかる。 


「それはなんだ?」

「魔物を誘引する香炉です。エリカさんが読ませてくれた記録では、レイニーウルフは肉食性でありますが、特定の花の香りを好むそうです。それは主に水場に咲く花であり、消化器官に作用するものです。ええと……」

「獲物を食べた後の口直しにでもその花を食べるってことか」

「噛むだけで飲み込みはしないそうです。ただ、彼らの生態には他の魔物同様、地域差はあるので……とにかく、この香炉はいくつかの植物を主成分とした香りで、彼らを誘い出します」

「そこさえ確かなら、それでいい」

「イネスさんの言うとおりですね。原理よりも結果を信じることにします」

 

 カロリーナがそう言うと、ゲオルグも「それもそうだな」と左腕をさすった。そこには既に銃腕が嵌められている。


「実践登用は初めてなのですが、一気に何十頭も群れで来ないように調整してみます。大丈夫、うまくいくはず、よーしっ。がんばれ、わたし! では、始めます!」


 ミレイユが自身を鼓舞して、香炉に火をつける。

 ちなみにこの着火には町民たちが日常的に使用している火打石ではなく、魔石を加工したものを火打ちとし、ホムラ石を火打ち石としている。将来的には町全体に、より安定性のある優れた点火装置を普及させることもミレイユの錬金術をもってすれば可能だろう。とはいえ。いかに安全性を高めるか、それは調合品の側だけではなく人々の意識が関わっているのは言うまでもない。


「ぱたぱたぱた~」


 ミレイユが小ぶりの団扇で香りが広まる方向を定める。

 夕闇は、それなら私の魔導扇を使ってもよかったのではと思ったが、口調のわりに真剣な顔つきで仰ぐミレイユを黙って見守ることにした。

 そして夕闇は気配察知の魔法を展開する。何秒かごとに展開していくそれは、魔導扇を使った鍛錬の成果で有効範囲が以前より広くなった。イメージとしては円形ではなく扇形に、つまり前方に特化した扱いができるようになったのである。


「ミレイユ、一旦ストップ。三……いえ、四頭。来るわよ」


 夕闇の指示に従い、香炉を閉じる。それから間もなくしてゲオルグとカロリーナも、じりじりと寄ってくるレイニーウルフを視認する。体長としては普通の狼と大差ないが、体毛は青黒く、一部はまるで魚鱗のような光沢のある皮膚が晒されている。その耳はやけに横に広がっていて、尾が長い。すぐには駆け出して向かってこない。幸い、迷彩効果は発揮されていないらしかった。

 四人は戦闘に備える。ミレイユの前にカロリーナが立ち、剣を抜いた。

 ゲオルグが姿勢を低くして、いつでも発砲できる構えをつくった。

 

「私が打って出るわ」


 夕闇がゲオルグを見やって言う。ゲオルグは「ああ」とだけ返す。そして夕闇が身体強化の魔方陣を展開するのがわかった。正確には、おぼろげであるが魔方陣を認識することができたゲオルグである。

 早い――――ミレイユは、夕闇の魔方陣の構築が短縮されているのに感激する。

 初めて目にしたときは十数秒かかって、しかも身振りも大きかったのが、魔導扇に合わせた鍛錬によってかなり縮まっている。もっとも初めてのときも早いと感じていたミレイユであったが。


「悪いわねっ!」


 夕闇の踏み込み。それはレイニーウルフにとって予想外の速度であり、探索者四人を認識してから徐々に囲むよう広がりつつ近づいていた彼らの陣形を乱した。夕闇に近づかれた右側の一頭は為す術もなく、魔導扇に切り伏せられる。奥の方にいる一頭が吠える。すると、手前側にいた二頭が夕闇目がけて牙を剥きだして突進してきた。

 奥のあの一頭が指揮を執っている。夕闇にはそう思考する余裕があった。

 夕闇に向かってきている二頭は同じ方向からまっしぐらに向かってきている。挟撃する気もなければ、巧妙に時間差をつける頭もない。ミレイユたちには目もくれず、咆哮を合図にターゲットを夕闇に定めて突進してきているだけに過ぎなかった。

 

 ひらり、と。夕闇は蝶の如く躱して、すれ違いざまに斬撃を繰り出す。

 舞踊のようだ、カロリーナは夕闇の動きを目の当たりにしてそんな感想を持つ。その舞は確実に二頭目、それから三頭目の命を刈り取った。断末魔ばかりが、その一瞬というのが命のやりとりであるのを見聞きする者に伝えるのだった。


「奥のを撃って!」


 夕闇がそう言い終わる前に、既にゲオルグは奥の、逃げようとしている一頭に照準を合わせて――――照準器は搭載していないが――――魔弾を放っていた。

 

 手応えあり。ゲオルグがその魔導式銃腕を魔物に対して使用したのは実に数年ぶりのことであったが、発砲した刹那、たしかにあの頃の感触が戻ってきていた。威力こそあの頃よりも劣るが、しかしミレイユの修理してくれたそれは、彼の心を奮わせるに足りた。


 果たして奥にいたレイニーウルフの大腿部に魔弾が命中し、その身はがくっと沈んだ。そして銃身が切り替わり、二発目を放つ。それは側頭部を貫いた。

 仕留めた。無意識に息を止めていた夕闇は、ふぅと息を吐いた。


「上よ!」 


 そのとき、カロリーナが叫んだ。

 まるでその声に呼応したかのようなタイミングで、木々の上から降ってくる魔物。彼らは夕闇を取り囲むようにして地に降り立った。直接、飛びかかれる距離でなかったのが幸運だった。あるいはカロリーナが叫ばず、すなわち夕闇が上に意識を向けないままであれば、彼らは最適な距離に彼女が来るまでじっとその身を木の上に忍ばせていたかもしれない。


「フォレストレパードか!」


 そう言いながら、ゲオルグは次の弾丸の射出の準備を整えた。

 

 フォレストレパードなる魔物は、豹のなりをしていた。斑点模様は奇異でないが、しかしその奇妙に捻じ曲がりながらも地を踏みしめる脚部と、口吻から何本も伸びている植物の蔓のような深緑の髭、そして異様な目つきが魔物であるのを夕闇に瞬時に理解させる。三頭。夕闇が視野に収められているのは二頭だ。後方の一頭は気配こそ感じられたが、見えてはいない。


 少しでも躊躇えば、取り囲む三角が狭まるだけね――――夕闇は、前方の二頭のうち、体長が小さく見える側へと踏み込んだ。その瞬間、ゲオルグは後方、夕闇の踏み込みに合わせて飛びかかった一頭を撃つ。


「速いっ!?」


 夕闇の魔導扇が空を切った。狙ったフォレストレパードがその脚部をばねのように扱い、瞬く間に跳躍したことで扇がかすりもしなかったのだった。

 ゲオルグが放った魔弾は後方にいた一頭の前足の付け根あたりに着弾し、その衝撃によって夕闇に飛びつくことはできずに、地面に伏した。が、すぐに立ち上がる。まだ動ける様子だ。

 避けられたことに驚く夕闇であったが、すぐ真横まで残りの一頭の牙が迫る!

 身をよじらせて間一髪で躱し、足に力を込めてミレイユたちがいる方面へとバックステップして、敵と距離をとった。身体強化魔法がかかっているからこそできる芸当である。


「援護しますっ!」


 カロリーナが叫び、抜剣して夕闇のもとへと駆け出した。

 それよりも早くに、ミレイユが夕闇のいた場所、すなわち三頭のフォレストレオパードが体勢を整えようとしている地点に目がけて、何かを投擲した。

 カロリーナは視界の隅にそれを映す。どうも細長く短い筒状のものが連なった物体であるようだが……?

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