第7話 雨上がりの森にて

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 エルムーラ教会に運び込まれた、負傷した巡礼者には身体を休ませるための場所が必要だった。司祭によれば、イルンラクトを巡礼者の一団が寄ること自体は事前に手紙で知っていたのだという。

 したがって、教会内で彼らが寝泊まりできるだけの部屋はあった。ただし、怪我人の治療に適切な空間であるかというとまた別である。

 

 結局、小雨になるのを見計らって負傷者のうちカロリーナの叔父であるドミニクを含めた数人が医療施設に移送されて、そこで継続的な治療を受ける手筈となった。

 一方で軽傷あるいは無傷に等しい巡礼者たちは教会にそのまま滞在して、教会の仕事を手伝い始めた。巡礼者は同志であって客人にあらず。食事を得るためには、できる仕事をするのが筋である、そう巡礼者たち自身が理解して実践していた。

 

 襲撃事件から三日。

 観測によれば、明日は晴天が見込めるが、今のところまだ空には厚い灰色の雲がひしめいていた。フェリシアは若き霊山騎士・カロリーナが教会の誰よりも率先して体を動かし続けているのを気に掛けて、休憩時に声をかけた。


「カロリーナさん、あまり根を詰めないでくださいね。顔色がよくありませんよ。昨晩はしっかり眠れたのですか?」

「フェリシアさん……。おかげさまで雨風に晒されることもなく、暖かくして眠れています。イルンラクトのシスターたちは皆、お優しいですね」

「あら、まるで他の土地では違うみたいに聞こえますが」


 フェリシアは笑ってみせたが、カロリーナの表情は芳しくない。思わず、フェリシアの笑顔も引きつってしまう。


「決して冷遇されてはいませんが、しかし巡礼そのものに価値を見出さない教会もあるのが実情です。いえ、厳密には一般の信徒による巡礼に、です」

「高名な方々でもなければ、巡礼はすべきではないというお考えを持っていると?」

「そんなところです。フェリシアさんも知ってのとおり、エルムーラ教の伝播と布教の歴史を紐解けば、この巡礼は実は比較的新しい儀礼であり、実益が絡んでいました。つまり、信徒たちによる文化的ないし商業的交流こそが目的としてあった」


 その一方で、資格を有する者たちのみに立ち入りを許可する巡礼は、まさしく宗教的儀礼としての価値があり、聖者としての格を高める行為とされた。その意味でエルムーラ教の巡礼が、あたかも智よりもむしろ富をもたらすことに焦点を置いたかのような形態に添ったことは、一部の信徒からすると不信感を生む結果となった。

 エルムーラの教義の一つとして、慎ましく在れと根付いているのが理由でもある。もちろんと言うべきか、今や大陸中で何百もの教会を持つこの宗教がその存在感を慎ましくしていないのは確かだ。


「えっと、カロリーナさん、何か必要なものはありますか。しばらくはこちらで暮らすということであれば、何かと入用だと思います。私でよければ準備いたしますよ」


 遠い目をするカロリーナに、フェリシアは話題を変えて、努めて朗らかに口にした。どうも雨は彼女の気分までじめじめさせているようだわ、とフェリシアは思った。そんなフェリシアの言葉にカロリーナは日常的に使用する雑貨について二、三求めた後で、フェリシア自身についても訊ねた。

 してみれば、巡礼者の中で最年少であるカロリーナとイルンラクトのシスターのうちで最年少であるフェリシアの取り合わせである。カロリーナのほうが三つ年上で二十三歳だった。


「なるほど……フェリシアさんのご実家は畑を耕しているのですか。ここの小麦はよいものですね、製法もいいのか、今朝いただいたパンも美味しかった。あまり大きな声では言えませんが、土地によってはひたすらに固くて味のしないパンを毎日の糧としている地もあるのです」

「まぁ、そうなのですか。ええ、たしかにパン作りには少々、こだわっています。他にも焼き菓子を焼きもしていますし……あっ、子供たちのためにです。シスターたちのおやつなどではありませんよ!」

「ふふふっ、そう慌てなくても。フェリシアさんは可憐な人ですね」


 さっと、フェリシアは顔を隠した。

 自分の頬が熱を帯びるのがわかったからだ。思えば、カロリーナのように少しだけ年上の女性といかにも親密な会話をした経験がない。年頃で言えばエリカが該当するが彼女とはまったく話したことはないし、町民のうちでフェリシアと同年代の女性と友人のように話す機会は少なく、おおよそ先輩シスターと、そしてミレイユと話してばかりのフェリシアだった。


「姉として慕われるだけではなく、私が妹としてお姉様を慕うのもありね……」

「はい? 何か言いましたか」

「い、いえっ! なんでもありませんわ! そ、それよりもカロリーナさんは魔物狩りに参加されるというのは本当ですか?」

「……そうです」


 重々しく肯定したカロリーナに、フェリシアは「無事を心より祈っております」と真摯に言う。つい見つめ合ってみて、また顔が熱くなるフェリシアだった。

 ちがうのよ、ミレイユ! 私はこんな簡単に誰にでも心を許す淫らなシスターではないの! という彼女の勝手な反駁は幸いにも声に出ることはなかった。




 錬金杖の設計補助機能による解析で、ゲオルグの魔導式銃腕に修理の目処がついた。

 ただ、破損している部品を新たに調合しないといけないようで、手持ちの素材では元のパフォーマンスを出すのは不可能だと判明した。機能面で劣る代替品の製造というのが現実的な落としどころとなったのである。

 これについてゲオルグに今一度、許可をとりに宿舎まで足を運ぼうとするミレイユを夕闇ダスクが引きとめた。

 部品の取り外しは可能であるし、まったく機能しないまま放置しておくよりは、下位互換品となってもまずは機能させるのを彼だって望むに違いないと説得した。そして、わざわざアトリエから宿舎まで出かけてゲオルグに話して、というその一連の動きが無駄骨だと説いたのだった。

 薬品の納品とは違うのだから、まずは調合できるものを作ってみなさいよ――――最終的には夕闇のその言葉で、ミレイユは納得して調合にとりかかることにした。

 それがゲオルグに頼まれた翌日の午前中のことである。すなわちレイニーウルフによる森での巡礼者襲撃から二日後だ。

 それからほとんど飲まず食わずで、調合を半日続けた結果、どうにか部品は形になった。ミレイユ曰く、機構の根幹となる部品が破損していたのなら一週間はかかったのだという。


「それで、後は取りつけるだけなの?」


 既に午後九時を過ぎていて、夕闇は重たくなった瞼のあたりをさすりながら訊く。


「まさか。今できた部品の強度と魔導弾薬との相性を実際に射出してみて検証し、内面のコーティング剤と、機構にかかる負荷軽減のための措置を三種類から選んで、」

「もういい、わかった、いや、わからないけれど、いい。たった今できあがった部品でおしまいでないのはわかったわ。明日のうちには何とかなりそうなの?」

「うまくいけばです。ふわぁ……」


 ミレイユが欠伸をする。いつもは上品に手で口許を抑える彼女が、それを忘れてしまっている。気が置けない夕闇の前でだから、というのが理由ではなさそうだ。


「だいぶ疲れているようね。今日はもう休みなさい」

「でも、これとは別にマチカッド商店に補充したい品が……」

「ダメよ。倒れでもしたらどうするの。体調管理が最優先。いいわね?」

「うう、夕闇ちゃん、まるでフェリシアお姉ちゃんみたいです」

「あれとは違うから!」

「あれだなんて、そんな失礼ですよ。ふわぁ……。うーん、ひとまず夕闇ちゃんが言ったとおり、身体を休めないとですね。こういう時こそ、入浴です!」

「そこ、はりきって言うところ?」

「マチカッド商店に卸している雑貨の中でも、浴用石鹸の売れ行きはなかなかみたいですね。とりわけ、若い女性たちの間で評判になりつつあるのだとフェリシアお姉ちゃんから聞きました! お姉ちゃんも愛用してくれるって」


 それ、あいつが信徒に向けて宣伝しまくっているんじゃないでしょうねと夕闇は思った。いや、むしろ独り占めしようとするタイプかと即座に思い直す。


「そしてまだ売り出してはいませんが、じゃじゃーん!」

「急に元気ね……どこからともなく取り出したその小瓶は何よ」

「ふふん、これはなんと、浴用精油ですっ」

「浴用精油?」

「はい。浴用芳香剤、あるいは芳香入浴剤と言ってもかまいません。探索で発見した植物からとれる油を使って作ってみたんです。微量ですけれど」

「へぇ、湯に香り付けするってわけね」


 夕闇はその透明な小瓶を興味深げに眺めた。中に入った精油は半透明の橙色だ。


「心も身体も癒す効果ありですよ! でも、効能を謳って売り出すには、まだ試験運用と効果検証、品質管理が……」

「そういう話はいいから。ほら、さっさとそれ使って入浴しなさいよ」

 

 先に夕闇が入ったばかりなので湯張りは済んでいる。それにミレイユの錬金杖を駆使すれば、ホムラ石の熱反応に介入して追い焚きだってできるのだ。


「あのー、夕闇ちゃん。ひとつお願いしてもいいですか」

「なによ」

「いっしょに入って精油の効果を確かめていただけたらなぁ―――」

「嫌よ、私はさっき入ったばかりなの」

「というのは建前で」

「うん?」

「夕闇ちゃんに言われて気づきましたが、今、けっこう身体がふらふらでこのままだと浴槽にぶくぶく沈んでしまうかもです。そうならないように、傍に夕闇ちゃんがいてくれると助かるのですが。こちらが本音です」

「…………」


 ミレイユの微笑み、その目元に確かに疲労を見て取る夕闇だった。


「夕闇ちゃんなら、そういった事態が実際に起こり得るのも知っているはずですし、その危険性は無視できませんよね。どうかわたしを助けると思って、ご協力お願いします」


 夕闇はほんの一カ月前ぐらいのミレイユとの出逢いとその夜を思い出す。

 知っている。

 あわや溺れ沈みかかった当人だ。意識を少しの間だが失いもしたのである。


「出てすぐのところで待機しているわ。おかしな気配を感じたら入る」

「ええっ!? も、もしかして夕闇ちゃんは透視の魔法を使えるんですか。浴室の壁ぐらいならスケスケなんですか!?」

「ちがうわよ! いいから、一人で入りなさい!」

「はぁい」


 気のない返事と、またも欠伸。

 そして夕闇は肝をつぶす。

 するり、と。ミレイユが急に服を脱ぎ出したからだ。


「脱衣所に行きなさい!」


 夕闇はミレイユの手を引っ張って、脱衣所に押しやった。

 やれやれ、本当にのぼせて意識を飛ばさないように声をかけないとかもしれないわね、と溜息をついた。


「ねぇ、ミレイユ。聞こえる?」

「なんでしょう」

 

 扉越しの会話。向こうは既に浴室に入っため、声の響き具合が違う。


「頑張るのはいいことよ。でも、息抜き一つできもしないのは違うと思う」

「そうですねぇ」

「ちゃんと聞こえている?」

「わかっていますよぉ、夕闇ちゃんと触れあえる時間はもっとほしいです」

「なによそれ、まるで人を犬か猫みたいに……」

「ふふふっ、夕闇ちゃんがいてくれるから、ついつい頑張っちゃうんですよね。やっぱり二人暮らしっていいですね」

「……馬鹿。そ、それなら私をもっとあてにしなさいよ」

「ええ~? でも夕闇ちゃんは錬金術ってできませんよね」

「うぐぐ……それはそうだけれど」

「レイニーウルフの件が片付いたら、お洋服を仕立てましょう」

「は? いきなりなによ」

「ずっと考えてはいたんですよ? 夕闇ちゃんのためだけのお洋服。調合できないかなーって」

「ねぇ、あんた何屋になるつもりよ。薬品に日用雑貨に、服飾まで。はぁ、錬金術士ってどいつもこんなのなのかしら」

「どうなんでしょうね。どういうデザインがいいのか、二人で考えましょうね?」

「当たり前でしょ。こう見えて私は各地を転々とした経験を通じて、伝統的な衣装やファッションのトレンドなんかを……」

「………ぐぅ。すぴー……すぴー」

「ちょっとぉ! というか、服もいいけど、寝台が先でしょうが!」


 そうして少女たちは雨の夜をあたたかく過ごした。

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