24
翌日の午後二時、雨が降り続いている中、ミレイユと
巡礼者たちがイルンラクトに入ってきた方面に、ミレイユは昨夜のうちに魔物除けの処置を施した。そして今日の午前中に確認したところ、近くまで魔物が寄ってきた形跡はなかった。関所こそないが、もともとイルンラクトの外周には最低限の柵は設けられていた。とはいえ、猪でも突き破れるような代物だ。獰猛な魔物からすれば、あってないに等しい障害である。
「では、まとめましょう。イルンラクト大森林の未調査領域における、レイニーウルフの討伐任務。今回はミレイユさんと夕闇さんに加え、シュヴァイツェルさん、それからゲオルクさんの四人で受注していただきます」
エリカが眼鏡の位置を正して、そう口にした。場所は応接室、ソファに腰掛けているのはミレイユと夕闇、そしてエリカとカロリーナだ。
エリカの左手側の壁際にイネスが立ち、逆側の壁に隻腕の剣士であるゲオルクがもたれている。ちなみにミレイユたちと同様、彼には姓の登録がなかったため、エリカは名で呼んだのであった。
「エリカさん、私のことはカロリーナでかまいませんよ。私はまだこの家名に相応しい騎士ではありませんし」
自嘲気味に微笑むカロリーナにエリカは「わかりました」とだけ返した。
イネスは留守番の予定である。
戦闘能力の低い解体要員を連れていくのはリスクが高いと判断されたからだ。これまでと違い、調査ではなく討伐が主となる任務であり、かつアウトウィーゼル種よりも魔物として脅威度が高いレイニーウルフ相手だ。解体については、その場でゲオルクにしてもらうか、余裕があれば持ち帰っての解体となるだろう。管理局側としては今後の調査のためにも、一頭は必ずその亡骸を持ち帰り、分析に回したいところである。
昨日に巡礼者が襲われた件は、宿舎にいる狩猟者に速やかに共有され、協力できる人間にはしてもらい、できそうにない人間は迂闊に該当地域に近づかないことが伝えられた。ゲオルクは狼型の魔物であれば、戦闘経験があると話し、自ら任務への参加を志願した。彼と直接やりとりしたのはエリカでもガストン室長でもない別の職員であったが、聞いたところによれば自信ありげというよりは、義務感に突き動かされているふうだったという。
狩猟者としてやってきたからには、自分の責務を全うする、それができると示さなければなるまい――――そんなふうにでも思っているのだろうとガストン室長は推察した。齢六十過ぎで、右腕のみ。おまけに社交的とは言い難い。たしかに周りから評価を得るには、実績が必要そうだ。
「一ついいか」
そのゲオルクが、エリカの話が一段落するとそう言った。エリカが応じる。
「なんでしょう」
「この地ではこれまでに、他の狼型の魔物を狩ったことがないそうだな」
「ええ、そうです。報告には上がっていません」
「だとすれば、記録されているレイニーウルフの特性以外にも何かあるかもしれん」
「というのは?」
「魔物はその生息域によって同種であろうと、特性に差異がある。これは当然のことだが、なかでもレイニーウルフのような狼型だとその差は大きい」
「どうしてですか」
緊迫感をもって話すゲオルグにミレイユが率直に問う。
「狼というのが生態系、つまり食物連鎖では高い位置に在る生き物であるからだ。俺が講釈垂れることではないがな」
ゲオルクはそこまで答えると、エリカを見やって、続きを話すよう促した。あたかも説明責任は彼女にあり、自分の役目は果たしたという素振りである。
「そうですね……その点に関して警戒するのを失念しておりました。ありがとうございます、ゲオルグさん。ええと、レイニーウルフは魔物化していく過程で、その土地に生ける者たちを餌にしていますよね。その土地がどれだけ魔導物質が浸透しているか、彼らの餌となった生き物がどれだけ、そしてどのように魔物化していたかで、レイニーウルフが持つであろう能力は変わってくるわけです」
「なるほどね。大半の場合、捕食者側かつ肉食性である狼のほうが、魔物化に際してその土地の『餌』から多く能力を得られるわけね。小型の魔物なんかよりもずっと」
エリカの説明を受けて夕闇がミレイユ向けに話をまとめる。ミレイユはわかったような、わからないような顔をしていた。ようは生態系の上位者のほうが下位者よりも生態系から多くの影響を受けるため、その個体差は土地によって増すということである。カロリーナが、エリカが調べてくれた記録上のレイニーウルフと実際に遭遇した魔物とを記憶のうちで改めて照合してみていた。
「残念ながら、細かな違いはわかりません。ここにあるとおり、迷彩効果を発揮していたのは間違いないと思うのですが」
「まぁ、さすがに口から超高圧の水を吐いてくるなんてことはないわ。警戒するにしても、結局はその場で対応していくしかないわね」
「そうですね……」
夕闇の言葉にカロリーナは苦笑いで応じた。その場での対応ができなかった事実があるのだから無理もない。
「問題は天候ですね」
ミレイユはそう言うと窓の外を望んだ。雨は昨晩から止んでいない。弱くなったり強くなったりを繰り返している。
「例年通りだと、長雨の時季にはまだ早いんです。ですから、そう何日も続かないとは思うのですが」
「ねぇ、ミレイユ。天気を予め知ることのできる道具ってのは調合できないの?」
「あう……。そういう道具があるかなーっと思って手持ちの本で軽く調べもしたのですが、今のところないですね」
「じゃあ、天気を変える道具は?」
「な、ないです」
「そうよね。逆に雨中でも平常通りに活動できそうな装備を作ることってできそうかしら」
「それは……えっと、快適な雨具ってことでしょうか。戦闘を前提にしたものとなると、一から設計しないと。日数がかかる上に、素材が揃うかどうか……」
「わかった、今のはなしね。やっぱり晴れるのを待つしかない、か」
そんなミレイユと夕闇のやりとりを聞いて、ゲオルグが壁にもたれかかっていた背中をまっすぐに正した。そして「お前」と言いかけて、咳払いをすると「君は」と言い直した。
「錬金術士なのか」
「は、はい。まだ見習いですが」
「それにしてはここ最近は、けっこういろんなもの作っているでしょ」
「えへへ」
「ぜひ君に修理してもらいたいものがある」
「え?」
「……レイニーウルフたちを討伐するのに役立つはずだ」
「武器ってことですか」
「ああ。この後、時間があるか」
ミレイユと夕闇は顔を見合わせる。急ぎの調合はない。このレイニーウルフ討伐任務のために、なにか調合しないといけなくなるだろうと考えて、時間をやりくりして空けてからだ。
「修理できる保証はありません。それでもかまわないのであれば、この後アトリエにいらしてください」
「わかった」
ミレイユたちのやりとりが終わると、エリカが「では、今日はこれでお開きとしましょう。天候が回復しても夜間は危険でしょうし、早くても明日にはなるでしょう」と言い、解散となった。
午後四時前に、ミレイユのアトリエにゲオルグがやってきた。荷物を背負っており、町役場で借りたという傘を差していた。
「それで、修理してほしいものというのは?」
ミレイユはゲオルグとそれから自分と夕闇の分のカルムティーを淹れて訊く。来客用の椅子、それにカップとソーサーは夕闇が来る前に用意されたものだ。「運命の夕闇」が複数人であった場合のことを見越してである。
とはいえ、食卓は手狭ではあった。
「これだ」
ゲオルグは背負っていた荷物を下ろすと、器用に片腕で紐を解き、中から何か取り出して机上にごとりと置いた。それは優雅なお茶会にはまったくもって合わないなりをした鋼鉄製の物品だった。
「こ、これは……?」
「想定の範囲内ね」
びくっとするミレイユに対して、夕闇は落ち着いてカップに口をつけ、「熱っ」と舌を軽く火傷していた。
「魔導式銃腕ナーガ。四年前まで現役だった、俺の武器だ」
ゲオルグはそう言うと、その左腕の欠けた部分、すなわち肘から先にその武具をゆっくりとはめ込んだ。銃身は三本あり、どれも均一の長さを持つが伸ばしきった右腕よりも少し長くなる程度に留まっている。弾丸を詰め込むための機構なのか、取りつけた肘寄りの上側部分にぼこりと存在感のあるパーツが組み込まれている。下部にはトリガーらしきパーツがあった。
「ええと、なんだか仰々しいお名前の腕ですね」
「腕本来の機能はない。その意味で義手とは言えないな。これは俺がまだ三十代だった頃に……ああ、いや、昔話をしてもしょうがない。はっきりしているのは、これは壊れてしまっていることだ。そして直すには錬金術が必要らしい」
「らしい、というのは?」
舌先を冷ましながら夕闇が訊ねた。
「元いた街で、武器屋に言われたんだ。このレベルの魔導機構となると、もっと大きな街にいる魔導師か機械整備に長けた魔女、それでなければ錬金術士だろうって」
ゲオルグはあたかも愛猫を撫でるかのように砲身に触れる。
「この銃はかつて、知り合いのつてで遠方から大枚をはたいて取り寄せたものでな、だましだまし使って十五年余り、俺を狩猟者として活動させてくれたものだ。目立ってしょうがないから、常に装備して歩いてはいなかったがな」
エリカの調査記録に掲載されていなかったのはそういう理由なのだろう。彼が専らソロ活動していた事実もある。
「どうだ、ちょっと見てくれないか」
慎重にゲオルグが腕を取り外し、それ以上の注意深さでミレイユがそれに触れる。夕闇はそんなミレイユに「杖を使いなさいよ」と助言をよこした。植物類には博識と言えるミレイユであっても、このような武器は素人同然だ。下手に「わかりません」と素直に口にしてゲオルグの機嫌を損ねるのはお茶が不味くなりそうだと思ったのだ。そして錬金杖であれば、その設計補助機能を駆使すれば、解析できるかもしれないとも予想した夕闇である。
ミレイユは言われたとおり錬金杖を持ってきて、ナーガを調べ始めた。
「具体的にどこがどう壊れているかは、ご自身で把握されていますか?」
「銃身には傷一つない。だから、この固定式の弾倉部位に致命的な故障があると俺は思っている。何度か武器屋でバラしてもらったが、そのいずれもがなんとか元通りに、故障後の元の形にしてもらうだけで終わっているんだ」
「へぇ。ちなみに、これ三本もあるけれど、まとめて三発出せるってことかしら」
「いや、そうではない」
ゲオルグは首を横に振った。
魔石を加工した専用の弾丸を用いるが、それを高速で射出すると銃身に熱と多大な負荷がかかり、すぐに二発目を打ち出せない。そこで回転して、別の一本に切り替えて対処するという仕組みである。ようは打ち出す銃身を次々に切り替えていくことで連発が可能になる。それでも負荷を考えれば四発目以降は時間を調整しないといけないのだった。
仕組みだけ聞くと魔導式の退魔装備のうちでは取扱が容易のように思えるが、しかし実際には弾薬を込める手順と速度、下部に装着されている引鉄に入れる力の具合など、熟練するには年月がかかる装備である。加えて言うなら、ゲオルグが所持している魔導弾丸は既に残りわずかであり、もし修理ができたのなら、次は弾丸を調合してもらわないといけないのだった。
はじめこそ、この男が持ってきた退魔装備の珍妙ぶりに面食らったミレイユであるが、彼が長年愛用してきたのを知るや否や、どうにか直してあげたく思うのであった。
それに対して夕闇は、ミレイユがこの魔導式銃腕なる武器の修理に成功し、近しい機構――――魔導扇のような夕闇自身の魔力ありきの装備、ではないもの――――が調合できるようになれば、町の鍛冶屋での退魔装備の開発、引いては量産という未来が見えてくると考えた。それは少なくとも管理局側にとっては明るい未来だろう。
「この修理、引き受けました。できる限りのことはしてみますね」
「ありがとう、若き錬金術士よ」
期待半分、不安半分といった表情でゲオルグは頭を下げた。
レイニーウルフ討伐任務まで間に合うかどうかは不明であるので、他に必要な調合があればそちらを優先するのも条件として、夕闇がつけ加えた。
それからなるべく、自尊心を刺激しないように純粋な疑問という調子で夕闇はゲオルグに訊く。
「その剣はどれだけ扱えるの?」
「……ここ二年で、普通の狼なら三頭までは一人で相手できるようになったさ」
指標としてどう受けとるのが適切かわからなかったが、しかしゲオルグの戦闘経験とそのセンスは自分よりも遥かに豊富で高いものであると結論付けた夕闇だった。
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