第6話 アトリエ開業と牙をもつ者

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 修道服を脱ぎ捨てて、可愛い妹分を護る騎士となるべきなのか。

 

 エルムーラ教会の若きシスター、フェリシアは礼拝堂にて思い悩んだ。正式な所作で礼拝を初めて早三十分。神への祈りから既に、自分の内なる葛藤へと心を満たすものが移り変わっている。そしてそれを神に問うことはなく。

 先日、ミレイユがその友人であり同居者である夕闇ダスクと共に南の森の探索を行うのを知り、止めることができなかったフェリシアだ。二人ともう一人の協力者が無事に帰還したのは確認済みであるが、話を聞くに魔物を何頭も討伐したのだという。

 ああ、なんてこと!あの子は虫の一匹も殺せぬような、いたいけで可憐な乙女であったはずなのに!――――フェリシアはミレイユが薬草園の守り人として時に害虫駆除をしているのも知っていたが、それとこれとは目的も規模も違う。


「あの子の目には、この私をも怯ませる情熱と不動の決意が宿っていたわ……南の森の探索は今後も続けるのでしょうね」


 フェリシアはつい先日を思い返して、そう呟いた。

 

 やはり探索は危ないからやめておくようにどうにか説得するべく、また手作りの菓子を持参してミレイユの家を訪れたのだ。

 しかし逆にミレイユお手製のハーブティーと、彼女曰く試作品だというアルケミー・ビスケット一号なる円形の菓子でもてなされた。なんでも、釜に材料を放り込み、棒でかき混ぜて作ったのだと言う。

 その製造法はフェリシアの理解が及ばないものであった。なぜその工程でこんな菓子が焼き上がるのだろうと首をかしげながらも、何枚も食べていた。夕闇からは「あんた、けっこう意地汚いのね」と辛辣な意見を頂戴してしまったほどである。

 その後すぐにミレイユが「でも夕闇ちゃんも、昨日はたくさん食べていましたよね」と援護してくれなければ、シスターとしての面子に傷がついたというものだ。


「いっそあの子は菓子職人になればいいのではないかしら。そしてこの教会に毎日、納品しに来るの。もちろん食べ盛りの子供たちのおやつとして必要なものだわ。ただ、何か間違いがあったらいけないから、私も味見しないといけないわね。ああっ、違うのよ、ミレイユ。毒を入れるのを疑ってなんていないわ! 万一ってことはあるのだから、そう、たとえば夕闇さんが私と貴女の仲睦まじさに嫉妬してしまって……」


 いよいよ心中に留めていたものが止め処ない呟きとなり、そして大きな独り言になり、別のシスターが礼拝堂内に入って来ても気づかず、司祭に見つかると外回りしてくるように命じられたフェリシアであった。


 イルンラクトにおけるエルムーラ教会の外回り業務というのは、たとえば信徒たちの自宅訪問であった。とりわけ、療養中で教会まで足を運べない高齢者たちのもとへと出向き、彼らのために祈り、話し相手になるのが多い。他には教会出身の若者の働きぶりを確認しに行ったり、単に買い出しもあったりする。

 こうした教会外での活動をする際はいくつか想定されるトラブルを避けるために、必ずシスターは年長者と年少者の二人一組で町へと繰り出す。

 その日、フェリシアに同行することになった四十過ぎのシスターは、教会内でも噂好きであり、フェリシアの噂好きの原因ともなった女性であった。


「ねぇ、フェリシア。マチカッド商店には最近、足を運んだかい?」

「マチカッド商店? いいえ、ここ一カ月は行っていませんね。ミレイユの家の方面であれば、寄りますが。そうではないので」

「そうかい。でもどうやらミレイユちゃんはあそこに出入りしているみたいだねぇ」

「なんですって!? どういうことですか!?」

「落ち着きなよ、フェリシア。お前さんは黙っていればうちの中じゃ、ただ若いだけじゃなくてとびきりの美人だと言うのに……」

「そんなことより、商店のことです」

「新商品が仕入れられていたのさ」

「新商品? 冬に向けての防寒具でも売り始めたんですか」

「そんなんじゃないよ、洗濯石鹸さ。うちの教会で使っているやつより上等な」

「エルムーラ印の石鹸よりですか? 教会本部から各教会に行き渡らせている、小さな町の雑貨屋では到底仕入れられないものだって言っていませんでしたか。あっ! もしかしてミレイユが作ったってことですか!?」

「どうもそうみたいだねぇ。店主もさ、初めは半信半疑だったらしいんだよ。でも使ってみたら、なんとまぁ! 泥汚れや食べこぼしの汚れなんかがあっさりとれたんだと」

「さすがミレイユね。でも、それだとけっこうな値段をつけたんじゃないですか」

「いやぁ、それをミレイユちゃんが許すと思うかい? 今のところ、一度に大量には作れないみたいだけれど、値段を吊り上げるつもりはないようだよ」


 フェリシアはミレイユが釜をかき混ぜている姿を思い出した。真剣な表情もまた魅力的……って、今はそれは関係ない。ああやって、石鹸まで作っているのかと感心する。

 エルムーラ教会は大陸中の教会に石鹸を支給しているが、その製造を管理するための部署と大規模な工場がいくつか設けられていると聞く。一部の重要な都市においては、聖女様のご加護が施された高級な代物が出回っているのだとまことしやかに囁かれてもいた。


「なるほど、ミレイユは聖女だということですね! そんな気がしていました」

「こらっ、フェリシア! いくらあの子を慕っているとはいえ、そう簡単に聖女の名を与えるのはエルムーラに仕えるものとしていけないよ」

「す、すみません」

「まったく……。洗濯用だけじゃなくて浴用石鹸も作ったみたいだよ。それに石鹸の他にも、ちょっとした小物なんかも試しに売り出したんだと。いったい、どうやって作っているんだか」


 釜をかき混ぜて、と言っても信じてくれなさそうだなとフェリシアは思った。錬金術士の存在はイルンラクトではお伽話と大差ない。多くの町民にとってミレイユは薬師見習いの美少女でしかない。

 

 ミレイユの作ったものについて、詳しく聞いてみると、精神安定作用のある芳香剤や耐久性が高く使い勝手のいいまな板、それから文房具屋泣かせの筆記具も、どれも少量だが売り出したとのこと。そしてそれらすべてが既に買い手がついている。


「一貫性がないといいますか、ずいぶん手広く作ったんですね」

「日用雑貨という括りさね。もしミレイユちゃんが作ったものが、町のみんなに使われるようになったら、ここも都市の生活に近づくんかねぇ」

「都市……。い、いけません! ミレイユを街にやるなんて! ああっ! どんどん遠い存在になっていくわ!」


 先輩シスターはフェリシアの戯言に付き合わずに、ただ生暖かく見守った。



 

 見習い魔女として何ができるか。

 午後二時、夕闇は釜を一心にかき混ぜるミレイユの背中を見ながら、カルムティーを飲んで考えていた。淹れ方を教わったはいいものの、どうも自分ではミレイユの淹れてくれた味より劣る気がする。あるいは、ミレイユは飲まず、自分だけが飲んでいるからなのかもしれない。


 イルンラクト大森林の探索ルート開拓は滞りなく実施されている。ただ、深部の探索は早朝に出発しても日の高いうちには町に戻って来られない。つまり野宿をしないといけなくなる。そうなると、野生動物や危険な魔物から身を守ることを念頭にした、野宿用品の準備が必要である。

 もう一つの解決策としては、帰還にかかる時間を減少させる、つまり移動速度を向上させる道具の開発であったが、今のところこちらは難しい。

 魔石とともに教会で得た本には『プレスト・ウォーカー』という歩行速度上昇と疲労緩和の効果がある靴の調合レシピが掲載されていたが、ミレイユに言わせると特定の鳥型魔物の羽根が一定量必要なのだそうだ。

 ジャック・オールダム総合政策部長とのやりとりから半月。

 探索は五回目を終えたところだが、鳥型魔物との遭遇はない。鳥類が魔物化していないのを喜ぶべきなのだろうか。

 しかし森は広大だ。深部でなくても、現在のルートから逸れれば、まだ見ぬ種の魔物の縄張りに踏み込む可能性は大いにある。


 ここ最近は探索時以外は調合に勤しんでばかりのミレイユだ。

 探索の際には彼女の前に立ち、魔物狩りを引き受ける夕闇だが、調合中はどうしようもない。そして他でもなく自分の進言、薬師以外への調合品の売出しというのを試したのが、ミレイユの調合熱に拍車をかけた。

 見習い魔女として何ができるか。それは、もう少し十五歳の少女らしい形で表現すると、ミレイユにかまってもらえない退屈な時間をどう過ごすべきかだった。


 存外、体力のあるミレイユである。

 夜通しの調合にも慣れているし、それに錬金杖の補助機能で調合にかかる身体的疲労というのも軽減されているから、時間さえあれば、本当にずっと調合している。

 ここのところは「夜更かしをしては身体に悪いわよ」と声をかけて、先に眠ってしまう夕闇だった。朝、起きた時にはミレイユに抱き枕にされている。寝台の調合が後回しになっていることには、もはや文句を言うまい。

 それに何度か、夕闇との朝昼晩の食事よりも調合が優先されてしまっている。夕闇としては不満だが、しかしどうもそれを素直に言えない。自分との時間を何より優先してほしいなどとまでは思っていないが、自分にも探索時以外で役割を与えてほしく感じた。

 一方で、その役割を自分自身で見出してこそ試練なのだと解釈もする。

 せめてお茶の一つでもミレイユより美味しく淹れられたらなと思う夕闇だった。

 

「魔法の鍛錬よね、やっぱり」


 結局、ここ数日と同じ結論に至った夕闇は、空になったカップを洗って片づけると外に出て魔法の鍛錬をすることにした。

 魔物との戦闘。ミレイユの調合してくれた魔導扇も手に馴染んできた。とはいえ、それが機能しなくなる状況下に陥ることも想定しておくべきだ。命のやりとりをするうえで、油断はできない。だとすれば、退魔装備に頼りきりにならないように、基礎訓練はしっかりと継続すべきである。

 ミレイユやイネスに怪我を負わせたくはない。それに自分が傷ついても、ミレイユは悲しむに違いないのだ。

 夕闇はミレイユの家から薬草園へ、そしてそこからさらに少し離れた空き地で鍛錬に励むのだった。




 一週間後、魔導管理局イルンラクト支部局運営室に、ミレイユと夕闇は呼び出された。イネスもいる。エリカがいるのだから当然であるが。


「朗報よ。募集していた、登録狩猟者が到着したわ」


 そう口にしたエリカの表情は決して明るくなかった。

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