20
ミレイユと
よかったらエリカさんたちもどうですか、とミレイユは誘ったが弁当の用意があるからと遠慮された。ちなみにイネスの分の弁当も作っているエリカである。生活力に乏しいイネスは下手をすれば空腹のまま数日間エリカを見つめ続け、そのまま倒れてしまう恐れがあった。そんな話をエリカがしたときに夕闇は「さすがにそれはないでしょ」となじったが、イネス当人が「前にあった」とけろりと明かしたので、もう何も言えなくなった。
むしろ忙しいエリカに代わって弁当を作れる程度に料理ができればいいのではと、そんなミレイユの提案に「その発想はなかった」と瞠目したイネス。森でのアウトウィーゼルたちの解体捌きの手際のよさからすると、少なくとも包丁については扱いがうまいはずだ。「過度な期待はしないでおくわね」とエリカは笑っていた。そもそもの話、イネスが住んでいる二階には調理器具も設備もないため、そこからどうにかしないといけないとわかるのは後になってだった。
なお、ガストン室長はイルンラクトに来てからは運営室近くの大衆食堂を専ら利用していた。元いた街の管理局内食堂よりも野菜や魚が美味しいことは、彼を喜ばせている。
「夕闇ちゃん、これはどうですか!」
メインストリートにあるカフェで、食後に甘いお茶を飲みながらミレイユたちは話す。夕闇は、この地方では一般料理として馴染んでいる、ドムール麦で成形した麺類に完熟野菜のソースを絡ませた料理が気に入った。口元についたソースを、ミレイユに拭かれて、子ども扱いしないでと怒ってはいたが。
「急になによ」
「この頁を読んでみてください」
「これは教会にあった例の本? 持ち歩いているのね。……前にも言ったと思うけれど、その本は私には読みづらいわ。古めかしい字体で、しかも専門用語が多い」
「でも、この絵が何なのかはわかりませんか」
「ふむ……。なるほど、これは寝台なのね。ずいぶんと複雑な構造を持っているみたいだけれど。この詰め物は何? 植物の蔓、いえ、金属製のばねかしら」
「ええと、こいるすぷりんぐゆにっと、だそうです。体をしっかりと支えてくれて、かかる負荷を軽減してくれるみたいです。ようするに、寝心地の向上が見込めますね!」
どうやらミレイユは夕闇が言ったとおり、新しい寝台について錬金術で調合してみる方針をとったようだ。夕闇は改めてミレイユが開いている本を覗き込む。
「たくさんのばねで全身を支える仕組みってことね。とはいえ、直に肌が触れる面に工夫がないと、藁よりも固いだけじゃないの」
「それはそうですね。ほら、ここ。表面生地に防虫加工のフェルトを使って、それとばね構造の間に何層もの……」
「ねぇ、これって今すぐに調合できそうなの?」
「うっ。ええと、じゃあ……あっ、こっちの頁はどうですか」
「うん? 読み方は『ヌーベ・マジーア』で合っているかしら。敷布のようだけれど、どう特別なの」
「空に浮かぶ雲に乗っているかのような浮遊感が味わえる、最上級の敷布みたいです。わぁ! これを調合できたらさっきのばねはいらないかもです」
「で、調合できるわけ?」
昂ぶるミレイユに対して、すまし顔の夕闇だった。
「あうっ。ま、待ってください。むむむ……! 案外、揃えられるかもです」
「かもばっかりじゃないの」
やれやれと溜息が漏れる。まぁ、でもこのお茶は悪くないわね。
「ええと、この『ヌーベ・マジーア』で代替が利かない素材はこのオーガコットンですね。別名、人食い綿。図鑑で見た覚えがあります。適した生育環境は再確認しないとですが、南の森で群生地を発見できる可能性があります!」
「そういうのって、錬金杖に登録して探索できるの?」
「おおっ! その手がありました。やってみましょう。探索の楽しみが増えましたね、夕闇ちゃん!」
楽しいことばかりでない気はするが、しかしこうして目標を設定していくのはモチベーションに繋がるからいいものだと夕闇は思った。危険な魔物との戦闘よりは、有益な植物の群生地を見つけ出して、採集地として認定・管理する業務のほうがいいだろう。ミレイユの性にも合っている。
「ちょっと待って。私たちに必要なのは寝心地のいい敷布ではないんじゃない?」
「あっ。たしかに枕を選ばないとですよね。うーん、でも横向きで寝るのであれば、わたしとしては夕闇ちゃん以上の抱き枕ってないような」
「それよ、それ! どうしてまだ二人で眠るのを前提にして話しているのよ!」
「はい?」
「え、なんで私がおかしなこと言っているふうなのよ。いい? 約束したでしょ。私専用の寝台を用意してくれるって。いつまでもあの一人用の狭苦しい寝台で二人で寝るなんてあり得ないわ」
「夕闇ちゃん、イルンラクトの秋と冬というのは、わりに寒いものですよ。とくに夜はそうです。私が錬金術で魔導式暖房器具の調合に成功するのを信じてくれるのはありがたいですが」
「いや、べつにそれは考えていないわよ。いいから、寝台ごと作りなさいよ」
「うう、夕闇ちゃんはいけずです。でも、そういうことであれば南の森に良質な広葉樹がありますね。そちらを寝台の枠組みに加工しましょうか。そうです、前に夕闇ちゃんが蹴り倒したものがありましたね」
「あれが使えるの?」
「錬金杖で調べてみないとです」
話がまとまった。何はともあれ探索である。人入りが増え始めたカフェを出て、二人は帰路についた。
「南の森で調合素材を充分に入手できるようになったらの話なのだけれど」
ミレイユの家の前まで来て、夕闇が言う。
「なんです?」
「調合品を売り出してみるのはどう。なに、べつにお金儲けを勧めているのではないの。町の発展に寄与するってことよ。今でも薬剤の調合でミレイユが町民の助けになっているのは知っているわ。けれど、今後は錬金術を上達していくうえで、まったく別のカテゴリの道具もどんどん作れると思うのよね」
「えっと、それはつまり、自分でお店を開いてみるということですか」
「あるいは町のお店に頼んで商品として置いてもらうってことね。そのあたりはお店と交渉しないと。自分で開店するのなら、町役場と話をつけるのが筋ね。どうかしら、興味ある?」
「商いはこれまで勉強したことありません。行商人さんの話では、イルンラクトでの商売は街のそれとは勝手が違うそうですし」
そう言ってからミレイユは来た道を振り返る。イルンラクトの町並みが遠くに望める町はずれ。養父が残した彼女の居場所。
「けれど、挑戦してみたいです」
いつもどおり朗らかに、でも熱意をもってミレイユが口にした。
師匠が去った後、これまでに関わってきた人たちというのは、ミレイユの力を認めながらも新しいことへの挑戦を促してはいなかった。たとえばフェリシアが心底から願っていたのはミレイユの健康であったし、薬師としては彼女が変わらず上等な薬剤を納品してくれるのをひたに求めており、他の町民は可憐なミレイユをあたかも目の保養にしていた。
そこに現れた夕闇は、試練としてミレイユの背中を押すのみならず護る存在になろうとしている。無論、このことを通じて、夕闇自身の成長にも繋がるのだ。
「ふふっ、気負うことはないわよ。借金を作らずに、のんびりやればいいってぐらいの気構えでいいわ」
「そうですね。ひとまず寝台は後回しにして、探索に必須な道具を作っていきます」
にっこりと笑うミレイユに、「ああ、うん」と苦笑いを返す夕闇だった。
四日後。よく晴れた日を見計らって、イルンラクト大森林―――管理局が便宜上つけた名前だ――――の三回目の探索を、ミレイユと夕闇、イネスの三人で開始した。
予定では今回は植物の情報登録の続きを中心に行い、第二回探索よりも深部に進むつもりはない。むしろそこまでの経路をより細かく図面として残す目標もあった。
これは管理局と町役場が協力して、森林に手を入れてルート整備を本格的に始める段取りを組んだことによる。探索ルート上に道を作り、障害物となる木々は伐採していく方針となった。森を切り開くわけである。そうして切り倒したものを樵たちによって構成された回収班が回収するのだが、その一部はミレイユの家まで運搬してもらう取り決めとなった。
「斧でも鋸でもなく、まさか扇だとは思わないだろうな」
夕闇が魔導扇で木を薙ぎ倒す様を見やって、イネスが言う。もう驚きはしない。
綺麗な切断面の切り株に座って夕闇が一息つくと、ミレイユが水筒を差し出した。
「お疲れ様です。どうですか、扇に傷はできていませんか」
「怖いぐらいに無傷よ。魔物との戦闘と違って、息を整えた状態で自分のタイミングで、水平に切る。魔力制御が乱れないのが大きいわね。五本目でコツも掴んだ」
「体力の消耗はどうですか」
扇面に不規則に散りばめた粒状の魔石結晶は、入力された魔力を内部で幾重にも反射させて出力を高める仕組みだが、そのことは魔力を節約できるのを意味しない。なぜなら単純に魔力を流せばいいのではなく、出力を安定したものにするには微弱な魔力を流し続けて結晶同士の道を繋げておく必要があるからだ。
「今のところは大丈夫。でも、そうね、持久戦には向いていない装備なのは確か。私自身の魔力総量の底上げもしないといけないわね」
イネスはそれが作法だと言わんばかりにミレイユたちから少し距離をとっているので、夕闇が声を少し潜めれば彼女に聞こえない。そしてミレイユもそれに倣う。隠し事をするのは気が引けるが、夕闇との約束なのだからしかたない。
「どうやって魔力を増やすんですか」
「基本は、普通の人間で言うところの体力作りと変わらないわ。あとは基礎訓練魔法みたいなのが何種類かあって、それを日々続けていくうちに練度が向上するってのはある。いずれにせよ、先天的な素養と適性がものを言うのは間違いないの」
「ええと、夕闇ちゃんであれば、いつかはどんな暗号でも解読できる魔女さんになるってことでしょうか」
「まぁ、そんな未来もあるかしらね。そういう道に進むとしたら、どう考えたってイルンラクトは不向きね。この町で暗号魔法なんて微塵も普及していないもの」
「な、なるほど」
「あんたはあんたで、錬金術士として腕をあげていきなさいよ」
「はいっ!」
新たに植物類を八種、昆虫類を五種、鳥類を三種登録完了。木材の調達に成功。
魔物の新規登録はなし。イルンラクト大森林・探索ルートⅠの開拓はまだ始まったばかりであった。
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