19

 床全体を覆う紫色の絨毯は、室内に緊張感を与えていた。

 夕闇ダスクは、仮面をつけた人物こそがこの部屋の主だとわかったが、仮面をつけている理由まではわからず、思わずその仮面をじっと見やった。

 木彫りの仮面であり、表面に艶があるが特別に染色はしておらず、デザインとしてもシンプルだ。目があり、鼻があり、口がある。表情らしい表情がそこにはない。

 夕闇にとってその仮面は、アマリリスの一族が別の魔女の一族と密会する際に被る仮面を思い起こさせるものであった。そちらに比べると、目の前にいる人物がつけているそれは、鼻の部分が妙に大きく、逆に口については微かに開かれているだけで、遠目からだと固く結ばれた唇でしかない。

 暗い深緑色の腰丈までの上着に、灰色を基調とした横縞模様のタイを締めており、その体格はイルンラクトの平均的な成人男性のもので特徴的ではない。頭髪は隠れておらず、短く切り揃えられていて斑白であった。


 室内には、運営室の簡易応接間のものと比べると一見して高級であるとわかるソファとテーブルが中央に布置され、仮面の人物は奥にある長机につき長い背もたれのついた椅子に腰かけていた。「かけたまえ」とその男が言い、ミレイユたち三人は、エリカとガストンが座っているのとは反対側のソファに座ろうとする。


「お久しぶりです。オールダムさん」


 夕闇とイネスがそのままソファに身を沈めたのに対して、ミレイユは座る寸前で身を正して、ぺこりと仮面の男に頭を下げてにこりと挨拶をした。

 

「うむ。お父上の葬式以来だな……。その様子だと息災そうでなにより」

「はい。おかげさまで」

「だが、まさか君がこの件に関わってくるとは思いもよらなかったよ」


 ミレイユがどう返すか迷っていると、オールダムが手でソファに座るよう促した。そうして全員座ってから、「さて」とミレイユとのやりとりより声を低くして言う。


「初めての顔が増えたことであるし、改めて名乗るぐらいはしておこう。私はジャック・オールダム。総合政策部の部長を務めている。アジランハイドくんと一緒に来たおふたりが、マザランくんと夕闇くんで間違いないかね?」


 エリカが「ええ、そのとおりです」と肯く。

 アジランハイドというのが、ミレイユの義父であった植物学者の姓にあたるが、それでミレイユを呼ぶ人間はめったにいない。当の彼がその姓を、すなわち家系をあまり快く思っていなかった節があるのだが、その詳細について知る者はイルンラクトにおいては一握りであった。

 生前から、親交のあったジャック・オールダムはそのうちの一人である。もっとも、その親交というのは相対的なものだ。忙しない日々を送り続けているオールダムがミレイユの義父と、仕事が絡まない数少ない友人関係を築いていたのを意味する。


「不審に思われたくはないから、この仮面についても触れておこう。早い話、これは火傷痕を隠すためでね。この二十年でそれなりに回復したとは言っても、既に仮面を被るのが生活の一部、いや仮面が自分の一部となっているのだよ。幸いにも理解を示してくれる町民がほとんどで、仮面を理由にこの役職を追われることもない」

「二十年というと……」


 イネスがつい先ほど、ミレイユたちとしていた話を思い返して口にする。

 二十年前、それはちょうど流行り病がこの町に広がっていた時期である。イネスの言葉に、エリカが軽く睨み付け「お黙り」と唇を動かす。しかし、オールダムは落ち着いて「ああ、流行り病のことも聞いているのか」と言った。


「無関係とは言い難い傷だな。感染拡大の初期に起きた暴動に巻き込まれての結果なのだから。しかしもう過去のことだ。これからについては関係ない」


 意識しているのか、オールダムの声には仮面からはうかがうことのできない「表情」が込められている。ドア越しでは感じられなかったが、実際に近場で話してみると、そこには威厳と共に慈愛もあると夕闇は思った。


 オールダムは机上で肘をつき両手を組むと、話し始めた。


「では、本題だ。既にバランド室長やナヴァールくんからの報告書には目を通した。君たちが行った南の森の調査とその結果について。この際、アジランハイドくんと夕闇くんに、魔物をこれだけ討伐する力が本当にあるか否かは些細な問題だろう。解体された魔物から検出された魔導物質の濃度から、機は熟したと考えている」

「それって、魔物狩りを始めるのに最高の時季を迎えたってことかしら」


 夕闇は赤い花の髪飾りに軽く触れ、なるべく室内の空気に臆せずに、エリカやイネス相手にそうしたように魔女の矜持をもってオールダムにそう言い放った。


「それじゃあ、まるで今まで森で魔物を育てていたみたいじゃないですか」


 夕闇とは違って、いつもと何ら変わりない声色でそう言い足したのはミレイユだった。あたかもそれを合図にして、ガストンが咳払いをして存在感を周りに示す。実のところ、ミレイユたちが来る前においてはエリカ主導で行われていた報告であったのだが、ガストンは今こそ魔導管理局イルンラクト支部運営室の室長として振る舞うのだと自身を奮い立たせた。


「オールダム総合政策部長殿。彼女たちが来る前にあなたはこうおっしゃいました。南の森、あれはもはや禁忌の森にあらず、イルンラクトの発展のために切り拓かれなければならない地なのだと。そこで魔物が生態系を育んでいるのは察していたが、それが町にとっての脅威ではなく、成長の糧になるのを心待ちにしていたと」

「そのとおりだ」


 やや上擦った声で確認したガストンに対し、オールダムはあっさりと一言で返した。それからミレイユに顔(仮面)ごと視線を合わせて訊ねる。


「親愛なる町民である、ミレイユ・アジランハイドくん。ここ数年で、町の人たちが魔物に襲われたという話を聞いたことは?」

「ええと……ないです。噂好きのフェリシアお姉ちゃんからも聞いていないです」

「では、野生動物はどうだ。狩人たちが暴れ熊に出遭って九死に一生を得たという話はあったかね」

「いえ、大きな怪我をしたという話はありません。小さなものなら、駆け出しの狩人にはつきものだと町の人から聞いたことがあった気がします」


 ミレイユの答えに、オールダムは「私の認識と同じだな」と満足げに言い、組んでいる指を解いて擦りあわせた。


「あの森は、これまでイルンラクトと争いもなければ共存もなかった。木材調達のための伐採区画を徐々に広げつつあったとはいえ、そこはあの森に属していないと言える地であった。現に、そこでは野生動物たちがわざわざ人と関わるような真似をしなかった。森はそれを侵略とみなさず、人もそれを征服とは思っていない」


 狩人以外でも、森の恵みをいただきに森に分け入る人間は少なからずいたが、そうした町民は皆、古くから森への接し方について心得た人間の血筋に限られた。その点においては、ミレイユや夕闇が異質であり、異例だとも言える。実際に、最初の調査においても予定外の区域まで足を運んで魔物に襲われているという異常に遭っているわけであるが。


「小難しい話は苦手だわ。ようは、南の森の踏破、攻略、いえ、最大限の活用とでも言ったらいいかしら。それを推し進めていこうって話よね」

「夕闇ちゃんもけっこう小難しい感じがあると思いますが……」

「なんでもかんでも思ったことを言わないの!」

「は、はひっ!」


 じゃれあう少女二人をよそに男二人がやりとりを続ける。


「我々管理局にそれを委託するということは、あの森を中規模の狩猟・採集区域として整備していく方針で進めてよいということですか」

「そのとおりだ」

「町役場の全面的な協力が得られるのであれば、これ以上に有難いことはないですな。魔物が跋扈する森の探索を安全かつ順調なものにするためには、たとえば装備や探検道具の製造を担う施設と人材が必須です。狩猟者を召集するのであれば、彼らが宿泊する場所もいりますし、彼らの生活を整える店もいる。町へのそうした働きかけ、そして変革には町役場の承認がいりますから」


 ガストン室長の話しぶりにエリカが相槌を打つ。そんなエリカを見つめるイネスは、さっき無音で指示されたとおりもう喋る気配がない。


「あのー、これってつまり町おこしってやつですか! わたし、本で読みました」

「君はお父上に似て、勉強家だな」


 ミレイユの場にそぐわない緩い物言いに、オールダムは素直に賛辞を送る。


「そ、そんなこと……えへへ」

「先にバランド室長たちと話していたのだが、管理局側が適任と言える登録狩猟者を揃えるまでは、君たち三人には探索を続けてほしいものだ。もちろん、伴う危険を考慮すれば無理強いはできないがね。目標としては後続の人間のために、安全なルートを慎重に開拓するというものになる」

「いっそ、登録狩猟者になってしまうのもありでしょうか」


 ミレイユの案にエリカが首を横に振った。


「いいえ、ミレイユさん。申し訳ありませんが、正式な登録ができるのは十八歳からと管理局規則で定められているんです。今は調査補助員としてしか登録できません。ただし、報酬については出来高払いとします。ですよね、室長」

「あ、ああ。……わずかな予算をいったい何に割くべきかは承知しているつもりだ。魔導物質を適正価格で取引してくれる行商人でも見つけないといけないがな」

 

 かくして、管理局・町役場・ミレイユたちとの間で正式に協定が結ばれる手筈となった。エリカやオールダムが予想していたことには、報告書類の記述から察するに、錬金術士であるミレイユには探索とは別に多くの仕事が舞い込んでくるであろうというものだった。

 

 一方、実質的に左遷されたエリカを追ってイルンラクトに来たイネスとしては、エリカの役に立つ仕事にありつけたのはこの上ない幸運であった。あとはエリカがもう少しかまってくれるといいのにと内心、思ってなくもない。

 

 夕闇としては、ミレイユお手製の魔導扇をどこまで自分の武かつ舞として昇華させられるのかという力試しの面がある協定だった。無論、そこには十五の試練の完遂を目指している見習い魔女の大志がある。


 執務室を去り際に、オールダムがミレイユに言う。


「物で釣るつもりはないが、かつてアジランハイド氏は話していた。森の奥地にはきっと珍しい植物があるとな。今思えば、何を根拠としていたかは不明瞭なのだが……彼のことだ、当てずっぽうではないと思う」

「そうなんですね! わたし、がんばりますね!」

「ああ、頼む。流行り病で一度は閉ざされ、朽ちたイルンラクトの発展への道。それをどうか開いてくれ。……だが、くれぐれも安全第一にな。君に何かあったら、氏に顔向けできない」

「わかりました。オールダムさんこそ、どうかご元気で」


 ミレイユの微笑みに、オールダムは深く肯く。

 彼なりに笑って返すが、それは仮面では伝わらない。いや、彼女には伝わったかもしれないなとオールダムはそう信じて、若き探索者たちの成功を心より祈った。

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