第5話 町役場と探索計画
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曇天の午前十時。ミレイユと
イネスは元々いた街では、管理局の登録狩猟者の知り合いが何人かいた。加えて、エリカに一方的に好意を寄せている若手の狩猟者もマークしていた。それ以外に、管理局に出入りしていた狩猟者についても全員でないが、それなりに顔と名前は知っている。しかしミレイユと夕闇のような少女だけのパーティというのはほとんどいなかった。いたにはいたが、高名な薬師のもとで教育を受けている人間で、採集依頼を専門にしている子たちだったはずだ。
「止まって。この先にいるわよ。アウトウィーゼルかどうかまでは定かでないけれど、魔物の反応ね」
探索開始から三十分して、先頭に立つ夕闇が言った。
「魔力感知の指輪」として夕闇はミレイユに魔石を材料に調合してもらった指輪をはめており、そのことを同行者であるイネスにも伝えてはある。実はその指輪に感知能力などない。あくまで魔女である夕闇の能力であるが、しかしそれを明かしたくないので急遽用意したものだった。
ちなみに右手の人差し指にはめているのだが、ミレイユはごく自然に左手の薬指にはめ込もうとして夕闇に怒られた経緯がある。
ミレイユが錬金杖をぐっと握る。イネスは、ミレイユから受け取った改良型匂い袋を腰につけている。使用方法を教えてもらいはしたが、どの程度の効果があるかは不安だった。
「安心しなさい。昨日、見たとおりよ。私たちに任せておいて」
夕闇がイネスにそう言った。
イネスは昨日の運営室でのやりとりを思い返す。今回の依頼を受注する前に、エリカはミレイユと夕闇に魔物の狩猟が可能であるのを証明して見せるように言い、それに二人は応えた。
錬金術士という役職がどういったものかイネスは詳しくない。だから、ミレイユが振るった錬金杖が錬金術士たちにとってどれだけ一般的な武装なのか知らない。だが、その機構は確かに特別であるのは感じ取れた。
これまでにイネスが目にしてきた魔導式の退魔装備というのは、通常の剣や弓、その他の槍であったり斧であったりに魔力を付加する機構が組み込まれている武器であった。
つまり、適切に加工された魔導物質を触媒に、爆発的に殺傷能力を高める機構だ。複雑な手順と絶妙なタイミングでの発動をして、一時的にしか効力が発揮されない代物であり、取扱に訓練が必要である。
誰にでも扱いやすい退魔装備の研究開発も進められているが、イネスとエリカがいた街においては、まだまだ発展途上だった。
こうした事実は、夕闇を驚かせた。
てっきり、中規模以上の都市における管理局で活躍している狩猟者は皆、強力な魔導式の退魔装備を身につけているものだと信じていたからだ。実態としては、平和な街に駐在する狩猟者の中での普及率は低い。それに対して、繰り返し魔物の侵攻がある地域においては、必要性も素材の供給も高いので退魔装備も充実したものとなっているのだ。
翻って、ミレイユたちの装備の話に戻ると、ミレイユの錬金杖以上に夕闇が身につけている「武器」に驚嘆したイネスである。
なぜならその形状は、武器ではなく一部の少数民族の舞踊や芸能で用いられる道具と瓜二つだったからだ。
「いい? ミレイユ、あんたは私の前に出てはダメよ。解体者の警護を含めた後方支援。それに周辺の警戒。私が一頭ずつ確実に無力化していく」
「何頭いるか、もう把握できていますか?」
「二頭ね。感じ取れる魔力の大きさは、前に出会ったやつらと同じ。どうやら『食事中』のようね。好都合だわ」
夕闇は小声でミレイユにだけ状況を告げる。
「ほら、あれよ」
音を殺して茂みに寄って、屈む一同。
少し開けた場所でアウトウィーゼルが二頭、兎らしき動物の肉を貪っていた。
「ここからは私たちの狩りの時間ね」
ミレイユは夕闇の顔を見やった。声色はどこか愉しげであったというのに、その顔つきは険しく、瞳には哀切すら浮かんでいた。夕闇がこれまで魔物の狩猟をした経験がないのは知っているミレイユだった。
そして夕闇が腰に差していたそれをゆっくりと抜いた。
それはイネスが持ってきた解体用の数種類の刃物のうちで小ぶりなものと大きさが一致する。しかし夕闇の持つそれには刃なんてついていない。
夕闇がそれを広げる。
星々の瞬く夜空を思わせる面が露わとなった。その星々は錬金術によって高密度に圧縮され、極限まで反応が高められた魔石である。骨組は鍛冶屋で取引した鋼鉄と魔石とを混合させた一般的に魔鋼と呼ばれる素材である。持ち手となる要の部分は、夕闇の魔力をその武具全体に行き渡らせるための魔導機構がつけられている。
改めて見ても、芸術的な美を有するそれは武器というよりは鑑賞用の装飾や儀式用の道具のようだとイネスは思った。
――――扇子。
それこそミレイユが夕闇のために調合した退魔装備だった。
教会で入手した『錬金術式便利生活のすすめ其の六』の中で武器に転用できそうな魔導機構と魔石の加工実例に基づき、そして錬金杖の設計補助機能を利用して調合に成功したものだ。
当初は魔力射出装置付きの短刀として仕上げる話もあがった。しかし魔女として露骨で無骨な武器よりも暗器めいたものがいいと要望が夕闇からあった。
そしてその夕闇自身が偶然にも書棚から見つけた、異国の民俗学に記された護身具として用いられた鋼鉄製の扇子から着想を得たのだった。
夕闇が魔方陣を展開し、身体強化を行う。魔導扇はその展開を補助してくれる。ほんの数秒で夕闇に魔法が定着する。もとより魔力の素養がないイネスには陣は視認できず、夕闇の手の動きはたとえばエルムーラ教のお祈りとしか思えない。
身構えたミレイユは調合した手投げ爆弾やその他の道具、とりわけ緊急用の治療薬を使う状況にならないでと願った。二頭のアウトウィーゼル、その片方に向かって夕闇が駆け出す!
閃光が走った。いや、宵闇と言うべきか。それは黒い光だった。
夕闇が一頭のアウトウィーゼル相手に扇を振るうと、それは魔力が込められた斬撃となり、その身に深い傷を与えたのだ。夕闇にその牙を突き立てることはおろか、もはや夕闇の姿を認識できなくなる、致命傷であった。もう一頭は敵対か退避かの二択を選ぶより先に、反射的に夕闇に向かって威嚇行動をとった。しかしその瞬間、夕闇は容赦なく扇を振るっていた。そして二頭目もまた地に伏した。
夕闇はそのまま周囲の気配察知を行う。魔導扇の補助があって、そこそこの範囲まで把握できる。どうやら今しがた殺めた二体は群れで動いてはいないようだった。もしかすると、番であったのかもしれないな。そう思うと、やるせなさもあったが、深くは考えないようにする夕闇だった。
「終わった。解体者よ、頼んでいいか」
「あ、ああ」
イネスは萎縮した。昨日は運営室の裏口を出てすぐの地面を、夕闇が扇を使って抉り取ってみせたのだが、その結果よりもエリカのやや興奮した表情に見蕩れていたイネスである。さらに言うなら、エリカが夕闇たちに期待を寄せていることには、少し嫉妬すらしていた。
だが、今はそれよりも単純に二頭の魔物をほんの数秒で狩った夕闇の身のこなしに衝撃を受けていた。
ミレイユはというと、ほっと胸を撫でおろしていた。夕闇が無事であることに安心した。もしも一撃で沈めなければ……魔法で強化された身体があるとは言っても、戦闘経験が皆無の夕闇が必ずしも反撃を躱せるとは限らないのだ。できれば、中・遠距離からの攻撃を頼りにしてほしいところだが、察するに夕闇はまだそれを使いこなせないみたいだった。
「ミレイユ、解体中に他の魔物が寄ってこないようにしてくれる?」
「は、はいっ」
ミレイユが小瓶を取り出して、蓋を開く。そして中にあった砂状のものをさらさらと一帯に巻いた。
「それは?」
イネスが解体道具の準備をしながら訊ねる。
「ええと、簡単に言うと魔物除けの薬剤です。水溶性で、溶けると魔物が嫌がる匂いを放つんです。あ、大丈夫ですよ、人間にも土壌にも無害ですから」
必要最小限の水を撒きながらミレイユが答えた。事前に解体にかかる時間を聞いて、持続時間が長めの魔物除けの道具を調合してきたのだ。瞬間的な威力を重視している手投げ式の匂い袋とは異なる。
イネスが解体している間、夕闇は周囲の警戒を務めていたが、ミレイユは解体しているイネスの傍で杖を掲げていた。錬金杖への情報登録作業である。
もっとも、これについてはエリカとイネスには話していない。便利が過ぎることって秘密にしておくものなのよと夕闇に口止めされているからだ。この情報登録作業は、管理局が行っている情報登録と似通っているものであり、端的に言うならミレイユが錬金術を行使するうえで役立つ情報を杖に記録させているのだった。
おかまいなく、とミレイユが言わずともイネスは解体に集中する。
今回の調査に不要と判断した部位はすべて埋葬する手筈となった。大部分の魔物が食用に適さない、食するのがタブー視されているのはミレイユも知っていた。
「さて、次に行くわよ」
「終わりはあるんでしょうか」
「あんたが私に教えてくれたとおり、この森は広い。数日で最深部まで調査を済ませることは無理だろうし、それはおそらく管理局が開局してから、正規の狩猟者任せでいいんじゃない? 私たちが請け負う任務の範疇を超えている気がするわ」
「な、なるほど」
「野宿の用意はない」
イネスが解体したアウトウィーゼルを詰めた背嚢を指差して言う。
「それもそうですね」
「そういうこと。それじゃ、進むわよ。大群とかち合わないようにはしないとね」
エリカは威力偵察と表現したが、管理局にとってはたしかにこの南の森にどれだけの魔物が生息しているのかはおぼろげであっても把握しておきたい事項だった。
とはいえ、管理局側としては、まさか少女二人がそれを担うとは夢にも思っていなかっただろうが。
探索ルートとしては、一部の町民が古くから開拓している木材調達のための伐採地とは、まったく別の方面を進んでいる三人だ。野生動物の縄張りには既に踏み込んで久しく、たった今、はぐれ魔物との邂逅もあった。それに道らしい道もなくなり、地面も人間が歩行するにしては不安定だ。気を引き締めなければならない。
迷子にならないよう、目立つ木々に調合してきた塗料で目印をつけていくミレイユ。蓄光性のあるこの塗料は、天候不順が長く続かない限りは、日が落ちてからも役に立つ。夕闇はこうした塗料も町で売るようになれば、より多くの資金を得られるだろうと考えもしている。そうは言っても、今のところ資金調達をそこまで要してはいないのだが。
二頭のアウトウィーゼル討伐から十五分後、三人は手頃な場所で休憩をすることにした。エリカから、ミレイユはそのスケッチの精巧さを見込まれて、簡単な地図の作成を頼まれていた。だが、そちらの進捗は芳しくない。見まわす限り木々ばかりだからだ。
「ここを狩猟区域に指定するのであれば、整備がいるな」
「整備? イネスさん、それってどういう……?」
「人間が探索するのに適した土地にしていくということでしょ」
「そのとおり。たとえば、低・中級狩猟区域として管理認定を受けているオブナドナ密林は、通常探索エリアが十七に分割されているが、いずれもまったくの手つかずということはない。狩猟者が休息できるポイントが設定されており、中には定期的に物資が供給されている箇所もある」
エリカと比べて、抑揚のない調子で情報を陳列するイネスであった。ミレイユは夕闇に耳打ちする。
「夕闇ちゃん、今のをわかりやすく説明してください」
「本人に言いなさいよ」
「で、でも……」
夕闇にしても、その後イネスと対話を重ねて初めて知ったことがいくつかあった。
一つに、彼女が例に出したオブナドナ密林というのがイネスたちの故郷の街から南方、馬車で二日かけて到着する区域であることだ。周辺地域の多くの登録狩猟者にとって馴染み深い区域である。通常探索エリア以外にも、一部の特定のクランにのみ探索が許可された区域があったり、有事以外には禁足地とされている場所もあったりするのだという。
「さぁ、探索再開よ」
「お、おーっ!」
「了解です」
示し合せはなく、自然と指揮をとる最年少の夕闇だった。
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