14

 定期的に行われている薬師との打ち合わせは予定よりも長引いた。

 ミレイユが錬金杖で新たに調合した薬品が、これまでよりも上質なものであったため、取引価格が変更されたからだ。夕闇ダスクはつくづくミレイユは町人たちに愛されていると感じた。ミレイユは取引価格を据え置きでいいと言ったのに対して、薬師がそういうわけにはいかないとはっきり主張したのだった。彼が誠実であるだけではなく、ミレイユの人柄ゆえの結果であるのは傍目から見ていて間違いなかった。


 二人は昼前にエルムーラ教会に到着した。町役場と同じく町の中央広場にある建物だ。イルンラクトにおいては、メインストリートに並ぶ店よりも遥かに長い歴史を持つ。事実、この町での信仰というのはそのままエルムーラ教と同義であり、他の宗教が入り込む余地は今のところないよう思われる。

 とはいえ、エルムーラ教の教義や戒律はさほど厳粛ではなく柔軟な解釈によって地域差が大きくあり、つまりはここイルンラクトでは概して温厚な人々の意に沿ったものとなっている。


 流行り病からの復興後に大がかりな外装工事がなされもした、教会の外観は美しく保たれている。魔女にとっては近寄りがたい雰囲気を醸し出しているけれどね、と夕闇は冗談めかして言う。

 エルムーラ教会が、魔導管理局や魔女といったいわゆる魔法界全般に対して中立宣言を発したのは三百年前に遡る。染めず、染まらず。管理局側に、正当な報酬をもって魔物退治の依頼をすることもあれば、都市から迫害された魔女を受け入れもしている。イルンラクトにおいては今まで、どちらも無縁の事象であった。


 二人が教会の中へ入ると、一目散にミレイユに向かって若いシスターが歩いてきた。朝の集いはとうに終わっており、大きな箒で床の塵を掃いているところだった。


「ミレイユ! 昨日も一昨日も顔を見せてくれないから、家に押しかけるところだったわよ!」

「こんにちは、フェリシアお姉ちゃん。少し用事が立て込んでいたから、来れなかったんです」


 この人がミレイユの話していた、フェリシアお姉ちゃんなのかと夕闇は得心した。金色の髪にやや面長、淡褐色の瞳に高い鼻。背丈はエリカやミレイユと同じぐらいで夕闇よりは高く、シルエットはエリカよりも細身だった。服が濃紺で収縮色であるからいっそうそう見えるのかもしれない。だが、そのミレイユに向けられた笑顔は眩く、寒色をまったく感じさせない。


「あら、そうだったの。その用事というのは、そちらの見覚えのない女の子と関係があるのかしら」

「はいっ! こちらはわたしの友達の夕闇ちゃんです」


 夕闇が軽く頭を下げる。フェリシアは笑みを保ったままできゅっと目を細くすると「綺麗な黒髪ね」と言った。


「えへへ、それほどでもありますよね」

「なんであんたが照れているのよ」

「へぇ……。夕闇ちゃんは、どこからか引っ越してきた人なのかしら」

「あっ、それについてはわたしが説明します。ええと、実は三日前に南の森で行き倒れているのを保護したんです! 本当です!」


 夕闇はひやひやした。これだったら、自分が意味深長にでも「そのとおりよ」とだけ返事しておけばよかったのではないかと思ったのだった。せめて、そんなにこにことしないで、苦労したふうに話してよとミレイユに呆れていた。


「まぁ、それは大変ね。今はどこでお世話になっているの? この教会ではないとすると、町役場が設けている宿しかないかしら。それともパン屋の二階?」

「いえ、わたしの家で暮らしています」

「えっ」

「いっしょにご飯を食べて、一緒に寝ています!」

「な、なんですって。そんな羨ま……いえ、いけないわ。正式に役場に届を出して、うちの教会に来なさいな。週に四日も働いてくれれば三食寝床の生活を保障するわ」

「ダ、ダメですよ! 夕闇ちゃんはもう家族みたいなものですから!」

「待て。たった三日だぞ」

「成り行きとはいえ、あんなこともしましたし……」

「!? あ、ああああ、あんなことってなに!? 夕闇? いったい私の可愛い妹をどんな魔法を使って手籠めにしたのかしら」

「え? どうしてフェリシアお姉ちゃん、夕闇ちゃんが―――ふごっ!?」


 夕闇が手のひらでミレイユの口を塞ぐ。もっと早くそうしなかったのを後悔した。


「ところで、我からも訊きたいことがある」

「夕闇ちゃんったらまたそんな話し方をして……」

「私はまだ、私の世界一可愛い妹について確認したいことが……」

「訊いてよいな?」


 有無を言わせぬ夕闇の調子に、ミレイユとフェリシアは揃って「はい」と応じた。


「この教会には魔導物質が蓄えられているのか?」


 夕闇の言葉に、二人そろって首をかしげるミレイユとフェリシア。


「調べさせてもらうぞ」


 夕闇の直感が働いた。すなわち、魔力の気配を教会内に感じたのだった。しかしフェリシアの反応をうかがうに思い当たる節がないようだ。この娘は、魔力には鈍感、すなわち人並みの感知しかできないと夕闇は判断して気配察知の魔法を展開する。聖堂の高い天井は範囲外だが目視してみるに発生源らしきものはない。

 教会内の置物や装飾品が魔石製とは考えにくいが、そうとは知らずに設置している可能性もあった。

 魔力の源を探りながら、教会内を歩きはじめる夕闇だった。有効範囲が狭い以上、突き止めるには何度も魔法を展開しないといけない。それについてくるミレイユ。そしてそのミレイユを追いかけるフェリシア。どうも、シスターとして不審な動きをしている夕闇にかまっているようではない。二日ぶりに会った可愛い妹分が、なぜか急に可愛い女の子との同棲生活を始めていたことにまだ混乱しているのである。


「ふむ。ここからのようだ。だか、鍵がかかっているな」

「あれ? フェリシアお姉ちゃん、この扉ってたしか……」

「一年ちょっと前ぐらいから開かずの間になっている物置よ。ああ、もともと中にあった荷物は別の部屋に移していたけれど」

「どういうことだ?」


 けろりと話すフェリシアに今度は夕闇が不思議に思う。

 教会内の奥まった場所ではなく、入ってすぐの聖堂の壁にある扉だ。見過ごしてしまうような変哲のない扉。魔力さえ漏れ出ていなかったら、夕闇が気にすることはなかった。一年少し前から開かずの物置部屋? 荷物は移しているというのは……。


「思い出しました。師匠です」


 ミレイユが「そうでしたよね?」とフェリシアに続けて訊ねた。


「そうそう、そうだったわね。えーっと……詳しくは全然思い出せないけれど、うん、ミレイユの師匠が『ここに必要なものを入れておく。時が来れば、開くべき人間が開けるだろう』って」


 そのとき、夕闇は強烈な違和感に襲われた。変だと。何かが、明らかに。しかし、すぐにそれは収まった。違和感を持ったのがおかしいとでもいうように。


 そのとき、フェリシアを呼ぶ声が聞こえる。別のシスターの声だ。「はぁい、ただいま」と応じてから「ミレイユ、夕闇さんのことはまた時間があるときに聞かせてもらうから。お姉ちゃんは納得していないんだからね!」と言い残して、ぱたぱたと去っていった。


「この扉の奥から魔力を感じるんですか」


 ミレイユが夕闇のすぐ耳元で囁く。その不意打ちの吐息に「ひゃっ」と声を漏らす夕闇。すぐに咳払いをして「そうだ」と返した。


「あんたの師匠が町を去る前に何かをしまい、開かずの間にした部屋。どう思う? これ、ただ鍵がかかっているわけじゃないわ。――――マジック・サイファーよ」

「それって、あるけみっくこあの時と同じってことですか」

「そう。暗号魔法がかかっている。しかもアルケミックコアに関する覚え書きよりも、難解だわ」

「解けますか」

「ええ、できるレベルだと思う。ねぇ、師匠が中に何を入れたのか覚えている?」

「いいえ、ちっとも」


 予想通りだった。が、またふつふつと違和感が湧いては、即座に溶けていく。

 嫌な感じだった。それでも夕闇は考えた。この扉を開くべき人物。それは運命の夕闇たる自分で相違ないのか、と。これが十五の試練という運命の一つであれば、扉の奥に罠が仕掛けられている可能性もある。だとすれば、今は準備万端とは言い難い……。


「これ、今から解いてみるわ。慎重にね。一時間はかかりそう。ミレイユ、悪いけれど教会関係者に許可を、というより事後承諾をもらって。それから、家に一度帰って杖と、そうね、薬やその他の道具をもってきてくれる?」

「えっと……」

「お願い」

「わ、わかりました!」


 真剣な顔つきで頼む夕闇に、ミレイユは返事をすると、まずはフェリシアたちシスターが引っ込んだ部屋へと駆けていった。




 正午が過ぎ、午後一時になり、二時にさしかかるところで復号かつ開錠に夕闇は成功した。途中でお腹を鳴らした夕闇のために、見守っていたミレイユが食べ物を用意しようとしたが、夕闇が断った。

 それでもミレイユはフェリシアが焼いてくれたクッキーを、両手が塞がっている夕闇のためにそのまま口に運ぼうとした。そのときは「外に出ていなさい」と夕闇に怒られてしまった。

 結局、最後まで、健闘する夕闇のそばにずっといたミレイユだった。フェリシアをはじめとする教会関係者は二人をちらりとは見たが、ミレイユを信じて、声をかけにくることはなかった。厳密には、声をかけたいとうずうずしっぱなしのフェリシアを何度か別のシスターが引きとめていた。


「開けるわよ。杖を構えておきなさい」

「は、はいっ。いつでもどうぞ」


 そして夕闇がゆっくりと扉を開ける。


「ふぅ。ひとまず、空間転移はないようね。思ったより狭い部屋だわ」

「そうですね……窓もないので暗いし。扉は開けたままにしておきましょう」


 夕闇は気配察知の魔法を展開する。危険察知も兼ねているが、夕闇の練度では不可視の罠までは感知できない。おそるおそる入室すると、幸いにも平気だった。

 ミレイユの家の浴室よりやや広いぐらいの空間だ。壁に低い棚が一つあり、床に木箱が二つあった。ミレイユたちでも抱えられそうな大きさだ。重さはまだわからない。布がかけられており、中身が不明なのだ。特に匂いはしない。


「棚のほうは、すかすかね。本が一冊と、この封筒は手紙かしら。ねぇ、書名読める?」


 ミレイユの家の書棚にもこの本と酷似した文字が並ぶ本があったと夕闇は思い返したのだった。


「ええと、『錬金術式便利生活のすすめ其の六』でしょうか。古代語ですね。師匠から教わりました。内容は……」


 ミレイユがぱらぱらとめくる。


「おおーっ! 見てくださいっ、夕闇ちゃん!」

「なによ。うん? これは機械の図面? 複雑ね。数値はともかく、用語が読めないわ。この頁は何の機械なの?」

「錬金術でつくる、農作機械みたいです。他にも、ふむふむ、書名どおりに生活を便利にする機械が載っていますね。素材は……知らないのが多いです」


 がっくりと肩を落とすミレイユに対して、夕闇は封筒の封を切った。中から出てきたのは、またもやマジック・サイファーが組み込まれている紙だ。だが、今度はすぐに復号が済む。


『己を護り、魔を討つための武具を調合するべし』


 ミレイユが紙を覗き込む。そして「わぁ! きっと夕闇ちゃんのために、なんとか装備の調合素材を残してくれたんですよ!」と笑うと、木箱を確認しに行く。待ちなさいと夕闇が言うよりも先に、ミレイユが片方の木箱の布をするりと取った。

 

「おおっ。綺麗な色をした石がたくさんですね。色とりどりです。宝石でしょうか」

「あんた、実物は見たことなかったの?」


 中腰で箱の中を眺めるミレイユの背後、夕闇が立ったまま声をかけた。


「というと?」

「――――これが魔石よ」


 平穏な田舎町の教会、その開かずの物置から魔石。

 エルムーラの神からの贈り物でないのは確かね、と夕闇は思った。 

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