第4話 聖職者と解体者

13

 ミレイユが目を覚ましたのは、夜が深まりつつある午後十時だった。

 夕闇ダスクから魔女の力を一時的に渡され、半ば昏睡状態に陥った五時間後のことである。


「やっと起きたわね。気分はどう?」


 寝台の横に椅子を置いて座っていた夕闇が、横たわるミレイユの顔を覗き込む。つい先日とは逆の立場だ。とはいえ、あの時のミレイユは浴槽でのぼせた夕闇を慌てて救助し、取り乱していたが今の夕闇はというと落ち着いている。


「ふわぁ……悪くありません」


 上半身を起こしてミレイユは大きく伸びをした。


「ええと、もう夕食は食べましたか?」

「初めに訊くのがそれ? 悪いけれど、勝手に残っていたパンを食べさせてもらったわよ。あんたこそ、食欲はある?」

「あんたではありません。ミレイユです」

「はいはい。その分なら、うまく魔力が定着したようね」


 ミレイユはそっと寝台から降りて、書きもの机の引き出しを開けて懐中時計を確認する。お腹は空いているけれどこの時間帯に何か食べるのは気が引ける。フェリシアお姉ちゃんが知ったら怒るだろうな、とミレイユは思った。シスターである彼女は規則正しい生活を大事にしているから。


「何を読んでいるんです?」


 ミレイユは夕闇が手に持っている本を見やる。どうやらミレイユが目を覚ますまで、書棚から拝借して読んでいたようだ。


「これよ。こんなのあるなんて。教えてくれたらよかったのに」

「『魔導機構入門』? ええと、読んだことあったような、なかったような。そこにある本の大半はお父さんのものなんです。学術都市にいた頃に揃えた蔵書、それにイルンラクトに引っ越してくる長い旅路で手当たりしだいお店で買ったり、人から譲ってもらったりした本。こっちに来てからも機会があれば行商人から買っていました」


 植物と本、そして養女のミレイユに真剣に付き合う隠居生活であった。大部分の本は読み通したミレイユであったが、一回で理解できないものが多数あったのも事実だ。植物学と薬学と、それから一部の小説を好んで繰り返し読んでいる。


「へぇ、どうりで写本のみではなく刊本もそれなりにあるわけね」

「もしかしてその本で夕闇ちゃんがほしがっている、なんとか装備のヒントを得られましたか」

「退魔装備よ。残念だけれど、空振りね。この本は魔導機構学について、体系化されている既存の理論を噛み砕いて並べているに過ぎないみたい。私が求める実践的な記述はほとんどないわね」

「夕闇ちゃんはなんでも知っているんですね」


 ミレイユはなんとなく手の中で遊ばせていた懐中時計を、また元どおりにしまう。空腹は我慢することに決めた。


「は? だったら、こんな本を読まないし、自分で必要な設計ができているわよ。そういった方面の知識が不足しているから困っているんじゃないの」

「でも、わたしよりもずっと、魔導物質やその魔導機構というのに詳しいですから」

「……よく頭でっかちと貶められたものよ」


 夕闇は、意地悪でしかし間違ってはいない同族の魔女たちのことを思い出す。

 魔法全般についてただ知るのなら、普通の人間でもできる。そう言われた。今の世の中、そのとおりだと思う。それでもそういう連中に対して夕闇は常々、この知が必ず結果を出すから、頭の中で終わらずに形にしてみせるんだからと虚勢を張っていたのだった。


 ミレイユは寝台に腰掛け直して、そしてぽんぽんとすぐ脇を叩いた。夕闇がそれを「ここに座って」という合図であると解するのに間があった。「ね?」と微笑んだミレイユに「なによ」と言いながらも、夕闇は椅子に本を置くとミレイユの隣に座った。拳一つ分の距離。でも、それをミレイユが詰める。


「ぎゅーっ」

「なんなの」


 わざわざ擬態語を口にして抱きしめてくるミレイユに、冷めた声で対応する夕闇だった。慰められているのだろうか。だとしたら、余計なお世話だ。


「やめなさい」

「いいえ、やめません。まだ慣れないものですね」

「何がよ」

「目が覚めたら誰かがいてくれることです。少し前まではそれが日常で、でもそれがなくなって。ふふっ、ごめんなさい。甘えてしまって」

「……まったくよ」


 ほんと、余計なお世話なんだから。夕闇はしばらく抱きつかれたまになっていた。


 その後、夕闇は眠ることにした。ミレイユには言わなかったが、平時は早寝早起きであるべしと掟にあるアマリリスの一族の夕闇からすると午後十時は眠い。とても。

 一方、今しがたまで眠っていたミレイユはすぐには眠り直せそうになかった。夕闇に言われて、機動に成功した錬金杖の機能を確認することにしたのだった。

 

 そして夜が明けた。




「ねぇ、まさか夜通しでかき混ぜていたんじゃないでしょうね」


 翌朝、起きた夕闇は錬金釜の前に立つミレイユを見つける。混ぜている。それはもう楽しげに混ぜている。直感がはたらいた。この混ぜようは、ほんの数分前からではないのだと。


「夕闇ちゃん、おはようございます! えへへ……目が冴えちゃって。つい、暗がりでぐるぐるしていました。あ、でも朝食の準備はしてありますし、薬草園に行って水遣りもしましたよ」

「ああ、そう……」


 元気ならいいか、と夕闇は思って寝台を出て顔を洗いに行った。今日も快晴だ。


 朝食をとるために、二人は席に着いた。夕闇が黙って一人で食べようとしていたところに、ミレイユが釜を錬金杖でかき混ぜるのを中断したのだ。

 

 そうだ、錬金杖だ。つい昨日までは別のかき混ぜ棒を使っていた。夕闇はミレイユが手放して釜の脇に置いた錬金杖を窺う。


「それで?」

「えーっと……今日は、午前中に薬師さんと打ち合わせをしに行くのと、教会にも寄りたいです。三日続けて顔を出さないとフェリシアお姉ちゃん、心配しちゃうだろうから。それとですね、夕闇ちゃんのためにまだ買うべき生活用品が――――」

「ちがう。今日の予定ではなく、あの錬金杖のことだ。どうなのだ、何か掴めたか。我にとって有益なことが」

「あれ? またその話し方に戻したんですか? って、ああっ! わたしのパン! ダメですよ、夕闇ちゃん! またそんなふわっと浮かせて! 人のパンをくすねる魔法は禁止です!」

「いいから、話しなさいよ」


 パンを返してやって、夕闇が溜息混じりに言う。


「まず、調合補助機能に関してですが」

「うん」

「かなりすごいです!」

「詳しく」


 興奮するミレイユに、素っ気なく夕闇が応じる。


「あのですね、品質向上に時間短縮、それに素材節約の効果が発動したんです。いいですか、たとえば緑の中和剤一瓶を調合するのに、一時間かかっていたのが、なんと三十分で完成したんですよ。びっくりです! 釜の色が適当に変わるのに必要な薬草類は従来と比べて七割ほどで済みましたし、品質はその中和剤を使って調合したキュアサルヴで検証できました」

「そ、そう」


 早口でまくし立てるミレイユにまごつく夕闇だった。

 聞いてみるに、キュアサルヴというのは切り傷や火傷を含めた主に皮膚疾患の治療用の軟膏であるそうだ。ちなみに、おおよそすべての調合品の名前は師匠が教えてくれたものをそのまま使っているのだとか。


「他にも調子に乗って、ヒーリングパッチやメディカルアロマ、改良型匂い袋の調合をしてみました。どの調合も成功したので、次は新たな道具に挑戦しようと考えています!」

「その改良型匂い袋や、これから作ろうとしている道具は、あのアウトウィーゼルの討伐に役立ちそう?」

「はいっ。手投げ爆弾の調合レシピが前々からありまして、でも不要だったので調合したことがなかったんです。失敗して釜が壊れる恐れもありましたし。でも錬金杖さえあれば、安定して調合可能なはずです。素材さえあればですが」

「手投げ爆弾? なかなかに物騒ね。まぁ、いいわ。それで他の機能は?」


 夕闇は薬草汁を一気飲みして訊ねた。まだ慣れないといえば、自分にとってはこの味だわと眉根を寄せる。


「話に聞いていたとおり、錬金杖そのものを武器としても扱えるみたいなんです」

「棍棒みたいに振るうってこと?」

「追加モジュールの導入で、風や炎、氷や雷まで放出できるみたいですよ!」

「大した魔法の杖ね」

「えへへ」

「で、追加モジュールってのは? 今すぐにでも調合できるの?」

「あうっ。で、できません。それぞれの技能に応じた魔導物質がモジュールの調合素材として必要不可欠だというのはわかっています」

「でしょうね。ちょっと魔女の力を宿した程度で、魔導物質なしにそう易々と魔法めいた術を行使されたら、私たち魔女の面子が丸つぶれよ。ようは、その錬金杖は錬金術士専用の魔導装置兼退魔装備ってことね。想定の範疇だわ」


 朝食を食べ進めながら、情報をさらにまとめてみると錬金杖の調合補助機能には、高度な調合品の設計支援もあるのだった。これをして、夕闇のための退魔装備の調合の目処が立つ。

 かくして問題は、用途に合った魔導物質の入手に収束する。


「あのー、夕闇ちゃん。魔導物質、魔導物質ってこの三日間でたくさん耳にしましたが、わたしが知っているのって魔石ぐらいしかないのですけれど、他にもいろんな形で自然界に存在しているんですか」

「それを説明しだしたらきりがないわ。いい? 魔導物質を『魔力を伝導する物質』とだけ定義するのは強引で、場合によっては不可解なのは誰もが認めるところよ。その起源に関する論争に終わりはないとされているし。ミレイユの言う魔石って、どっちを指しているの?」

「どっち?」

「魔物がその体内で生成している魔力の結晶としての魔石。あるいは鉱脈が魔力に汚染されてその内部構造に魔力が浸透した魔石。名称として後者を『魔鉱』だとか区別する文献もあるけれど、ひっくるめて魔導物質よ。そもそも魔力とは、なんて話しはじめるとどこにもたどり着かないまま、頭が痛くなるばかりだわ」

「わかりました! 難しいことは考えるなってことですね!」


 悪びれずに笑顔を見せるミレイユ。

 

「まぁ、そんなところ。重要なのは自然の理に背く力が確かにあり、それが満ちている世界においてはそれが自然の一部と言えるってこと」


 結局、魔導物質の入手についてはエリカに相談してみることとなった。明日にはエリカの友人も到着予定である。

 

 朝食が済むと、ミレイユたちは町へと出かけることにしたのだった。

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