12

 一時的な魔力譲渡の手段について夕闇ダスクから聞いたミレイユは、すとんと椅子に腰を下ろした。両手を頬に添えると「な、なるほど……」と言う。その頬は赤く染まっていて、目は泳ぎ、正面に立ったままの夕闇を決して捉えることがない。

 夕闇は暗号魔法がかかっていた紙を今一度、じっくり調べる。しかしアルケミックコアの起動に関する情報は、復号で浮かび上がった一文の他になさそうだ。

 魔女の力を授かった錬金術でなければ水晶は応じない。夕闇はもう一度、そのことを考えてみる。少女同士で口づけを交わす以外の選択肢を。

 

 魔法の道具でどうにかできないだろうか。

 魔女たちは地域と時代によっては魔物と同等に忌み嫌われた歴史がある。今や、魔物を魔導物質が採取できる「素材」のようにみなし、管理する組織も発達しているわけだが、それが魔女の地位向上には必ずしもつながっていない。その一方で、夕闇が族長から聞いた話では、為政者に重宝されるケースもあるらしく、言い換えれば魔女は一国の政に関与する存在ともなり得る存在なのだった。

 だが、その手の逸話は都市部での魔導物質の加工をはじめとする魔導技術の発展に伴い、事情が変わってきている。夕闇が風の噂で知るところでは、大都市では魔導装置の開発・運用に秀でた人材を養成する機関が数年前に創設され、魔導師などと呼ばれている職があるのだとか。そうした技術の起点には魔女がいるはずなのだか。

 そんなふうに流通しつつある魔導式の道具が、アマリリスの一族に伝わる魔法の道具と機構が多少異なっていても、同じく魔女の力を授ける手段となるのではと夕闇は推察したのだった。


 イルンラクトにある雑貨屋では取り扱っていないだろう。しかし運営室には記録端末以外にもいくつか魔導装置を都市から持ってきているはずだ。それを借りるのが現実的な手段だ、そう夕闇が答えを出した時、ミレイユが立ち上がった。


「あの、夕闇ちゃん」

「なんだ」

「森で使った身体強化魔法。ああいうのを、わたし相手にかけられませんか。それなら魔女の力を授かるという事象として水晶に認められる気がします!」


 ミレイユはミレイユで、恥ずかしさを脇において、魔女の力の譲渡について再考していたのだった。だが、夕闇は困り顔で「できない」と言った。


「私には無理だ。たしかに支援魔法や治癒魔法は対象の生命力を核にして働きかけるもので、それはある意味で魔女の力を分け与える行為だと言えるな。しかし私にはそれらを行使する適性がないのだ」

「魔法の適性……?」

「浮遊魔法に自己のみにに使える身体強化魔法、それと気配察知、あとは今の暗号魔法か。私がそれ以外で行使できるのは、いいや、それら含めて使えるのは皆、低練度の魔法だけなの。ド派手な高位魔法なんてのは、使えないのよ」


 まだ明かすつもりはなかったのに。

 夕闇は訥々と口にしながら、悔やんでいた。でもこの子から詰問されてしまうよりは、いっそ自分から話してしまった方が楽になると思い直した結果だった。

 けれど、それが本当だったかわからない。夕闇は自分が落伍者、一族の中でも落ちこぼれであるのを遠回しに伝えてみて、気持ちはまったく晴れていなかったから。

 顔を俯かせてしまう夕闇。幻滅されただろうか? 目の前にいる純粋無垢な少女は自分のこれまでの振る舞いを「嘘つき」と非難しないだろうか。

 夕闇は不安に襲われた。出会ってほんの数日のミレイユに、拒まれてしまうのは試練の失敗を意味するよう思えた。


「ねぇ、ミレイユ。私に考えがあるわ。運営室に行って――――んっ!?」

 

 顔をどうにかあげて、先ほど検討したことをミレイユに伝えようとした夕闇だったが、それは果たされなかった。

 その口が塞がれたのだから。ミレイユの唇で。


「ど、どうですか」

「なっ、な……なにしているのよっ!」


 部屋の中で二歩、夕闇はミレイユから退いた。

 一秒。短い時間だ。しかし少女二人にとっての最初の口づけであるがゆえか、記憶としては長く残る。

 口を離したミレイユは、顔を紅潮させて怒っている夕闇に惑う。この方法を教えてくれた時、夕闇は乗り気だった、ううん、そうでなくても嫌がらずに受け入れている節だったのに、と。

 

「これでわたしに夕闇ちゃんの魔力が宿ったのではないですか?」

「そんなわけないでしょ! 今ので魔力が移せるだったらね、事故でも起きるでしょうが! 私が魔力を込めて口づけしない限り、無効なのよ!」

「ええっ! そ、そういう大事なことは早く言ってくださらないと」

「あんたが急にしかけてきたんでしょ! なんなの!」

「だって、悲しそうな表情だったから。何か諦めたような顔をして、俯いたから。それでわたし、励ましたくて。力になりたくて」


 今度はミレイユが俯く番だった。

 それにしたって勢い任せが過ぎるわと夕闇はミレイユをなじりたくなった。彼女の唇の柔らかな感触、それは驚愕のうちでも感じられた。

 そしてそれを今からもう一度、確かめなければならない。


「はぁ……。そうよね、あんたはそういう子なのよね。この町にあんたに害をなす人間がいないのに目いっぱい感謝なさいよ。ここが大きな街だったら、どうなっていることか。その慈悲深さが利用されて悲惨な現実が待っているに違いないわ」

「ご忠告ありがとうございます……?」


 ミレイユな微笑みは夕闇の心をかき乱してばかりだ。とはいえ、押されっぱなしの夕闇ではない。夕闇は赤い花の髪飾りに触れる。アマリリスの一族の証。試練に臨む少女へのお守り。夕闇の最古の記憶の中で美しく咲き誇る花。


「目を閉じなさい。……長くなるわ。受け入れなさい」

「は、はひっ。なんだか、緊張しますね。二度目なのに。えへへ」


 そんなのわざわざ言わないでよ、と夕闇は叫んでしまいたかった。呼吸を整えてその衝動を堪える。

 夕闇は目を閉じたミレイユに近づく。自然と足音を殺して、自分の緊張を悟られないように。夕闇はミレイユの肩に手を乗せる。「ひゃっ」と小さく声をあげるミレイユにかまわず、今度は夕闇が勢いを頼りにミレイユに口づけをする。

 そうして夕闇は魔力の放出を試みる。イメージが大切だ。放つだけではいけない。共有しないと。ミレイユと一つになるイメージ……心臓がひどく煩いがどうしようもないと覚悟する夕闇。そして口先に全神経を集中させる。最初は唇を押し当てていただけだったが、それでは不十分だと悟り、意を決して舌を入れる。

 その舌の侵入に、ミレイユは反射的に目を開いた。すぐそこに目を閉じて必死に自分の唇をついばむ夕闇がいて、肩に乗せられた手がぎゅっと力が込められていて、でもそんなことよりも綺麗な顔に見蕩れた。全身が熱くなるのがわかる。入ってくる……ミレイユは心身を駆け巡るその熱いものを受け入れた。


 最初の口づけの百倍の時間が過ぎてやっと、夕闇は目を閉じたまま、ミレイユの方から手を離した。無意識に強くしっかりと力が込められていたその手がなくなると、ミレイユはふわりと浮遊感を得た。それが転倒の真っ最中であるのには後になって気づく。ミレイユは転げて、テーブルにぶつかる。すると、その上にあった錬金杖が動く。施されている装飾の関係で、そう易々と転がり落ちるわけはずなのに、しかしそのとき杖は落ちる。ミレイユの手元に。まるでそれが運命だと言わんばかりに。


「ほわっ!? だ、だだだだ夕闇ちゃんっ! これ、光っていますよ!」

「えっ。あ、ほんとね」


 接吻の余韻に浸っていた夕闇は目を開き、呆けた頭で、そんな間の抜けた返事をした。直後、びしっと背筋を張ると「立ちなさいっ」とミレイユに言う。まだお互い、顔は赤い。


「はいっ! ど、どうしたらいいんでしょう?」

「コアが反応している……これで起動できているのかしら。ねぇ、起動後の使い方は教わっていないの?」

「えーっと……。そうです、たしか『思考を捨て、我も捨て、ただ魂に委ね、世界を残して道が啓く』ですっ」

「公用語でお願い」

「い、いちおう公用語ですよ!」


 錬金杖の先端部に取り付けられたアルケミックコアの内部が発光している。それは点滅信号に変わり、やがて停止してごく小さい光点となった。


「わわわっ! 今、握っていた手にびびびっと何か伝わって……あっ、うん? おおーっ! すごいですよ、夕闇ちゃん!」

「落ち着いて説明して。私はあんたが相変わらず杖を握って立ったままにしか見えない。何かあんたにしか見えないものが展開されているの?」


 暗号魔法のような常人には不可視で、特定の手順をふまないと認識できない情報を埋め込む術式が錬金杖においても構築されているのだと判断した夕闇だった。二度目の口づけ、二分近くに及ぶその粘膜接触の体験からミレイユが一転、杖に気を取られていることが夕闇を冷静にさせていた。そうよ、あれはあくまで杖の起動のためにしたことなんだから。


「ええ、目の前にいくつか画面が……。ふむふむ。せっとあっぷ完了、正常にしすてむ構築が済んだようですね」

「なにができそう?」

「うーん……とりあえず、これ一本でなんでもできるってわけではないみたいです」

「つまり?」

「ま、待ってください。ううっ、なんでしょう、これ、情報酔いとでも言えばいいのか。気分が悪く……」

「ちょっと! ほら、杖から一旦手を離して!」


 眩暈を引き起こしてふらふらと足元が覚束なくなったミレイユから夕闇が杖を受け取り、肩を貸す。夕闇が杖を握っても何も見えない、感じない。安定した魔力がコア部分から感じられる。放出しているのではなく、内部を循環しているふうだ。

 ひとまず夕闇は寝台にミレイユを横たわせた。

 この子としたのよね――――瞼を閉じて小さく唸り声をあげるその少女の顔に、どきりとする夕闇だった。


「うう、ごめんなさい」

「いいから。たぶん錬金杖があんたに向けて展開した情報の激流だけが原因じゃないわ。私の……魔女の力がその身に流れ込んだことが……」


 夕闇はそこまでで話をやめた。ミレイユはまともに話を聞ける状態ではない。一方的にこんな説明してどうなる。

 代わりに夕闇は寝台に腰掛けると、ミレイユの髪をそっと撫でた。


「そのまま寝ていればよくなるわ」

「は、はい……ありがとうございます」


 魔力の定着までの時間と、その分解までの時間。それらをミレイユはある程度、知識から予想はできても計算で確定させられはしない。もしも錬金杖の運用に、絶えず一定の魔力譲渡を要するとしたら、またこの子と……そこまで考えて夕闇は首をぶんぶんと横に振った。そうはさせまい。それこそ錬金杖を使って、他の手段を調合によって生みだしてもらわないと。

 夕闇は無自覚に彼女自身の唇を指で軽く触れながらそう思うのだった。 

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