11
家に戻ってミレイユはさっそく、物置部屋から大きな箱を夕闇のもとへと持ってきた。細長い木製の箱で、食卓としているテーブルの幅だと少し足りないが、重さはさほどない。杖が収められていると事前にわかっていても、弔いの棺か神聖な入れ物のような印象を受ける夕闇だった。
「こちらになります」
ミレイユがそう言って、しゅるりと紐を解いて蓋をぱかりと開く。
薄手の毛布に杖が包まれていた。箱を開くのは数カ月ぶりだとミレイユが話すが、カビ臭さはまったくなく、むしろ瑞々しい感じさえする。ミレイユがゆっくりと杖を毛布から手に取り、なんとなしに剣を扱うかの如く構えてみる。長さはミレイユの足のつま先から鳩尾まで届くほど。外観は大樹の枝と儀礼用の剣を合わせたふうだった。その意匠は素朴でもなく華美でもなく。
柄の内部に細かな部品が詰め込まれているそうで、その部品をミレイユは師匠と共に調合したのだという。最後の仕上げを除いて、形となった時点でその調合手順書・設計図は師匠の手により破棄された。
「歩行を補助する代物でないのは確かだな」
夕闇が杖の先端部を見やって言う。そこは何かを取り付けるための形状となっている。球体が適当だろうか、とにかく欠けていること、つまり未完成であるのが見て取れた。ミレイユが「持ってみますか?」と夕闇に差し出す。夕闇は慎重にそれを受け取る。
「そこにはめ込むための、あるけみっくこあというのがありまして」
またミレイユが物置部屋と行き、そして今度は小さな箱を携え戻ってくる。その箱は杖の入っていたものとは違い、頑丈な金属製の箱で重みもある。それからミレイユが書き物机の引き出しから銀色の鍵を出して、その箱を開錠する。これまたいかにもな鍵で、町の鍵屋で簡単に複製できるようなものではない。箱は、ぎぎぎと開かれる。その中にあったものに、夕闇は息を呑んだ。
「これは……ただの魔導水晶ではないな。高度な術式が組み込まれているのが我にでもわかる」
箱の中にあったアルケミックコアは半透明の球体で、薄紫の線や星屑を思わせる金色の小さな点がその内部を緩やかな速度で巡っている。表面には淡く光る幾何学模様が刻まれていた。
夕闇が思い出したのは、アマリリスの族長に代々受け継がれてきている魔導水晶だ。それこそが十五の試練を各々の魔女たちに課して、行き先を決めるための唯一無二の道具であった。すなわち少女たちの運命の道標となる重要な装置。
それと同等かそれ以上の複雑怪奇な機構をこの水晶が有しているように夕闇は認識した。見習い魔女である以上、確実な証拠に基づく判断ではなく直感に過ぎないが、しかしその直感によって夕闇は一族の仲間としてなんとか認められた経緯があった。
「えっと、それでどうしたらいいんでしょう?」
「うん?」
「どうすれば機能しますか、これ」
「はめ込むことはできるのか」
「ええ、それだけなら」
夕闇に杖をそのまま持って支えてもらい、ミレイユは少女たちの拳より一回りほど大きな水晶を杖の先端部にセットした。滞りなくそこに、かちりと収まる。しかし何も起こらない。
「ミレイユ、錬金術を行使する時のことを考えながら、つまり調合する要領でこの杖に魔力を流してみろ」
「え? 魔力を流すって……。いいですか、夕闇ちゃん。錬金術の調合というのは素材の声に耳を澄まして……」
「いいから、やってみなさいよ」
ぐいっと夕闇がミレイユに杖を返す。ミレイユは両手でそれをしっかりと握り込み、先端に取り付けられた水晶をじっと見つめて「むむむっ……!」と力む。夕闇はまだミレイユが錬金術士として調合するのを直に目にした経験がなかったが、今ある光景というのが普段の彼女のそれと異なるのはわかった。
溜息をついて夕闇はミレイユの背後に回る。
「ひゃっ。ど、どうしたんですか夕闇ちゃん」
夕闇がミレイユに後ろからそっと寄り添い、手を前に回して杖を握り込んだ。
「いい? 余計な力を抜きなさい。我……ううん、この私と呼吸を合わせて。いいわね。大丈夫、できるはずよ。あんたならね」
正面に立って水晶越しに見つめ合うより後ろからのほうが恥ずかしくないはず、そんな夕闇の予想は外れた。存外、ミレイユの身体の柔らかさと言うのは服越しにも充分に伝わるし、しかも花の香りがする。いい香りだ。既に二晩を共にしているが、寝台の上で自分から抱き着いたことはなく、してみれば、羞恥が熱として自分の顔を火照らせるのを夕闇はわかった。でも、恥ずかしがっている場合ではない。
「一緒に魔力を流すわよ。きっとそれでこの杖が真価を発揮するわ。ほら、水晶の内部を錬金釜の中だと思いなさい。混ぜ込み、創造する。作り上げるのよ……世界を」
「あの、もっとわかりやすく言ってくださいませんか?」
「イメージが足りていない! もうっ!」
一族における魔法修行においては、魔法の行使に精神的な面の制御が要となる。夕闇がそれを得意としているかどうかは別として、ミレイユは実体のある植物や土、水といった素材との「対話」を前提とした錬金術を学んできている。そこに食い違いがあるのはしかたあるまい。
それはそうと、耳元に夕闇の吐息がかかると、ぞくぞくとした気持ちが湧き上がってくるのに戸惑うミレイユもいた。
その後、数分間試してみたが杖に変化はなかった。夕闇が期待したような、コアの発光はなく握っている柄の部分から特別な力が逆流してくることもなかったのだ。
「あっ。夕闇ちゃん! 箱の下に何か紙がありました」
一旦、テーブルの上に杖を置いて一息ついたところでミレイユがその発見を夕闇に伝える。
「はぁ!? 説明書がついていたってこと!? 見せなさい!」
「あれ? でもどこにも何も書いていません」
表、裏とどっちがどっちか判別できないまま、何度もその紙をひっくり返しては首をかしげるミレイユ。
「待ちなさい。その紙はもしかして……ほら、早く渡して」
「どうぞ」
「なるほどね。初歩的なマジック・サイファーだわ」
「はい?」
「暗号魔法が施されているってこと。このレベルだと魔女でなくても専用機器があれば組み込めるわね」
「解けるんですか?」
「ええ、これぐらいならすぐにでも」
暗号魔法の復号処理は身体強化より何倍も得意な夕闇である。
夕闇が紙を手にしたまま魔方陣を展開する。復号を迅速かつ確実なものとするためだ。ミレイユが見守ること、一分。紙に文字列が浮かび上がる。思いのほか、短い文面だった。
『魔女の力をその身に授かった錬金術士でなければ水晶は応じない』
師匠の字だと思います、とミレイユが言う。
夕闇が露骨に顔をしかめる。たしかに錬金杖というのは文字通り、錬金術士のための道具なのだろう。単に錬金術による調合物というだけではなく。
けれど、その運用に魔女の力を必要とするのは筋違いではあるまいか。魔女の力をそうではない者に授ける、それが意味するところを知っての書きぶりか?
「えっと、魔女の力って人に渡せるものなんですか」
「素養のない者に対しては不可能だ。かつて一族の魔女が凡庸な輩に惚れこんだあまり、その者を同族、つまりは魔法使いの身にしようとして両者が破滅したという。魔導物質を加工したり操作したりするのとは原理からして違うのだ」
「魔女同士であれば可能なんですか」
ミレイユの質問は文脈からして当然であったが、夕闇は舌打ちをして答えたがらなかった。しかしずっと黙っているわけにもいかず、嫌々といったふうに話す。
「原則的にアマリリスの一族の掟では禁止されている。例外が存在するから禁忌とまではいかないがな。それに渡すといっても、分かち合うという表現が正しい」
「それってどういう……」
「特殊な術式を展開するとともに互いの生血を飲み、命に関わる誓約を交わす。細かな条件と方法は教わっていない。見習い魔女の身でどうこうできる術ではないし、ましてや相手が錬金術士であるなんて状況は知らない」
「そうですか……べつの方法を探すしかないみたいですね」
笑ってみせるミレイユだが、そこには力がない。
錬金杖を起動させられない。それは夕闇の退魔装備の入手についても道を変えなければならないということだ。それがミレイユが気を沈ませた理由だった。
「恒久的ではなく、一時的な譲渡なら方法がある。起動ならそれでいけるかもしれないわ」
夕闇が呟いた。まるで、聞こえなかったのならそれでいい、といった雰囲気で。
「あの、それってもしかして夕闇ちゃんの血を飲むって方法じゃないですよね?」
「察しがいい。そういう方法もあると聞くわ。しかしお勧めしない。私たちの血液は普通の人には危険とも習ったから」
「お勧めも何も、夕闇ちゃんを傷つける方法は嫌ですよ」
「ふっ。針を指先に刺しでもすれば血が出る。魔女と言っても生身はその程度だ。でも、そうね、あんたの優しさには感謝しておくわ」
「他に方法があるんです?」
どこかもったいぶっている調子の夕闇に、ミレイユが堪え切れずに訊いた。すると、夕闇は口を閉ざしてしまうも、また溜息を一つついてから言う。
「試す価値はあると思うわ。その……ミ、ミレイユさえよかったらね。私は魔女として、そうよ、試練としては大したことないって思うし。……初めてにはなるけれど」
「それっていったい――――?」
ミレイユの澄んだ眼差しが痛く、夕闇は顔ごと背けて、やはり小声で応じた。
「接吻よ。口同士でね」
ミレイユはぽかんとして、それから真っ赤になった。
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