10

 エリカは夕闇ダスクたちに、彼女の幼馴染が町に到着したら紹介するのを約束した。それと、森で町民が魔物と遭遇した件を町役場には共有すべきであり、警戒態勢を取ろうと話がまとまる。

 混乱を避けるために――――エリカとしては、管理局が早急に何か手を打つのを強いられないように――――該当部署への適切な報告をしなければならない。ガストン室長と打ち合わせをしておきますとエリカは話した。


 明後日にやって来るエリカの幼馴染に関してミレイユたちは、魔物の解体術を習得している、エリカのことが大好きな女性という情報しか得られていないままだ。役立つ人材であればいいけれど、と夕闇は思う。子ども扱いしてきたら嫌だなと。

 

 その後、運営室を出る前に、ミレイユが記録した植物類を魔導端末に登録した。彼女の手書き文字は、端末画面内で専用のフォントに変換されていた。修正部分がほとんどなさそうで助かりますとエリカが言う。エリカの側で打ち込み直す作業をする準備もあったそうだが、ミレイユが教わったのが公用語であり、整った字であったのが幸いだった。


 運営室を出てから、ミレイユが夕闇に話したことには、文字の読み書きは教会で初めて習って、植物学者に引き取られてからも積極的に教わっていたという。

 養父であった彼は学術都市で研究のみならず、教職にも従事していた人物でもあったそうである。ミレイユが教会にいた頃から本に興味を持っていたことも、彼女が識字能力を高める動機となった。

 

 夕闇はミレイユとその亡き養父の思い出話を聞きながら、もしかするとその彼は将来、ミレイユに都市へと赴かせて、研究機関で働いてでもほしかったのかもしれないと考えた。そのことはミレイユがこのイルンラクトを深く愛しているのとはまた別の位相の話だろう。愛娘にもっと広い世界を見てもらいたい、立派な大人に成長してほしいと願う親心もまたあってしかるべきなのだから。


「ねぇ、ミレイユ」


 ミレイユたちの家に戻ってくるや否や、夕闇が真剣な面持ちでそう声をかけた。


「はいっ! なんですか、夕闇ちゃん」


 名前をきちんと呼んでもらえて嬉しがるミレイユに、夕闇は頭を下げた。


「今更だけれど、森では助かったわ。……ありがとう。汝がいなかったら、我一人であの三頭の魔物を相手にしないとならなかった。うまく立ち回れたかは怪しい。ただね、無理をしてはダメよ。ぜったいに。いいわね?」

「はいっ。夕闇ちゃんもですからね! ふふっ。それに、もっとくだけた口調でいいですよ。わたしたちはお友達なんですから。少なくともこの町では自分のことを『我』なんて言う人はいません」


 夕闇としては彼女なりに筋を通すための言葉であったが、こうも優しく応じられると照れ臭さがある。ぷいっと目を逸らして、頬を掻きながら「……考えておこう」と口にするのだった。ミレイユだっていやに丁寧な話しぶりのくせに。


「さて、わたしは薬草園に行きますね。明日は薬師さんとの打ち合わせの日ですし、次の調合のために状態を確認しないと。夕闇ちゃんはどうぞ家でのんびりしていてください。疲れたでしょう?」

「いや、同行しよう。話しておきたいこともあるからな。作業に専念したいのなら、一人にするが」

「おしゃべりしながらで大丈夫ですよ。念のため、見ておくだけですから。いつも朝一番で散歩がてらに必要なだけの水遣りはしていますし。一緒に行きましょう」


 そうしてミレイユたちは再び家を出ると、ほんの二、三分歩いた地点に造られている薬草園を訪れる。一目で全体を見まわせる程度の規模で、それぞれの植物を簡単に手入れするのには十五分から二十分もあればいい。

 円状に仕切られている花壇もあれば、四角く仕切られているものもある。鉢植もいくつかあった。

 園芸用支柱が何本も刺さってそこに蔓が絡んでいるのが目立つが、おおよそ灌木ばかり。最も丈があるものでも、夕闇の腰上に届く程度だ。

 ミレイユ曰く、基本は十二種類、時季や土や天気のコンディションによって何種類か入れ替わるとのこと。


「それで、お話というのは?」


 それぞれの植物の葉や枝、花などを見たり、時に触れたりしながらミレイユは夕闇に問う。


「単刀直入に言うとだな、魔導式の退魔装備は調合できるか?」

「退魔装備?」


 聞き慣れない言葉に、つい聞き返すミレイユ。夕闇がうむと肯く。


「先日話したように、魔女の力をもってすれば普通の人間向けに製造された魔導式の装備を容易く、そしてより強力に扱える……らしい。魔導物質の許容度と感応度が高いから当然だがな」

「あのー、まずその、退魔装備というのは……」

「平たく言えば、魔物相手に特化した武具のことだ。非魔導式、つまり魔導物質を一切使用していない種もあると聞くが、それははっきり言って一般の武具となんら変わりない」

「ふむふむ。ようするに夕闇ちゃんは、次の探索までに専用の武器や防具がほしいということですね!」

「そのとおりだ。我等の一族の試練は通常であれば、そうした魔法の道具の一つや二つ、身につけて出発するものなのだ。だが、恥を忍んで言えば、我には認められなかったのだ」

「あれ? あの気配を希薄にするっていうローブやそれに、マジックポーチだって魔法の道具ですよね」

「最低限のな。せめてもの情けというやつだ。まぁ、それはよい」


 一族の話は掘り下げてくれるな、と夕闇は態度で示す。


「調合できるのか、できないのかだけ教えてくれ」

「そう言われましても。ええと、具体的にはどんな装備がほしいんですか? 武器といってもいろいろありますよね。剣や弓、棍棒……形状によって細分化だってされているはずです。詳しくありませんが」

「……それもそうだな」


 夕闇は彼女が扱えそうな武器というのが存在するのか自問する。それはすなわち、これまで武器の扱いを誰かに、あるいは自分自身で習ってきたかどうかを顧みているのだった。

 ほとんどない。結論として、そうだった。食事当番になった際に、包丁を使うことがあったが、それは刃であっても武器にあらず。


「夕闇ちゃんが望む武具の形を、魔導機構を含めて正確に図面として書き起こしてくだされば何とかなるかもしれません。そうした精緻な図面を基にした錬金術は初級段階ではありますが教わっていますから。でも、あまりに複雑だと、」

「待て」

「え?」

「そうだ、思い出したぞ。たしかこう言っていなかったか。『鍛冶屋のおじさんは最近やっと魔導物質を用いた鍛冶に挑戦し始めたところ』だと」

「わぁ、よく覚えていますね!」

「どうなのだ。その者であれば我に適した退魔装備を設計してくれるのではないか」

「えっ。鍛冶って言ってもお鍋や鍬、大工道具が中心ですよ?」

「ぐぬぬ……。いや、待て」

「はい、待ちます! 夕闇ちゃんのためならいつまでも!」

「にこにこするな。運営室で、こうも言っていたな。『町の狩人さん』と。その者であれば武器は持っておろう?」

「そうですね。ただ、動物を仕留めるための罠が多いと思います。あとは解体のための刃物類。直接確認していませんが、どちらも魔導式ではないかなって」


 夕闇はがくりと肩を落とした。

 魔物を討つなら魔法ないし魔導式の退魔装備。それは一種の固定観念であり、世界の道理とは言えないものであったが、夕闇にとっては真理に等しかった。

 しかし夕闇の魔法の腕前はまだまだであるし、頼りになる装備を自分で設計できる自信がなかった。


「あわわ、そんな気落ちしなくても。えっと、ひょっとしたらわたしの錬金杖れんきんじょうが手がかりや足がかりにもなるかもしれません」

「錬金杖?」

「ええ。師匠によれば、あるけみーわんどとも称される、錬金術士のための調合補助器具です。なんとっ、それだけではなく矛であり盾であり、弓であり、笛であり、標であり、ようは万能杖なんですよ」

「そんな道具を持っているのか。聞いておらんぞ」


 胸を張るミレイユに詰め寄る夕闇。ムスッとした顔も可愛いなぁなどとミレイユは感じながらも、いつまでも不機嫌でさせておきたくはなく「お、落ち着いてください」となだめた。


「実はまだ未完成なんです。でもヒントにはなるかもですよ」

「説明しなさい」

「ええと、錬金杖は、師匠がまだこの町にいた頃から部分的といいますか、段階的にといいますか、調合をしていまして。最後の仕上げのところで『来たるべき時を待て』と言われたところで止まっているんです」

「なによそれ」

「なんでも、完成させるためには『黄昏をその身に宿した魔女の祈りと誓い』がいるそうで――――」


 そこまで口にしてみて、ミレイユは気がつく。夕闇もまたその言葉の意味が示すところ、その一部が何を、いや、誰を指すかを理解した。この一致は偶然ではない、運命であるのだろう。なぜならこの地を去った師匠は弟子である少女に「運命の夕闇」を待てと言い残していたのだから。


「夕闇ちゃんがいれば、完成する……?」

「どうもそのようね。そしてきっと、その錬金杖が完成すれば私のための退魔装備もなんとかなる、そんな気がするわ」

「わたしもそう思います!」


 まだ何も解決していないが、ミレイユの笑顔につられて頬を緩ませる夕闇だった。そうして二人は辺りが暗くなる前に薬草園を後にした。

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