第3話 錬金杖と魔女の契り
09
午後三時の魔導管理局イルンラクト支部運営室で、エリカは頭を悩ませていた。
足りない。何もかも。管理局が理想的に機能するのに設備も人も、そしてなにより管理対象である魔導物質が不足している。
イルンラクトは穏やか過ぎると言っていい。都市につきものである小悪党の寄せ集めで構成されている犯罪組織なんてのは報告にあがっておらず、権力者らしい権力者もいない。
国から圧力をかけられているどころか、むしろ放任されている町役場。無秩序な政治を執り行っているわけでもなく、むしろ小規模ながらも町民の生活維持に精を出している。生活の質を向上させるよりも、幸福度の維持。それがイルンラクトにおける行政方針なのだろう――――赴任してきて一週間足らず、エリカはそう捉えていた。であれば、小規模だからこそ実現可能なのか。
その方針はある意味で、魔導管理局にとって厄介となる。そうした地域においては管理局の設置というのは災いとして拒まれもすると聞くからだ。つまり魔を運んでくる存在であると。事実、今回の新設について町役場側との交渉が長らく滞っていたという。
エリカは、このような地に管理局を構える理由は、目障りな局員の左遷先の確保なのではないかと疑っている。まさにエリカ自身の立場を証左として考えてみるに。
ガストン室長にしたって、他の職員だって似たり寄ったりだろうと思う。
二年以内の正式開局。それが上からの絶対の指示であった。往々にして現場を知らない者たちの。
エリカはもう何度も確認した資料に再度、ざっと目を通す。
かつてこの町は流行り病が蔓延して夥しい数の死者が出たそうだ。エルムーラ教会の支援があってどうにか収束した後は、町の中で大きな事件の記録はない。
十年ほど前、近隣の村が魔物の群れに襲われて壊滅し、生存者が疎開してきたと住民から情報提供があった。しかし詳細は不明瞭だ。
少なくともエリカが閲覧可能な資料によると、イルンラクトから馬車を使って一日や二日で移動できる範囲に、それらしい跡地はない。魔物たちの群れといっても、いったいそれがどの程度の規模を指しているのか、中心となっていた魔物がなんであるのか、どのような原因があったのかわからない。
そのうちの生存者の一人が、あの若く美しい錬金術士・ミレイユだというのは判明しているのだが……。
立てつけの悪い出入り口のドアが開く音がして、誰かが入ってきたのがわかると、エリカは資料から顔をあげた。カウンターの外側、そこにミレイユと
「お疲れ様です。おふたりとも」
立ち上がってカウンター越しに声をかけるエリカだったが、植物調査の成果をうかがうことはできなかった。夕闇が「報告したいことがある。魔物についてだ」と物々しく言ったからだ。それにもかかわらずミレイユは「これ、忘れないうちに渡しておきますね」と植物調査の記録帳をエリカに渡す。二人そろってマイペースだわ、とエリカは思った。しかし魔物に関する報告があるのであれば、そちらを優先して聞かねばならないだろう。
「では、応接室に移動しましょう。ぜひお話を聞かせてください」
「そうね。ああ、でもお茶はいらないわ」
「ここに来る前、二人で飲んできましたからね」
「あんたが喉が渇いたっていうから……!」
「つーん。わたしは、あんたって名前じゃありません」
「先に用意をして待っていますね」
魔物なんかじゃなくて暴れ狂った鹿や猪じゃないわよね、とエリカは怪しみつつ、さっさと応接室へと向かった。どうせ誰も使っていない。
「これは――――アウトウィーゼルですね」
二人の向かいのソファに腰掛けたエリカが眼鏡の縁を指でつまみながら身を乗り出し、テーブル上のミレイユのスケッチをしげしげと眺めて口にした。二人は南の森から管理局へと向かう途中でカフェにて一休みしたが、その時にミレイユが記憶を頼りに描いたものだった。草花のスケッチと違って、丸っこくデフォルメしてしまっているのがミレイユらしい。魔物の絵であるのを前提としていなければ、可愛らしい動物の絵とでも認識したかもしれない。
「それはどこにでも生息している魔物なのか? それともあんたが魔物に特別詳しいのかしら」
「夕闇ちゃん! エリカさんのことも『あんた』なんて呼んだらダメですよ」
「急にお姉さん面しないでよ」
「私ならどう呼ばれてもかまいません」
「えっ? そうなんですか。じゃあ、エリカちゃんでも……?」
「ミレイユさん、私は今年で二十四です。知っておいてください」
「あ、はい」
年齢が理由ではなく、エリカに気圧されて、ちゃん付けを遠慮することに決めたミレイユだった。
「先の夕闇さんからの問いに対する答えですが、アウトウィーゼルは魔物としてはそう珍しくありません。なぜなら分類としては大きい括りだからです」
「というと?」
「アウトウィーゼルは、イタチ科の動物が魔物化した種の総称であるということです。もっとも、この分類については魔物学とそれ以外とでは意見の食い違いも多く見られ、私個人としても逐一、細かい部分まで確認するつもりはありません」
「脅威のレベルもまちまちなのか?」
「相対的評価はともかく、おふたりが遭遇した個体に関してはおふたり自身がその危険度を一番把握できていると思います。いえ、それよりも……此度は大変申し訳ありませんでした」
エリカが背筋を正してから、頭を下げる。そのままの姿勢を保つ。
「な、なんでエリカさんが謝るんですか?」
「誰かさんからの依頼のせいで、命を落とすところだった。怪我一つしなかったのが奇跡だ」
夕闇が胸の前で腕を組んで、淡々と言う。
「ええっ!? そ、それはそうかもしれないけれど。きちんと装備を整えて探索に入らなかったわたしたちにも非があるというか」
「……。たしかに予定よりも森の深部へ足を踏み入れてしまったのも事実か」
エリカを糾弾しても何も解決しないのは夕闇もわかっている。
「それにほら、あの時は夕闇ちゃんの魔、」
ミレイユを睨みつける夕闇。唇の動きだけで「言うな」と伝える。慌てて口許を抑えるミレイユ。夕闇が察したとおり、危うく「魔法」と口にしそうになっていたのだった。
「と、とにかく顔をあげてください、エリカさん!」
「早急に対抗策を講じねばならないな。弱点があるなら教えてほしい」
少女二人はそれぞれのやり方で、エリカを許していた。そしてエリカが顔を上げるが、その表情に浮かんでいたのは不審だった。
「夕闇さん、その口ぶりだとご自身でアウトウィーゼルをどうにかするつもりなのですか」
「無論だ。やられっぱなしというのは性に合わないのでな」
「あれ? でもさっきは管理局に任せるって……」
「ええいっ! 静かにしていなさい!」
今回出遭ったアウトウィーゼルの対応として選択肢はいくつかあったが、最終的に狩猟するという話になった。出くわした三頭の動きからして、少なくとも親子といったふうでもなければ、連携がとれているふうでもない。森に住むオオイタチの群れ全体が魔物の集団となったのではないだろう。偶発的に魔導物質を体内生成した何頭かが群れからはぐれてテリトリー外で狩りをしていたと予測できた。まだ確定ではない。しかし町に近づけさせないだけの対処では、群れ全体に魔物化が広がった場合にリスクが伴う。
そして管理局としては南の森における魔導物質の浸透濃度を測るうえでもアウトウィーゼルを解体して分析に回すべきだと判断した。
「うーん、かと言って町の狩人さんたちだと、ちょっと心配ですね。魔物狩りの経験ってあまりないはずですし」
「実際のところ、どうなのだ。今の管理局は正規の魔物狩猟者をこのイルンラクトに回せるのか」
正規というのはつまり、管理局に登録済みであることを意味する。もちろんイルンラクト支部は開局前であるので他所から来た人間になる。
「植物調査と同様に周辺地域の魔物調査を行う人員を要請済みです。報酬は少額ですが、駆け出しの狩猟者であったり、逆に引退を考えている方であったりが応募してくるという見込みはあります」
「今はまだいないのか」
「……ええ。いわゆる管理局お抱えの狩猟者を数人、手配するという話でしたが上の出まかせだったようです。……失礼、今のは失言でした」
やれやれと夕闇は組んでいた腕を緩めた。
「えっと、それではわたしたちで退治してしまおうってことですね」
「何故、そう気楽なのだ」
物怖じしないミレイユを夕闇が訝しみ、エリカは続きの言葉を待っていた。
「一つに夕闇ちゃんがついているからです」
「それは、そうだが」
「そして一つにわたしが錬金術士だからです」
「つまりどういうことだ?」
「お薬や匂い袋以外にも調合できるものがあるんです。殺生は好みませんが、未来の町の危機を考えればしかたないですよね」
天秤がイルンラクトの平和維持に傾くのは必然だった。
ミレイユが哀しげに微笑んだ。エリカはミレイユの着込んでいる面妖で美麗なエプロンドレスにあしらわれている蝶々が羽ばたいた気がした。思わず眼鏡の位置を正す。
「わたしたちで一週間以内に再度、南の森の深部へと探索に入ります。目的はアウトウィーゼルさんたちの調査とその狩猟。ただ、解体については修行の一環で小動物での経験があるぐらいなのですが……夕闇ちゃん、経験ありますか?」
「ないな」
本来なら、アマリリスの一族の魔女であれば十五の試練に臨む頃には、多少なりとも魔物のことにも詳しくなっているのが普通である。だが、夕闇は基礎的な部分の補習に時間をかけていたり、魔法の行使ばかりに気を取られていたこともあったりで、さほど知識がない。このことを、魔女として自分を頼りにしてくれているミレイユには言えないままの夕闇だった。
森を出て、この運営室を訪れるまでミレイユは一度だって「夕闇ちゃんの魔法で倒せなかったんですか?」といったようなことを訊いてこない。もし訊いてきたら、指摘されたら、どう取り繕うかと夕闇は迷っていた。
話を戻すと魔物の適切な解体だ。それを誰が担うか。運搬のこともあるので、人手は少女二人で足りないのは明らかだった。
するとエリカが顎に手をやって「何の因果かわかりませんが……」と切り出した。
「魔物狩猟者ではありませんが、魔物の解体術を心得ている人間が明後日にこちらに到着する予定です。私の幼馴染で友人です。彼女に頼んでみましょう」
「友人? 管理局の人間ではないのか」
「ええ。どういうわけか、私のことが好きで好きでたまらない二十二歳の女性です」
何食わぬ面持ちでそう言うエリカに、ミレイユと夕闇は顔を見合わせるのだった。
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