07

 翌日の昼下がり。

 ミレイユと夕闇ダスクは南の森に来ていた。空は快晴。時折、気持ちのいい風が吹いては自然の香りがする。薬草園とはまた違う匂いに、ミレイユは心躍らせる。


「何をそんなに楽しそうにしているのか、わからんな」

「えー? わたしは夕闇ちゃんがそんなに退屈そうなのが不思議です」


 草花と触れあうミレイユに対して、夕闇はちょうどいい小岩に腰掛けて、髪を指先でいじっていた。昨日のうちに服は乾いたが町で悪目立ちしたくないため、それを着ていなかった。

 午前中に安価な衣服を何着か購入していた。代金は折半した。夕闇としては全額払うつもりだったが、ミレイユが「わたしへの協力料だと思ってください!」と言うから断れなかった。それが建前で、ミレイユの趣味で服を選びたかったことであるのは察しがついていた夕闇である。

 そして買ったうちで比較的露出が少なく、かつ動きやすいものを今は着ている。ようは森を探索するのに適したものだ。


「汝からしてみたら、ここら一帯の植物など特に珍しくもないであろう?」

「けれど、きちんとその生態と特徴を記録して、管理局に情報登録したことなんてありませんでした」

「それはそうだ。管理局の支部がイルンラクトになかったのだからな。いや、まだ開局していないわけだが」

「やりがいのあるお仕事ですよね! お金ももらえますし」

「安全で地味な作業に釣り合った、微々たるものだがな」


 昨日、運営室の簡易応接間でエリカが二人に話した本題。

 

 それは夕闇が推察したとおり、魔導管理局のイルンラクト支部が正式に開局するための事前準備への協力要請であった。何種類か、そして何段階かに分けられており、それに応じた人材の召集と雇用を要する。

 ひとまずミレイユがお願いされたのは周辺地域の調査だ。

 調査といっても何でもかんでもというわけではなく、ミレイユに適性があると判断された、植物採集地の指定と割り当てのための探索業務であった。夕闇が察するに、エリカは「錬金術士と見込んで」と口にしていたのでこの業務は最初の一段階に過ぎないのだろう。


「連中としては、この周辺の資源植物の量と質の両方を数的に把握したいのだ。管理するために。それをもとに地図情報や依頼の作成を進める」

「えっと、つまりこの森全部を薬草園にでもしてしまうってことですか」

「イメージとしてはな。汝がよく知っているとおり、種々の薬品の基礎的な材料となる植物はそこらじゅうに生育している」

「そうですね。でも、自生しているものでは材料として不十分な場合もあれば、その逆もあるから難しいんです」


 薬草園の守り人を務めているからこそ実感できる。

 また、ミレイユが本で読んだことには、世界の果てでしか採取できないような植物があり、それでしか調合できないような幻の薬もあるのだという。彼女が面倒をみている小さな薬草園で、そんな環境を再現することは不可能なのだ。


「言い換えれば、凡庸な植物であっても有益な品を作るのに役立つ。そこには需要と供給が発生し、売り買いが生まれる。管理局としては採集を『依頼』として制限させたほうがなにかと都合がいい。建前として、乱獲の防止や生息地の保護といった管理を掲げもするのだが」

「あの、昨日からその話しぶり。もしかして夕闇ちゃんは管理局に協力するのが嫌なんですか?」


 ミレイユが夕闇の傍に寄った。エリカから預けられた記録帳を胸に抱えている。それを後で、運営室にある魔導端末で読み取って情報を集積する。端末は貴重なもので今のところ運営室に一つしかない。

 エリカ曰く、あと数年もすれば大陸中の管理局で集められている情報がリアルタイムで同期可能になるような、より高性能な魔導端末が開発されるかもしれないのだとか。その開発と現場への導入、頒布と運用は別だけれど、と彼女は言っていた。


「もし嫌だったら、わたしは……その、困ります。お友達を嫌なことに付き合わせたくない一方で、エリカさんに協力したいし、それには夕闇ちゃんがいてくれると助かって……そして夕闇ちゃんは試練のためにわたしに協力しないといけない。そうですよね?」

 

 不安げなミレイユに対して、夕闇は溜息をついた。この子は純粋だ、よほど周囲の人に、出会いに恵まれたのだろうなと夕闇は感じた。


「本当に嫌だったら昨日、あの場で文句の一つや二つ言って、あんたを連れ出しているわ。ほら、記録帳を見せてみなさいよ。ご丁寧にスケッチもしていたんでしょ?」


 結局のところ、夕闇は自分が管理局を毛嫌いしているに過ぎないことを自覚してもいた。試練がうまくいくことを本気で願っているからこその焦燥。

 管理局によってその地域にもたらされる富というのが、何も一部の人間ばかりで独占されるものではないのは知っている。


「あら、上手ね」


 ミレイユの描いた植物のスケッチに、つい夕闇は口調を崩したままでコメントする。描き慣れている者のスケッチだ。無駄な線がなく、それでいて必要なだけの細部が書き込まれている。学術的に真っ当な描写。


「えへへ。お父さんに描き方を教わって、かれこれ十年近く、植物なら描いていますからね! えっへん」

「大したものだ。汝なら巧みに魔方陣も展開できそうだな」

「魔方陣というと……魔女さんたちしか行使できない術式ですよね?」

「厳密には違うが、まぁ、よい。どれ、周りに誰もいないことであるし、簡単なものを見せてやってもいいぞ」


 そう言って夕闇は小岩から立ち上がると記録帳をミレイユに返した。

 昨日、エリカは調査に誰か人を動向させるのを提案してくれたが、夕闇が断っていた。見習い魔女であるのを知られる危険を冒したくなかったからだ。実は運営室側からしれみれば、今は同行者に割く人員の余裕がなかったので形だけの提案だった。


「わぁ! いいんですか! あっ、でもあんまり派手な魔法はいけませんよ? いつの間にか、わりと深いところまで来ていますから。変に魔力を放出したら魔物が誘われて出てくるかも?」

「ふんっ。たとえ来たとしても小物だろう。それに念のためと思って、定期的に気配探知の魔法を展開していたのだ。危険は迫っておらんよ」

「す、すごいです!」


 退屈しのぎというのが実状であった。それに夕闇の練度では狭い範囲しか探れない。仮にミレイユの家の中心で使えば家全体の気配は把握できても、外はほとんど察知できないぐらいなのだ。

 そんな夕闇はミレイユに見せる魔方陣をどれにしようか迷う。と言っても……実質、一択しかない。なぜなら、彼女が展開できる魔方陣というのは三種類のみで、そのうちで失敗しない、かつ目に見えて効果があるのは一種類だけだったからだ。


「では、身体強化の魔法をお見せしよう」

「身体強化?」

「そうだ。まぁ、見ておれ」


 そう言うと、夕闇は深呼吸をする。一族以外で魔方陣を披露するのはこれが初めてであり、自信満々に口にしてみたはいいが緊張が今更のように降って湧いてきた。

 意を決して夕闇が宙に、指で素早く魔方陣を描く。錬金術士の素養が備わっているミレイユにはその線、象られていく模様をはっきりと見ることができた。

 真剣な表情をしている夕闇に、ミレイユは感嘆の声をあげるのを、口を手で抑えることで止めた。最終的に周辺に植えられている木の幹よりも、魔方陣の直径が長くなり、完成すると淡い光を放って夕闇の身体に溶け込んだ。心なしか夕闇をその淡い光が包んでいる。

 かかった時間は十五秒ほど。自分がする調合時間よりもずっと短い、とミレイユは思った。


「少し離れていなさい」

「は、はいっ」


 夕闇がさっきまで腰掛けていた小岩に「えいっ」とその小さな拳を振り下ろす。

 すると、小岩が無惨に砕けた。夕闇の拳には傷一つない。


「硬そうな岩が!?」

「こんなものじゃないわよ」


 夕闇が駆けた、そうミレイユが視認した瞬間には背後に夕闇が回っていた。


「は、速い!」

「はっ!」

「宙返り!?」

「とりゃっ!」

「猛スピードの反復横跳び?!」

「えいっ!」

「垂直跳びもそんなに高く!?」


 驚き、興奮するミレイユに気をすっかりよくした夕闇は勢いつけて、目に入った木を力いっぱい蹴る。すると、音を立てて幹が折れる。すぐそばの木に当たって地面にはつかず、中途半端に傾いたまま残る。そしてぼとぼとと木の実が落ちてきた。


「なっ、なにやっているんですかぁ!」

「え?」


 ふぅ、と夕闇が息を整えたところだった。ミレイユが叫んで、柳眉を逆立てて夕闇のもとに駆け寄った。


「ああっ! もうこの木は死んでいます! ううっ……せめて調合素材として持ち帰ってあげないと。この実であれば、うん、申し分ないですね」


 怒りを即座に、蹴り倒された木に対する憐みへと変えるミレイユに、ばつが悪い顔をする夕闇であった。あんたがきゃあきゃあと喜ぶからでしょ、と夕闇はミレイユを見やる。すーっと力が抜けるのが感じる。魔法が解けたようだ。

 

 魔方陣の役割。それは例外的な高位魔法を除けば、練度が低いか生まれつきの特性をして不向きと言える魔法にとっての補助だ。発動そのものを支え、効力の発現を正常に維持するもの。

 たとえば、真に身体強化魔法を極めた魔女であるのなら魔方陣も詠唱も不要で、その効果は何時間にも及ぶという。

 今、夕闇は動揺したために想定よりも短い時間で解除されてしまった。夕闇は気配探知が属する系統の魔法は並に扱えるが、身体強化はまだまだ練度が低かった。

 精神的な部分に依るのは、魔導機器と比べると時に致命的な欠点とも言えるだろう。魔導ケトルが気まぐれでお湯を沸かしてくれなかったら困るように。

 とどのつまり、ミレイユの示した関心に応じようと、見栄えだけは一丁前な魔方陣を揚々と描いたと夕闇の判断、そして動揺ですぐに魔法が解除されたこの結果は、いかにも見習い魔女らしい愚行であった。


「ほら、夕闇ちゃんも木の実を集めてください。持ってきてくれたマジックポーチであればこれぐらい入りますよね?」

「……それを汝が望むなら」


 あくまで試練として、力を貸すと言う体裁で夕闇は従った。罪滅ぼしのつもりはない。そうして二人は中腰で背中合わせとなって、黙々と木の実を採取していたが、ミレイユがぽつりと言った。


「さっきは怒鳴ってすみません」

「いや、汝が植物を愛しているのは知っていた。それを蔑ろにしてしまったな」


 夕闇は背を向けたまま、しかし木の実を拾う手を一旦止めて返事をする。


「よく考えたらわたし、身勝手ですよね。あの岩だって粉々にされたのに、木の心配ばかり」

「……そこなのか?」

「えっと、さっきの夕闇ちゃんのお話、こういうことなのかなって。管理局について。これはヨシ、あれはダメってわたしたち人間が全部勝手に決めちゃうのは、たしかに自然に悪いのかもです」

「そう簡単な話ではあるまいよ。人と自然の関係を良し悪しで二分しようとするのは驕りだと族長が話していた」

「それもそうですね……。わたし、植物の知識を人よりも多く持っている自負はありましたし、それを利用して人間にとって価値あるものに調合する術もいちおうは会得しています。けれどもっと広い視野で捉えなおさないといけないですね」


 ミレイユが笑うのを目にした。ごく自然に夕闇は背中ではなく彼女の側を向いていて、ミレイユもまた夕闇と顔を合わすために振り向いていたのだった。


 ミレイユの視野、そして自分の視野。つまりはそれぞれの世界。それとアマリリス一族の十五の試練が結びついているのを夕闇はその時確信した。まだそれは抽象的な像しか持っていないが。


「ねぇ、ミレイユ――――」


 夕闇が自分の気づきについて話してみようとしたそのとき、茂みの奥から何かが飛び出してきた!

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