06
エリカがミレイユと
ミレイユの記憶が正しければ一週間前までは空き家でしかなかったはずだ。手つかずのあばら家。
ミレイユは改めてその貧相な家屋を観察する。二階建て。割れていたはずの二階のガラス窓は修繕されている。とはいえ、新品に取り替えたのではなく急ごしらえで一時的な処置だった。外壁の塗装は変わっていない。つまり剥げている部分が多く、年季を感じさせる。ミレイユがよくよく思い出してみると、そこは第二公民館という名で集会所兼物置小屋として建てられたものだった。結局、何か不都合があってか、機能しなくなって数年ないしもっと経過している。
出入り口のドアに直接、金属製のプレートが打ちつけられてそこに「魔導管理局運営室」とあった。
「ああ、そういうことですか」
ミレイユがそのプレート、建物の外観のうちで唯一、真新しいそれを見て言う。
「あくまで『運営室』であって、こことはべつにちゃんとした場所が町のどこかにあるんですね!」
「いいえ、ありません」
エリカがばっさりと言うので、ミレイユはにっこりしたまま「はい?」と口にしていた。隣にいる夕闇は頭を抱えている。
「とりあえず中でお話しましょう。安心なさってください、室内の掃除は済んでいます。……部分的に。お嬢さんたちを不快な目には合わせませんよ」
「そ、そうですか」
どうしよう夕闇ちゃん、とミレイユが目で訴えてくるのを夕闇は顎で、入るわよと示した。
そうして建物内に入ると、よく晴れた朝の陽射しが側方の窓から入り込んでいて明るかった。照明そのものはやはり質素と見えるから、今だけかもしれないわねと夕闇は思う。
ミレイユは定期的に訪れている町役場や、町の人から頼まれたお遣いで入ったことがある郵便局と似通った間取りをしているのに気づく。異なるのは利用者が待つための長椅子が少ないところか。カウンターがあって、その先にテーブルが並んで書類が積まれていたり、用途不明の置物があったりする。花瓶の一つもないのが寂しいなとミレイユは感じた。
全体としては、無機質な空間だ。エリカが言ったとおり、少なくとも入ってすぐのこの部屋は掃除が済んでおり、埃っぽくはない。
カウンターの内側で作業をしているのは、たった三人だった。エリカがそのうちの一人、四十代半ばに見える男性に「室長」と呼びかける。すると彼はテーブル上の書類とのにらめっこを止めて、椅子から立ち上がると、エリカに連れられてミレイユたちの前まで来た。エリカが彼に二人を紹介する。
「こちらが錬金術士のミレイユさんです。お隣はそのご友人の夕闇さん」
男性は精悍な顔立ちをしていて、がっしりとした体格だった。彼がミレイユを見る。その目力に押されて萎縮してしまうミレイユだったが、そうした「失敗」に慣れているのか、男性が「ああ、いや、悪い」を咳払いをした。
「はじめまして。室長のガストン・バランドだ。うら若き乙女であると聞いてはいたが、こうも可憐だとは知らなかった。なぁ、ナヴァールくん」
「情報提供者の一人であるご婦人は確かに、美しい娘とおっしゃっていました。それも文書にて報告済みですが?」
エリカが眼鏡の位置を指で正す。
「そ、そうだったな。ええと、それでどこまで話をしたのかね」
「まだ一つも。奥の部屋を借りてもかまいませんか」
「もちろん。だが、残念ながらお茶の一杯も出せそうにない」
「あら、それでしたら私が個人的に持ってきたものがありますので」
「いつの間に……」
ガストン室長はまた咳払いをして「ナヴァールくんに任せるよ」と言って、もとの席に戻ろうとした。が、足を止めて「そちらのお嬢さんもよろしく」と夕闇にぎこちなく笑いかける。夕闇は会釈した。そして今度こそガストンは席に戻った。
エリカがミレイユたちを案内した部屋はこじんまりしていた。物置スペースをなんとか応接室の体裁に整えたといった具合だ。内壁は薄汚れているが床は清掃されていた。硬い二人掛けのソファが低いテーブルを挟んで向かい合わせに置かれているだけ。大きな棚でもあったのか、床にくっきりと痕が残っていた。
「私がいた街から持ってきた、ブレンドハーブティーです。お口に合えばよろしいのですが」
ミレイユたちを残してしばらくすると、簡素な木のトレイに町で安く買えるカップを乗せてエリカがやってきた。給湯室に該当する部屋はなく、街から持参した魔導ケトルでお湯を沸かして淹れたものだ。ちなみに魔導ケトルは、イルンラクトではほとんど使われていない。湯沸しは直火を用いれば事足りるうえに、手頃な魔石の流通量が少なく、また機構の修理を適切に行える人間がいないというのが理由だ。
「わぁ……美味しいですね。シュガーミントとブロンドローズをメインに、これは、うーん、育命草の仲間でしょうか、混ぜていますね。配合が絶妙ですね」
「よくわかりましたね。この地域はブロンドローズの生育には適さないはずなのに。ミレイユさんはもしかして喫茶がご趣味なのですか」
「趣味というわけでは。えっと、ブロンドローズは以前、薬草園で育てていたことがあるんです。私ではなく植物学者であった父が。ただ、今はもう試料としか手元に残っていません」
「そうでしたか」
「あっ、夕闇ちゃん。熱いから気をつけてください。よしっ、今度はちゃんと言えました」
「言われなくてもそうする」
現に夕闇はすぐにはカップに手を伸ばさずにいた。
「それで? どうも魔導管理局といってもまだ正式に開局していないみたいだが。察するにこれから支部を正式に設置するために必要事項が多々あるのだろう。つまり、運営室というのはその準備のための機関か」
「……夕闇さんは、管理局についてミレイユさんより詳しいのですね」
「えへへ」
「どうして汝が得意気なのだ」
「あうっ。ご、ごめんなさい」
エリカは二人を見やりながら自身もハーブティーを飲んだ。
ミレイユが錬金術士であるとの情報は町の人から聞いた。ただし、錬金術士という役職名がそのまま出てきたのではない。何人かからの情報、すなわち彼女が調合したとされる薬品や釜による調合法、一年前までいたとされる「師匠」の存在の話を統合しての推測だった。ミレイユの家を訪れ、錬金術士であるか確認した際に首をかしげられでもしたら、べつの人をあてにするつもりでだったのだ。
一方で、その友人であるという夕闇の情報は一切なかった。
不自然だ。こうも彼女たちは仲が良く、今朝も早い時間から共にいたというのに。口調だって他の町娘とまるで違う……。
夕闇とエリカの視線が交差する傍ら、ミレイユはハーブティーでほっと息をついていた。これを飲めただけでも来た甲斐があったなぁと、のほほんと思っていた。
「ミレイユさんに協力していただきたいのは、まさしく夕闇さんが話された、管理局の立ち上げ準備なのです」
話を進めないことには夕闇の正体もミレイユの技量というのも測れない、エリカはそう考え、笑顔を作って切り出す。
「前提として、開局準備は概ね地元の方々と協力して行うのが管理局の決まりです。その地での信用を得てこそ、管理局として正常で健全な運営ができるからです。単純に、管理局側から多くの人材を新設予定の局に割けないこともあります。今回はこちらの理由も大きいです」
「人員もそうだが、拠点の借り上げもベストな結果とは言い難いのではないか?」
夕闇が壁紙が剥がれている箇所に視線をやって口にする。
「ええ、ベストではないですね。ただ、このお世辞にも立派とは言えない建物であっても、管理局の正式開局までに改装して、相応しい場に整えていくことはできるでしょう。初期費用も安上がり、下手な交渉も不要でした。立地としてもそう悪くありませんから、長い目で見れば及第点といったところですね」
にっこりと。そんなエリカに押されて黙した夕闇はカップを持ち上げて、口をつけた。まだ十分に熱い。ミレイユの淹れてくれたカルムティーより雑味があるな、などと思いはしたが言わなかった。
「あ、あのー……」
怖々とミレイユが右手を上げる。
「どうしました、ミレイユさん」
「わたし、魔導管理局って具体的に何をしているところか知らないんです……」
そこまで言って申し訳なさそうに、手を下げた。そのミレイユにエリカよりも先に夕闇が声をかける。
「しかし汝は、昨夜、イルンラクトの魔導物質事情に関しては簡単にではあるが話していただろう?」
「そ、それがどうかしましたか」
「ざっくりと言ってしまえば、魔導物質を人々の生活に溶け込ませて豊かな発展とやらを目指すのが魔導管理局だ。魔導物質をその身に宿した魔物の狩猟と解体、魔導物質の保管や流通、それから加工の業務を担う者たちを調整する主体となる機関だと聞く。……相違ないか?」
夕闇がエリカに話を戻した。
「ええ。当然、設置された地域によって『管理』が示すところが多少異なるのも事実ですが、そのご理解でよろしいかと。ただ、そうですね、一つ付け加えさせてください。私たち管理局が最も危惧しているのは何か知っていますか?」
ミレイユは首を横に振り、夕闇を見つめた。夕闇は「ふむ」と言い、ゆっくりともう一口飲んだ。まだ熱い。
「異界だろう」
「ああっ! それ、師匠から聞きました!」
重々しく口にしたというのに、ミレイユが目を輝かせるものだから夕闇は顔をしかめた。けれどそれには気づかずにミレイユは「あれは本当の話だったんですねー」とのんびりと言う。
「ええ、そうです。異界です。ミレイユさん、その師匠さんからはどのように聞いたのですか」
「えーっと、悪性の魔導物質が動植物や土地を部分的のみならず、環境丸ごとを侵食してしまうと、少なくとも人間たちにとって生存不可能な空間になってしまう、それを異界と呼ぶ……夕闇ちゃん、これで合っていますか?」
「ああ。我が知るところと一致する。それでも敢えて言うなら、魔導物質を善性と悪性とで区別する、都合よく定義するのは我等は好まない」
「興味深いですね、我等というのは?」
エリカは朗らかに言及したがその目は鋭い。
「なんでもない。忘れなさい」
夕闇はさらりと返した。ミレイユは内心、たった一つ年上の自分ならいいけれど、エリカさんのような大人の人にはもっと丁寧な話し方をしたらいいのに、でも魔女さんたちの間ではこういうものなのかな? だとすれば、とやかく言えないなぁと思っていた。
「とはいえ、イルンラクトが異界とは縁遠い町なのは間違いありません」
「管理局が設置されるとなれば、百年後はわからないがな」
「ふふっ。視野が広いのね。貴女を連れて来て正解でした」
「そうでしょう!」
「だから、なんであんたが得意気なのよ!」
素の口調でミレイユにツッコミをいれる夕闇と、「あうっ」と声をあげるミレイユをエリカもまた素で笑った。
「さて――――では、本題といきましょうか」
ぱんっと手のひらを合わせてエリカが話し始めるのだった。
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