03
夕風が窓を軽く叩いた。音は響かず闇に吸い込まれていく。
ミレイユが
「あの、そもそも夕闇ちゃんは何をしている方なのでしょう。もしかしてあなたも錬金術士?」
はじめにこれを訊くべきだったとミレイユは思う一方で、夕闇が自分から正体を明かすのを待つべきだったかもしれないと考え直しもした。
夕闇はまた一口、料理をその吐息で冷ましながら食べる。よく噛んで、飲み込むのをミレイユは眺めていた。
「そうね、我らと錬金術士はいわば親戚のようなものだわ」
「親戚?」
「ああ。そうは言っても、我らが本流であるのは間違いない。我はアマリリスの一族に属する魔女だ」
夕闇がその赤い花の髪飾りにそっと触れて、艶めかしく微笑んだ。この時ばかりは彼女のあどけないかんばせに子供じみたものではない誇りが見て取れるミレイユだった。つまり、夕闇は魔女で、そのことを誇らしく思っているのだと。
「魔女……びっくりです。まさか実在するなんて」
「ふふっ。おかしなことを言う。汝が行使する錬金術とて、普通の人間からすれば魔法と変わりはしないだろうに。その意味では、汝も魔女に近しい者なのだ」
「はぁ」
実感がわかないミレイユの気の抜けた返事に、夕闇はムッとした。そこにはもうすっかり元の少女の面持ちがあった。
「えっと、アマリリスの一族というのは?」
「汝が軽々しく口にするではない」
「す、すみません!」
「古い歴史を持つ、魔女の一族の名。そう解釈しておけばいい。無暗に誰かに教えるのではないぞ。呪われるからな」
「のっ……呪われる!? わかりました、ここだけの秘密ってことですね。えへへ」
呪いに怯えたかと思えば、なぜか嬉しそうにするミレイユだった。そんなミレイユに夕闇は話を続ける。また料理を口に運んでから。自分の作った料理を誰かが美味しく食べてくれている、久しぶりの体験にミレイユはいっそう顔を綻ばせた。
「それで試練の話なのだが。我ら一族の掟では、十五になると族長の魔水晶の導きに従って、各々に試練が課されるのだ。それでわた……我は、汝に力を貸すことになった。それが運命であると」
「えっ? わたしに力を貸す? それってどういうことでしょう」
「それを訊きたいのは我だ。汝、何か困りごとがあるのではないか。それを解決するのが試練だと思われる。この試練というのは魔女によって期間が違う。短くても一年、長ければ一生のほとんどを費やすとも聞く。確かなのはこの試練を乗り越えなければ一人前とは認められないということだ」
「そうなんですね。あれ? じゃあ、夕闇ちゃんも今はまだ見習いってことですか」
ミレイユの問いに夕闇は不意に左の手のひらを彼女に示す。そして招くような動きをすると、ミレイユの皿に先が浸かったスプーンが宙に浮き、夕闇の左の手へと吸い付くようにそのまま移動した。
スプーンの空中浮遊、目に見えぬ引力。あっけにとられるミレイユ向かって夕闇が得意気に話す。
「たしかに見習いだ。いちおうね。でも、我にかかればどんな難題でもあっという間に解決してみせる」
「わぁ! 今のが魔法なんですか」
「そう。こんなの初歩的な浮遊魔法だがな」
「人のスプーンを宙に浮かせてくすねる魔法があるなんて、魔女さんの世界って面白いですね」
目をきらきらとさせ、ずれたことを言いだしたミレイユに夕闇は面食らった。
「そんな限定的な魔法でないわよ。試しにあの本棚の本、みんな踊らせてあげましょうか」
「それは困りますね。ああ見えて、わたしなりに整頓しているんですよ?」
「そ、そう。ならやめておくわ」
「それよりも夕闇ちゃんは十五歳だったんですね。わたしは十六です。わたしのほうがお姉さんですね!」
「だからと言って、我を妹扱いなんてしてはいけない。いいわね?」
「はい。もしかして魔女さんたちは年の取り方が違うんですか。そう見えてウン百歳だとか?」
「どう見えているかはあえて聞かないが、年の取り方自体は同じだ。魔法で若作りしていたり、長寿を得たりしている魔女は知っているけれどね」
夕闇がスプーンをまた魔法で返す。吸い寄せた時と違って、ゆっくりとミレイユの皿へと戻すのだった。
「それで? 困りごとに心当たりは?」
「うーん、そうですね……」
ミレイユは考える。予言通りに現れた魔法使い、この可愛い見習い魔女に頼むべき事柄。童話のように、何でも夢を叶えてくれるわけではあるまい。あくまで彼女の試練の一環。
ふと、ミレイユは思いつく。でも、これは困りごとというよりは――――。
「でしたら、手始めにお願いしたいことが」
「なぜ急にもじもじとする。もしや何か恥ずかしいことか。ああ、待った。たとえばその身体の一部を急成長させるといった魔法は我に使えない、いや、使ってはならないのだ、それはその、禁忌にあたるのでな」
夕闇は口早に説明する。他にも死者を蘇生することはどんな魔女であっても不可能だと言い足そうとしたところで、ミレイユが「いえ、そういったお願いではなく」と否定する。
「では、なんだ」
「わ、わたしとお友達になってくださいませんか!」
ここまでのやりとりの内で最も語気を強め、目をくわっと開いて前のめりにもなってミレイユが言った。
「友達? 我と汝がか」
夕闇は狼狽える。そのように真っ向から友人関係を結ぶのを要求された記憶は一度もない。そしてそれが試練だとも思えなかった。とはいえ、夕闇は夕闇でこの自分と年が一つしか変わらない少女に既に好感を抱いている。何もその美味しい料理に絆され、籠絡されたわけではないと自分自身に言い聞かせている。
「ダメでしょうか。町の人たちはよくしてくれますが、わたし、同年代のお友達って一人もいなくて。だから、それを作るのが夢だったんです!」
「そうか……」
「魔女さんの世界では、錬金術士とはお友達になってはいけない掟はありますか」
夕闇は数多くある一族の掟を思い返す。
主要なものを除けば、それらは一族の古めかしい慣習に過ぎないものでその一族の生活圏から離れてしまえば意味をなさない。かたや、主要な掟の中には「魔女であることをいたずらに吹聴してはならない」としかとある。魔女自らにとって重要な意味を持つ間柄にある人物にのみ明かすべきなのだと。現実としては一族を離れて町で過ごせば自然と勘ぐられてしまうのだと、先輩魔女が口にしていたのも思い出された。
試練の相手。それは重要な意味を持つ間柄に該当する。しかもそれが魔法使いに近しい錬金術士であればこそ、夕闇はミレイユに魔女であるのを会ってすぐに示した。
でも、と夕闇は思った。それとこれ、すなわち友達になるかどうかってのはまた別ではないのか。
「い、嫌ですか? それならまずは、友達になるのを前提に知り合いからはじめるというのでもかまいませんけれど、うう……」
夕闇が返答に窮しているとミレイユが不安げな顔で見てくる。黙っていれば、はっと息を呑むような美人がこの短時間で顔色をころころと変えている様に夕闇はくすぐったい思いがした。そのせいで、目線を合わせにくくなって、ついつい料理を食べることに集中しているふりをしながら答える。
「わかった。いいわよ、それが我への汝からの最初の依頼として了承しよう」
背伸びした「魔女らしい」口調はまだまだ安定せず、戸惑いも表に出てしまう。だがそんな夕闇に対して、ミレイユの目は一段と輝いた。
「ありがとう! 嬉しいなぁ。あ、おかわりはどうですか。まだまだありますよ」
調子に乗らないで、という言葉を飲み込んだ夕闇は代わりに「では、少しだけ」と言っていつの間にか空になっていた皿をおずおずと渡すのだった。まだパンは残っている。
「ところで、もう宿はとりましたか」
夕風がまた窓を叩いて、ミレイユは思いついたように夕闇に訊いた。
「いや、まだだ」
「よかった。それならうちにぜひ泊まって下さい。なんだったら今日から一緒に住みましょう」
夕闇がスプーンを動かす手を止めて顔をあげ、正面で微笑むミレイユを怪訝そうに見た。
「待て。それは飛躍し過ぎではないか?」
友人関係となってすぐ、なぜか同棲を勧められている。どういうわけだ。
「我としては活動拠点を確保するための、金銭の蓄えがあるにはある。尽きれば仕事を探して稼ぐつもりでもいた」
「ですが、最優先は試練なんですよね。つまりはわたしに力を貸すっていう」
「そうだ」
その詳細は不明瞭だが。見習い魔女の試練で最初からすべてがはっきりしていることなどない。出立の前に、よくよく族長に言われたことの一つだ。山を越えるのも霧を晴らすのも、時間と根気、そして叡智と相応の工夫、それに運も要るのだと。
「だったら、それをお仕事にするのが妥当でしょう。わたしから夕闇ちゃんに多くのお給与をあげるのは難しいですが、でも寝床と食事は提供できます。寂しい時は話し相手にもなれます! むしろなってください!」
「寂しい時があるのか」
「時々。夕闇ちゃんにはありませんか」
そう返されて、夕闇は「ない」ときっぱり言えなかった。間を置いてしまうと、話題を強引に変えるぐらいしか選択肢が彼女のなかでなくなった。
「ところで、この町には魔導物質を精錬できるような――――ふわぁ」
慌てて口に手で蓋をする夕闇であったが遅かった。うっかり盛大な欠伸をしてしまった。話題転換さえろくにできずに、ただただ無防備な姿をミレイユに見せてしまったのを恥じた。
しかしミレイユはそんな夕闇を嘲笑うどころか、憂慮する調子で「夕闇ちゃん、疲れているんですね」と言うのだった。
「かなりの長旅だったんですか」
「それなりにな」
アマリリスの一族は大陸の隠れ里と呼べる地を転々として過ごしているが、夕闇が出発した地点からイルンラクトまでは七日かかった。それは夕闇にとっての初めての一人旅であり、十二分に長く感じられた。
だが、夕闇は他の見習い魔女というのが十五の試練に際して、時に半年かけて目的地へと赴かなければならないのも知っており、ゆえに長旅だと嘆くのは不適当であるとみなしていた。そうでなくても、泣き言を他人に言う性分ではない。
とはいえ、疲労は蓄積されている。ミレイユの淹れてくれたカルムティー、作ってくれたラシャス・ラグーでほっと一息つけたことで、その疲労をかえって意識する結果となった。それが欠伸に結びついたのだ。道理に適っていると夕闇は結論付けた。不可抗力なのだと。
「よければ、お風呂に入ってください。準備しておきますから」
ミレイユはそう言うと、夕闇の返事を待たずにそそくさと奥の部屋へと消えた。
「個人宅に風呂があるのね」
独りになった夕闇はほとんど無意識にミレイユの入浴姿というのを想像して、また勝手に恥じらっていた。
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