02
ミレイユがテーブルに二人分のカップをソーサーに乗せてそっと置いた。それら一式もこの日のためにミレイユが選んで買った代物である。高級品ではないが、丈夫で軽く、それに控え目で上品な装飾も気に入っていた。
「へぇ……美味しいわね」
「そう言ってもらえてよかったです。こちらはイルンラクトの伝統的なカルムティーと言いまして、乾燥させたカルムの葉で淹れたものです」
「カルムの葉? それってたしか鎮静薬や睡眠薬の材料にも使われるんじゃなかった?」
夕闇はそう訊ねてから、ひょっとして一服盛られたのかと疑念を生じさせた。仮に即効性の毒だとしたら既に手遅れだ。痺れこそないが、心なしか眠くは感じる。
「たしかに摘み立ての葉や茎はそうした薬にも用いられると本でありました。ですが、もともとこの町の周辺で採れるカルムにはさほど強い効果がないみたいで。土壌や気候が少なからず関わっているのでしょう」
そう言うとミレイユは相変わらず穏やかな面持ちで、自身もカップに口をつける。そしてさも美味しそうに飲む。
「このカルムティーは心を穏やかにする飲み物として、大人たちはよく言うことをきかない遊び盛りの子供たちに飲ませたのだとか。他にも嵐が来そうな時季には教会で神様に捧げて祈りもしたのだと」
「ふうん。それなら、我は悪童で嵐ということか」
「えっ。そ、そんな。違います。すみません、不快にさせてしまいましたか」
「冗談よ」
夕闇は見るからに年上の少女が自分を敬うかのような態度をとるのに、むしろ気をよくしていた。ここまでの旅路で、彼女はあまりいい待遇を受けはしなかった。それは彼女の身分や立場を考慮すれば自然なことであったが、だからといって不遇を喜ぶ者はいない。
「あの、夕闇ちゃんさえよければ、夕食をいっしょに食べませんか」
ミレイユは作業途中であった釜を見やって言う。夕闇はそちらに視線を向けることなく返答する。
「待て。知るべきことをまずは知らねばならない。それはつまり、汝が我に教えるべきことを教え―――」
きゅるるぅーっと。小動物の鳴き声めいた音がした。それが夕闇の腹部から発された音であるのはミレイユにもわかった。ただ、先のこともあり、自分がそれを指摘するのは不躾であるようにも思った。もしも怒らせてしまって、いなくなられでもしたら大変だ、ミレイユは焦った。
「夕闇ちゃん。わたしはお腹ぺこぺこですっ! 食べないと何も話せません」
「そ、そうか。それならしかたあるまいな」
「はい。あなたが来ると信じて、多めにつくっていたのでどうか夕闇ちゃんも食べるのを手伝ってください。いいですよね……?」
「しかたあるまい」
そう繰り返した夕闇は頬を掻く。少し赤く染まっているのが可愛いとミレイユは思ったが今度は口にしなかった。
「それが錬金釜なのか。思ったより小さいな」
釜をかき混ぜるミレイユの後ろ姿に夕闇は声をかける。夕闇が伝え聞いていた話では錬金釜というのは大人であれば一人、子供であれば二人がすっぽり入るような大きさだった。ミレイユが今、かき混ぜている釜は調理用にしては大きいがそこまでではない。小さい頃の自分であってもそこに入って隠れられはしないだろうと夕闇は想像してみた。わけあって隠れることの多かったのを思い出しながら。
「大がかりな調合の場合は、もっと大きな釜を使います。それに、正確には錬金釜ではないんです。こうして普通の料理にも使いますから」
「錬金術の行使にも適しているのだから錬金釜と呼んでも差支えないだろう?」
「えーっと……最適化された器というわけではないんです。この釜でも錬金術が発動できるのは、あくまでこの錬金盤で術式が構築されているのが理由ですから」
「錬金盤?」
ミレイユが手を止め、釜と炎の間にある板を指で示す。釜に直火をかけているのではなかった。その灰色で光沢のある板の材料が夕闇にはわからない。目を凝らす。なるほど、どうもその錬金盤からは魔力を感じる。詳細までわからないが、高度な術式が組み込まれているのだろう。
「ようするにその釜を錬金釜たらしめているのは、その板であり、釜は普通のものなのだな」
「そのとおりです。錬金術に最適化された、まさしく錬金釜の調合法も教えてもらったのですが材料が稀少で集められていないんです。そうした釜が必要な調合なんて、今のところする機会はありませんが」
その錬金盤とやらも師匠がミレイユに授けたものらしい。
夕闇は傍でミレイユの作業を眺めたくもあったが、彼女には「そこに座って待っていてくださいね」と言われており、それにカルムティーもまだ残っていた。釜で料理をするために、ぐいっと飲み干したミレイユに倣うのも気が引けた。
やがてその煮込み料理が出来上がったらしく、ミレイユが玉杓子で深皿へと丁寧に移す。そしてスプーンを添えてテーブルまで持ってきた。そのタイミングで夕闇はお茶を飲み終わった。ミレイユはカップやポットを下げて、代わりに保存棚からパンを取り出すとそれもテーブル上に置いた。夕闇が見たところ、錬金術製の棚ではない。すなわち超常的な保存性を有するものではない。
他にも室内には高度な錬金術を思わせる設備や道具の類がない。奥にはまだ部屋があるようだが、ふたりが今いるのは若い女性の部屋というよりは、繁盛していない工房ないしアトリエの風体であった。
そうした事実とミレイユが見習いを自称したことで、夕闇はミレイユが期待していたような凄腕の錬金術士でないことを察していた。
「これも伝統的な煮込み料理か?」
「この地域ゆかりのお野菜を中心に煮込んでいるので、そうとも言えますね。本によれば……外から来た人はラシャス・ラグーなんて呼び名をつけたのだとか」
「熱っ!」
「わっ! 大丈夫ですか、熱いので気をつけてください。って遅かったですね」
「いい。これは我の不注意だ。ん……落ち着く味ね。香りもいい。豊かな大地の香りだ」
そう言うと夕闇は舌先を冷ましつつ、部屋の中で釜周辺の次に目を引いていた、背の高い書棚に視線をやった。横幅は夕闇が手を広げても足りない。ミレイユと一緒に広げてちょうどぐらいだろうか。街でふた昔ほどに流行った分厚い大衆小説もあれば、料理本や動植物の図鑑もある。中には、夕闇にとって見慣れない文字が背表紙に書かれた本もある。古代語の一種かもしれない、と夕闇は当たりをつける。
「どこから話せばいいんでしょう」
しばしパンと料理に夢中になっていたミレイユがぽつりと言った。
「そうだな。汝は見習い錬金術士であると言ったが、日々の糧はどのように稼いでいるのだ。調合品をどこかに売りさばいてるのか?」
「ええ、そばにある薬草園で摘み取った薬草を材料に、調合した薬品を町の薬師さんに卸しています。あとはいろんなお店の簡単なお手伝いも。こんな町はずれに住んでいますが、みなさんと仲がいいんですよ」
だろうな、と夕闇は思う。自分と違ってこの子は愛想がいいから、と。
夕闇は幼い顔立ちのせいで、それに見合った振る舞いを求められることもあったが、彼女にとっては子ども扱いされるのは何より嫌いなことの一つである。
既に夕闇はミレイユへの警戒心をほとんどゼロにしていた。それはもとより、突然の来訪者たる夕闇を快く迎えたミレイユに向けるべきものではなかったのだろう。彼女が自分との出会いを待ち望んでいたのだと思い至ると面映ゆくもなる夕闇だった。
「ふむ。直接の診療と薬の処方を行っている者は別にいると。ざっと通りを見まわしてきた感じでは、大した医療機関はなかったがな。それでいて小さな町にしてはなかなかに衛生的なのは、汝の錬金術の賜物ということか」
「そ、そんな大袈裟ですよ。町の人たちが病気や怪我に対する意識が高いのは、経緯があるんです」
「というと?」
声のトーンを落としたミレイユに、夕闇は詳細を訊く。すると、やや暗い調子のままでミレイユが話し始めた。
「二十年ほど前に、この地域一帯で流行り病があって、何年にもわたって多くの死者が出たそうです。教会からの支援を得ることで収束できたそうですが」
「それ以来、公衆衛生には重きをおいているのか。災厄から学び、備える。人の道理だな。もしや、汝もその病が蔓延している頃に生まれたのか?」
「いえ、わたしは十年前ほどに別の村からやってきたんです。えっと、魔物の暴動があって、逃げるために。わたし自身は記憶がほとんどありませんが。最終的にわたし以外は他の何組かの家族だけが生き残っただけみたいです」
「! 汝の親は……」
ミレイユが首を横に振る。「そうか」とだけ夕闇は返した。下手に謝りはしない。それからミレイユが夕闇に手短に伝えたことには、孤児となったミレイユは数年間、教会で育てられ、その後、隠遁の地にイルンラクトを選んだ高齢の植物学者に引き取られて彼と二人暮らしを始めたのだった。そして彼を看取った直後に、ミレイユは師匠と出会った。
「汝はこの日のために師匠にあれこれ世話を焼かれたみたいだが、わた……我の到来を予見したのもその師匠なのか?」
夕闇が、逸れた話の軌道を戻す。
「そうです。でも、どうせなら……」
「どうせなら?」
「あっ。な、なんでもありません。ただですね、夕闇ちゃんのような可愛い女の子が来てくれるとは教えてくれなかったんです。もしも知っていたのなら、こんなお茶や料理じゃなくて他にも準備していたのになぁって」
夕闇は眉間に皺を寄せた。素直な賛辞に不慣れな彼女は、目の前の錬金術士の頭の中が過去に見舞われた不幸をものともせず、お花畑めいているのに少しだけ辟易した。夕闇はまた一口、料理を口にした。今度は慎重に冷ましながら。そしてパンをちぎって食べ、飲み込む。
「汝は、我がここに来た目的を把握しているのか。いや、していないだろう」
「は、はい」
「もしも汝を攫って魔物の餌にするためだと言ったらどうする?」
ニヤリとする夕闇だったが、ミレイユは「それは怖いですね」と平然と返してきた。残念ながら、夕闇がいかに迫真に口にしてもミレイユにとっては冗談としか聞こえなかった。それは夕闇の声が可愛らしいのが理由の一つであり、そしてこの時においては、夕闇の口元にパンくずが付いていたのも理由だった。
ミレイユは彼女自身の口元を軽く指で叩いて示すことで、夕闇に不始末を気づかせた。面目が悪くなった夕闇にミレイユは優しく訊ねる。
「それで『運命の夕闇』の目的を教えてくださいますか? わたしはこの日を一年間ずっと待っていたんです」
夕闇はもったいつけるためだけの沈黙の後、「試練だ」といかめしく言うのだった。
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