ゆるふわ錬金術士とせかせか魔女の甘々な日々

よなが

第1話 運命の夕闇

01

 安穏が破られるのを少女は待っていた。待ち望んでいたとは言えない。それでも師匠が残した言葉を信じ切っていた。十六歳の誕生日、その日に「運命の夕闇」が訪れるのだと師匠は少女に伝え、どこか遠くに去った。

 ちょうど一年前のことである。


 その少女、ミレイユはイルンラクトでの暮らしぶりにおおよそ満足している。町の人たちは優しい。町はずれの一軒家に今は一人きりで暮らしている彼女を気遣ってくれる。なかには、養女として迎えたいと話してくれた人すらいる。

 ミレイユは家の近くに造られた小さな薬草園の守り人をしていた。管理人としての素養があっても、知識と経験はまだ不足していると彼女自身はみなしている。見守り、必要なだけの世話をする。かつてれっきとした管理人であった者はもういない。師匠よりも遠くへと去って二度と戻っては来ないのだ。


 イルンラクトは長閑な町だ。物心つかない頃に、近隣の小さな村からやってきたミレイユにとってはその町がすべてだ。小国の辺境に位置しているが隣国との間には高く険しい山々があり、そこを超えて町にやってきた人間をミレイユは知らない。友好的な関係にあるとは聞く。

 月日をかけて辿っていけば都市部に繋がる北の街道は整備が充分に進んでおらず、交通の便がよろしくない。特に雪の降る時季は一番近い街との交流だってめっきり少なくなる。東を流れる河川がイルンラクトの町にとって重要な水資源となっている。西には緩やかな丘陵地があり、そこに並ぶ畑はとりわけ実りの季節に美しい。南の森には足を踏み入れてはいけないと町の大人は子供たちに言い聞かせたものだ。町近くの綺麗な花畑ぐらいならいいが、それ以上深く踏み込めば帰って来られなくなるのだと。森には森に住まう者どもがいて、侵してはならないのだとも。とはいえ、こうした因習も今や過去のことになろうとしていた。


 ミレイユにとって今の日常に不満らしきものがあるとしたら、同年代の友人と呼べる子がまったくいないことだった。町では十歳かそこらの少年少女が楽しげにおしゃべりをし、通りを駆けていくのをよく見かける。ミレイユを姉のように慕う子もいて、ミレイユもそれに快く応じている。けれど彼女と同い年の友人はいない。厳密に言えば、友人になっていないだけで十五、六歳の子たちも町にはいるが彼らとは親しくない。いつも忙しなく働いている彼らからすると自分はおっとりし過ぎて疎まれているのかもしれない、とミレイユは思う。何事にも相性というものがある。四つ上で、ミレイユが姉のように慕っている女性がいるが、彼女は姉であって友とは違うとミレイユは認識している。


 そんなわけでミレイユが運命の夕闇に密かに期待していたのは友人であった。

 この一年間、もはや性別も年齢も不明瞭である師匠が残した言葉を、何度も何度も頭の中で思い出してみてはその夕闇の正体を想像した。師匠は確かにそれを生き物であるように話していた。しかし友人になってくれるかどうかまでは言わなかった。そもそもそこまで知り得ていたのかもわからない。

 とにもかくにも、それが訪れてミレイユの運命を動かし、つまり新たな日々に導く存在となるのは間違いないらしかった。


「緊張してきちゃった」


 ミレイユは家で一人、椅子に腰かけてそう呟いた。窓から望む景色はいよいよ黄昏の到来を思わせる。もう何十回と読んだ古い小説をまた読み終えて書棚にしまったところだ。普段は緊張なんてほとんどしないミレイユからすると、自分の心臓が騒がしく、全身がそわそわしてしまっていることは不思議で、そして少し楽しくも感じられた。わくわくがもうすぐそこまで来ているのだ。

 ミレイユはその日の昼頃、町の人たちから祝福を受けて、贈り物をいくつも貰っていた。その中の一つ、時計屋のおじさんがくれたつやつやとした蓋つきの懐中時計で時刻を確かめる。静かに、でも確かに時を刻む針の音に耳を澄ましながら、パン屋のおばさんが今日のために焼いてくれたパイが大変美味しかったのを思い出しもする彼女だった。


「そうだ、お茶以外にも何かきちんとした食べ物を用意しておいたほうがいいかな。うん、そうしよう。今日は二人分作ってみよう」


 ミレイユは懐中時計を大事に机の上に置いて、椅子から立ち上がる。「運命の夕闇」の訪問を前にして、もてなすための準備はずっと前からしてきた。この日のために部屋の掃除をしたのみならず改築もしている。

 

 ミレイユには考えまいとしながらも、考えていたことがある。もしもやってくる何かが自分にこのイルンラクトから離れるのを強いたなら、そしてそこに相応の道理があったなら、どうするかというものだった。旅立ちは容易ではない。ここには思い出がある。あり過ぎる。運命の夕闇については、本当に親しい数人を除いて打ち明けていない。お別れなんて一切していなかった。


 火にかけてぐつぐつと煮立ってきた大きな窯を専用の棒でかき混ぜながら、ミレイユは当日になってもはっきりと決心できない自分を情けなく思った。しかしそれでも、訪れるのが話のわかる相手であれば、どうにでもなると信じていた。その上で、友達になれそうな子だったらいいなと願っていたのだった。


「あの本に登場する美人で優しい、頼りになる魔女さんのような人だったらいいのにな――――」


 つい口角を上げ、呟いたそのときだった。

 ノックの音がした。心臓が一段と高鳴る。ミレイユはまず火の具合を弱めた。それから慎重にかきまぜ棒を定位置に置く。ゆるりとした動作であったからか、それともドアの向こうにいるのがせっかちな人物なのか、ノックがまたされた。ミレイユは「はぁい」と声をほとんど裏返させて、おぼつかない足取りで、その出入り口のドアまで向かう。そこまで来ておいて、すぅーはぁーっと深呼吸をする。するとまたノックの音がして、慌てたミレイユがドアノブに手を伸ばしたそのとき、がちゃりとドアが開かれた。


 鍵付きの外開きにしておくんだったかな。ミレイユは鼻頭を手でさすりながらそう思った。訪問者がけっこうな勢いで開けたドアがミレイユの鼻にぶつかり「ふぎゃっ」と彼女は声をあげてしまって、よろよろと部屋の内側へ後ろ向きのまま何歩か進んだのだった。運命の夕闇――――その訪問者は頭からすっぽりと黒いローブを被っているから、表情がまるで読み取れない。彼あるいは彼女はドアを開いたまま、じっと立っていた。ひょっとすると動揺しているのかもしれない。そう推察したミレイユは「どうぞ」と努めて笑顔で、黒衣の人物を内側へ招いた。


 黒衣の人物は内側へと入ると、ミレイユに背を向けずに後ろ手でドアをゆっくりと閉めた。どこか不審がっている雰囲気にかまわず、ミレイユは微笑んで訊ねる。


「あなたが『運命の夕闇』さん?」


 ミレイユの問いかけに、今度は肩をびくりとさせ、あからさまに驚いた様子を見せた黒衣の人物。しかしその直後、わざとらしい咳払いを挟んで体裁を取り繕った。


「なぜ我のことを?」


 綺麗な声だ。ミレイユが驚く番だった。厳かな調子であるのに、その声は鈴を転がすようであり、そのときになってミレイユは黒衣の人物が自分と背丈の変わらないことに気づく。さっきの咳払いといい、今の声といい、若い女性なのだろうか。質問されているにもかかわらず、そんなことに気を取られてしまったいたミレイユに対し、黒衣の彼女(?)は続けて言う。声を意識的に低めにして。


「汝が、イルンラクトの錬金術士・ミレイユに相違ないか?」


 深くかぶったローブの奥、ミレイユはそこから注がれる鋭い視線にたじろぐ。だが、応答しないわけにもいかない。


「は、はい。錬金術士として活動してはいませんが、えっと、基礎的な部分は教わりました。だから、ええと……見習い錬金術士とでも言えばいいでしょうか?」


 訊かれても困ると言わんばかりに運命の夕闇はかぶりを振った。それから、警戒心を薄めたのか、ようやくローブの頭部を外してその顔を露わにする。

 ミレイユは思わず息を呑んだ。鼻の痛みが吹き飛んだ。


「か、可愛い……!」

「は?」


 ミレイユの口から洩れた感想にその少女はたった一音で返した。困惑。そして少女は眉をひそめた。それさえもミレイユにとっては可憐だと思わせた。

 いたいけな童顔に、大きく丸い目とやや低い鼻、小ぶりの唇。瞳の色は琥珀色をしていて、予想外のことを言い放ったミレイユをまじまじと見つめている。いや、睨んでいると言っていいだろう。常夜の闇を想起させる混じりけのない黒髪を横に流して編み込んでいる。そこに赤い花の髪飾りが堂々とつけられていた。


「し、失礼しましたっ!」


 少女が不機嫌であるのを察したミレイユが頭を下げる。はぁ、と溜息をついた少女はごそごそと何か取り出す。指でつまんだのは少々汚れている紙片。少女は折り畳まれているそれを器用に片手で広げてミレイユを見ながら読み上げる。


「『美しい少女の錬金術士で、名はミレイユ。髪は暗めの橙色。肩にかかる長さのくせ毛。体格は並。姿勢が正しい。少々垂れ目で瞳の色は濃褐色。まっすぐ通った鼻筋。切れ長の薄い唇』か。たしかにね」

 

 改めて少女はミレイユこそが目的の人物であるのを確認したのだった。こそばゆい気持ちがするミレイユであったが、冗談の一つでも言っていい空気ではない。少女が紙片を折り畳む。そしてしまおうとして、やめる。もう一度だけ紙片を開いて目を通した。そして小首をかしげる。


「ねぇ、その服装は?」

「え? これですか」

「そう。少なくともこの町の若い娘の間で流行っているものではない。もっと大きな街のお嬢様が道楽で着るような……まるで……」

「まるで?」

「妖精みたい」


 外観はそう珍しくもないエプロンドレスである。機動性が考慮されているのか、単に脚をアピールする意図があるのか丈はわりに短い。白色と若草色とがベースになっていて花や蝶々の模様が刺繍されている。ひとつひとつが生きているかのように洗練されたデザイン。ミレイユの十六歳にしては大人びた顔立ちと美麗な外貌とそのドレスは調和しているが、しかしそれだけでは少女がミレイユを妖精と喩えることはなかっただろう。

 少女はその服に何か特別な気配を感じ取っていた。見れば見るほどに、そこには通常の服にはない力が込められているという直感が確信へと変わっていく。


「ありがとうございます。えへへ」

「べつに褒めていないわ。わた、……我が見受けるにその服は特殊で貴重なものだ。汝が錬金術で作ったのか?」

「あっ、ちがうんです。これは師匠がこの日のために、と残してくれたもので。わたし、この一年でちゃんと成長したのに、サイズがぴったりだったんですよ! もう少しスカートの丈は長くてもよかったのに、って思いますけれど」

「師匠? 錬金術の?」

「はい。と言っても、お仕事は占星術師だと話していましたが」

「……」

「あ、あのっ! 立ち話もなんですからこちらに座ってお話しませんか」


 ミレイユが少女を手招く。この日のためにミレイユは特等席を拵えていたのだ。

 二人暮らしをしていた頃の椅子は残していたが、それとは別に用意していたのである。「ささ、どうぞ」とミレイユに促されて少女が席に着く。真向かいに座ったミレイユとはかけた椅子が形状からして異なる。無駄に豪華で少女の体格にはしては大きいが座り心地はかなりいい。

 それにテーブルそのものは華やかさがない代わりによく掃除されているのが見て取れた。少女は称賛を口にはせず、ミレイユの観察を続けた。当のミレイユが「そうでした! お茶を用意しているんです! 今、淹れますね」と慌ただしく、そして楽しげに立ち上がって動き出した。声の調子とは裏腹にどこかおっとりとした所作。

 

 ふとミレイユが動きをぴたりと止めて、少女のほうを向いた。


「お名前は『運命の夕闇』さんでよろしいですか?」


 ミレイユの戸惑う表情は暗に、まさか本名ではないでしょうと少女に伝える。少女は肩をすくめる。この自称見習い錬金術士がどこまで自分の力になるか今のところまったく見当がつかないのだ。


「我のことは、夕闇ダスクと呼びなさい」

「だすく?」

「そうだ」

「わかりました、夕闇ちゃん」

「ちゃんはよしなさい」

「どうして?」

「どうしてって……」


 夕闇は数秒の間、思案する。どうせ仮初の名だ。けれど、いや、うーん……。


「好きにしなさい」

「わぁ! ありがとう、夕闇ちゃん」


 嬉々としてお茶の支度を再開するミレイユに、夕闇は「こっちは呼び捨てるから」と心で決めておくのだった。

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