「忘れ雪」

『真理の神が父であり、憂世を生きる人々が子であるのならば、彼等の母は教会である』

「なあ、そういえばさ! お前、五島列島出身だったよな!」

「そがんわいは東京もんやろ。しこぶった東京弁が抜けんじゃったな。んで、それが?」

 卒業式が終わり、いよいよやることが無くなったので、仲良しの男女三人で、旅行に来た。今は、連れてきた女の子が、自撮りに夢中なので、男二人で駄弁っている。

「今メッセ来たんだけどさあ、俺のじいちゃんの手術が成功したんだって。」

「ほーん、そりゃよかったの。」

「そしたらさあ、じいちゃんが『ろまんさまのおかげ』って言うんだって。」

「ろまんさま? なんじゃそりゃ。」

「お前には言ったけどサ、じいちゃんの先祖、切支丹狩りの時に今の田舎に逃げてきたんだって。」

「おう、そんで、そん爺ちゃんの先祖ん、もともとおったとこが、五島なんじゃってな。ほいで?」

「お前んちもキリシタンの家系って言ってたじゃん。ろまんさまって何か知ってる?」

「んー………。」

 ろまんさま、ろまんさま、と、記憶を掘り起こそうとしていると、突然年寄りの奇声が聞こえた。それと同時に、連れてきた女の子の困惑した声も聞こえてくる。

「おどりゃぁ! ピカんとこでなにしよってん!! テーマパークちゃうんやぞぼけぇ!!!」

「えっ、えっ、えっ?」

「インスタいうんか? 世界発信すんなら、これ背景にせえ!」

「あ、あの、ちょ、近づかないでください!」

 ヤバイ奴らだ、と、助けに行こうとしたところで、突然両脇から、老人二人が飛び出してきた。物陰などなかったのに、本当に一体どこにいたのだ。

「え、え、え?」

「アンタさんら学生さんやろ。若いのに『今日』来るなんて、ええコやな。ほら、これ持ちい!」

「そっちの坊主はこれ持ちい!」

 持て、と押し付けられた看板は明らかに手作りで安っぽく、古臭いが、だからこそわかる。

 この人たち、関わっちゃいけない人たちだ!!

「ほれ、若いのこそ参加せにゃならん、こっちこっち!」

 拒絶しているはずなのに、老人はぐいぐい看板を押し付けてきて、まさにその魔手を青年達の腕に伸ばそうとした、その瞬間だった。

「やぜか!! はらがかしい真似しとらんと、とっとと東京の渋谷四丁目に帰らんかい、この偽もんが!!」

 突然、老人達の、どこか違和感のある言葉とは違う怒号が飛んできた。思わず声の方を見ると、どうやら連れの女の子を引きはがしてくれたようだ。

「な、なんやおまえ、ちゃんとした日本語話さんかい!」

「ハ~~~? ちゃんとした長崎弁もしゃべれん浦上っ子気取りやちゅうことは、分かっとーったいぞ。ほい、お嬢ちゃん返すたい。」

 礼を言わなければならないのに、目の前で凄んでくる老人との距離が近くて、女の子を後ろに回すだけで精いっぱいだった。

「な、なんだアンタは!」

「右も左も分からん他所から来た学生さんば捕まえて、政治活動にかてようなんて、そがん卑怯なこと、浦上ん天主様がゆるさんぞ!」

 そこまで言って、ようやく二人は、女の子を助けてくれたこの長崎人が、まだ年若い男だということに気づいた。

「こ、この! 昼間っからウィスキー飲んどるような志の低い…!」

 今にも喧嘩になりそうだったので、警察を呼ぼうとしたが、こんな時に限って、スマホをバッグに入れてしまっている。そして後ろ手には、どうしてもスマホが見つけられない。

「ああ、ばってんわいらには分からんか? わいらは信仰やけん、こん教会で溶けていった人たちん祈りも天主さまも侮辱して利用するためにきたんやもんなあ? なあ、東京もん!」

「か、核のない世界の何が―――。」

 あ、死んだ。と、直感的に思った。長崎人は両腕を組んでいるだけなのに、食って掛かった老人は、何かに弾き飛ばされて、その場にひっくり返った。

「核のない世界ぃ? ―――身ん程ば弁えれ。百年も生きとらんわいたち人間に、一万二千年前ん狩猟時代から求めてきたん何が分かる。」

 あ、やばい。と、直感的に思った。長崎人は、明らかに長崎弁をしゃべっているのに―――その言葉は、何か方言だとか県民性だとか、それよりももっと大きな『何か』が喋っているようだった。だが、老人達は気づかないのか、尚も食ってかかる。

 長崎人って、ドラマで見る広島人よりも怖いオーラが出せるんだな、と、少し現実逃避してしまった。

「いっちょんわからんやったいねえ。帰れっつっとっとが分からんのか。そんねまっとん性根ば叩き直して、世ん中のしょんないこと経験して出直せえ、言うとったい。」

 帰れ。

 その時、確かに、長崎人の声がもう一つ聞こえた。否や、。明らかに、この長崎人は、ただの長崎人ではなかった。

 帰れ。帰れ。帰れ。

 帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ。


 出 て い け 。


 そう聞き取れたのは、その場にいた全員がそうだったらしい。老人達は悲鳴をあげて、長崎人を、東京だと警察が飛んできそうな酷い罵声を浴びせながら、逃げて行った。長崎人は腕を組んだまま、老人達が仲間を連れてその場を去っていくのを見切ってから、くるっと振り向いて笑った。

「いやー、災難だったねえ、君たち。よりにもよって三月十四日に来ちゃったかあ。」

 拍子抜けするほど、綺麗な標準語である。

「あ、あの! 何も知らなくてすみません! な、なんかいけない日だったんですよね!?」

「ああん? そんなこたぁねえよ。毎日が誰かの誕生日で、誰かの命日で、誰かの記念日だ。今日は記念日というか、まあ、うん、ちょっと、ねえ、えへへ。」

 すると、女の子がうだつの上がらない男子学生どもを押しのけ、頭を下げた。

「あの、あの! 本当にありがとうございました! 良ければ今日が何の日だったのか、教えてくれませんか!?」

 すると長崎人…の、ような、何か不思議な青年は、頭を搔きながら言った。

「うーん、浦上天主堂って、お前たち知ってる?」

「一応長崎で育ったので………。長崎の原爆の爆心地、ですよね。」

「うん、そう。今日ってね、この浦上天主堂が、世界遺産にな日なの。」

「ならなかった?」

「そ。辛いからって言って、世界遺産にしなかったんだ。多分、日本人だけじゃないくて、アメリカ人も辛かったと思うよ。」

「二回目だったから?」

 多分違うだろうなあ、と、思いつつ聞いてみると、青年はどこからかタバコを取り出し、未成年の顔には吹きかけないように顔をさらして、煙を吐いた。

「それもあるかもだけど、―――だって、原爆が落とされたまさにその時、浦上天主堂ではミサが捧げられてたからね。」

 ひゅーっと、内臓が地獄に落ちていくような音がした。

「宗派は違うけど、アメリカ人に『礼拝中の人間が溶けて死んでいった』って言うと、それだけで、火垂るを観るのと同じくらいショックなんだ。」

「神さまにお祈りをしてる時に、原爆が落とされたんですか!? どうして!! なんで!! アメリカ人だってクリスチャンじゃないか!! !!」

 すると、うーん、と、首をひねった。その表情は、笑って困っていたが、薄皮一枚で、激しく泣き叫んでいることが分かった。


「そういうの、関係なくなっちゃうのが、戦争なんだよね。」


 平和な世界に生きてきた三人は、それで何も言えなくなってしまった。


「別に、怒ってないよ。悲しいし、辛いし、さっきの余所者に利用されたりするし。『どうして神さま守ってくれなかったんですか』ってのも思ってる。それでも、お前らみたいな奴らが生きてくれていたら、それでいいんだ。」


 そこから三人は、目の前の青年が、もはやただの一般人とは思えなかった。それは、若い三人には、まだ持っていない語彙でしか表せないような気がしたからだ。

 それでも、女の子は言った。

「貴方は、何者なんですか?」

 言っちゃうんだ!? と、情けない男どもは振り向く。すると、青年は笑って、ずっと組んでいた腕をほどき、ううん、と背伸びをした。

 その時三人は、青年がおよそ一般人には耐えられないようなダサい―――じゃ、ない、シンプルな作画コストの格好をしていることに気づいた。

「ただの忘れ雪だよ。こういう日だけ、お前たちみたいなのを巻き込もうとする、ああいう奴らを追い払うためにやってくるんだ。」


 信仰の先達の罪が全て雪がれるまで。未来に生きる私達が、人の■きを聞きましょう。

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