第8話 数千の黒き骸骨兵が襲来したとき
星歴899年 11月19日 午前3時10分
ベルイット辺境領 守備砦 城門前
俺たちを含む奴隷兵の100名ほどが最前列に配置された。
続いて城兵200名が2列に並ぶ。
さらにギルク伯爵配下の騎士が馬を並べた。
ギルク伯爵は最後尾にて、飾りつけをした黒馬に跨り、槍を携えていた。
これがベルイット辺境領を守るギルク騎士団、砦の城兵、奴隷兵団だ。
こうして整列すると壮健な見た目だが、ギルク伯爵も騎士団も城兵たちも、まだ、気づいていない。
星明りの深夜、見えないだけだ。
ベルイット砦は、二重に包囲されている。
いま、砦の城壁に取りついている妖魔どもは、オトリだ。本命の大群は、離れた位置に、複数隊に分けて、砦を囲むように、伏せられている。ギルク伯爵は、城門を開き、打って出る判断を下したが、無謀に過ぎた。
城門を開けば、ただちにそこは地獄だ。
ギルク伯爵も城兵も、砦が持ちこたえている間に、打って出れば、勝機があると勘違いしていた。それこそ、敵が月のない深夜に仕掛けてきた意味だ。
しかし、奴隷の身分としては、意見は無駄だろう。
さらに、この状況は、俺とフィアにとって、ギルク伯爵から逃れられる千歳一遇のチャンスだ。
フィアの傍らに寄り添い、俺はフィアをどう守るか? それだけを考えるのだ。
◇ ◇
打ち鳴らされる
「出でよ! 討ち出せ!」
馬に跨るギルク伯爵が、号令をかけた。
「「うおおっ!」」
城兵たちの声が応えた。
「奴隷兵どもよ、雄々しく戦え! 武勲を立てた者には褒美を与える。自由を与えても良い!」
ギルク伯爵が、最前列にいる奴隷兵たちをけしかけた。
俺とフィアには、関係ないことは先刻承知だ。
俺たちは金で買われた奴隷ではない。王都の命令で、ギルク伯爵に預けられた特別な奴隷だ。
「フィア、城門から出たらすぐ、俺の陰で伏せろ」
俺は、フィアにそう伝えた。
小さな白銀の髪の少女は、緊張した面持ちで「うん」とうなずいた。
◇ ◇
松明を手に奴隷兵たちが駆け出した。
後ろから抜刀した城兵が、俺たち奴隷兵を追い立てる。
俺とフィアも駆け出した。俺の耳は漆黒の闇から飛来する無数の矢羽根の風切り音を捉えていた。
フィアを抱きしめて、地面に伏せる。
松明を手に門から出てきた奴隷兵は、良い的に過ぎなかった。
全身にハリネズミの如く矢を浴び、血煙を吹きあげてバタバタと倒れていく。
100人の奴隷兵など、あっという間だ。
フィアが俺の毛皮にしがみ付き、ぎゅと身を強張らせているのがわかる。
だが、いつまでも伏せているわけにはいかない。
俺の獣人の耳は、地面を伝う多数の足音を聞いていた。
どうする?
考えろ、フィアと生き残るために、最も可能性のあることは何か?
「フィア、光の魔法、使えるか?」
「はい」
腕の中に包んだ小さな少女が応える。
「閃光の魔法を、可能な限り空高くへ打ちあげてほしい。できるなら、複数を」
「はい」
「それと、光の魔法を使うと必ず敵に狙われる。全力で移動するから、俺にしがみ付いてくれ」
クォータエルフのフィアの魔法力は、相当なもの。高位魔法こそ使えないが、魔力貯留量は人間の比ではない。
まだ事態をわかっていないギルク伯爵と城兵たちが門を潜り、城門前に半円形に展開した。方形盾を並べ、長槍を構える。敵が見えない以上、無防備に横隊陣を組む愚は犯していないが、しかし、敵との戦力差をまるで理解していない。
気持ちは乗らないが、妖魔の大群に襲われた辺境領で、俺たちが生き伸びるために、ギルク伯爵と城兵には、まだ生き残ってもらう必要がある。
全滅するのは、もう少し先にしてもらいたい。
俺たちが逃げ延びるまで、妖魔の軍勢をこの砦に引き付けて、妖魔を足止めしてほしい。
いま、一瞬で全滅されたら、俺とフィアまでもが、妖魔の大群に包囲殲滅される。
俺たちが生き残るために、ぜひとも隙が必要なんだ。
「フィア!」
俺の合図とともに、フィアが両手を星空へ振りあげた。
〈白銀よ、白き焔よ、我が祈りに応えよ!〉
氷水のように澄んだフィアの声が、地獄と化した闇夜に響く。
光弾が砦の上空へ打ちあがる。
数は5つ。
とたん、闇夜が打ち払われ、砦に群がる数千の黒い骸骨兵の群れを照らし出した。そう、この漆黒の骸骨兵団が妖魔の本隊だ。砦に取り付いていたのは、オトリに過ぎない。
俺は、フィアを横抱きに、駆け出した。もう、後ろを振り返る必要はない。
「何だ、これは!?」
「こんな大群が砦に押し寄せていたのか!」
「戻れ! 総員、撤退!」
「戻れ! 城の中へ駆けよ!」
ギルク伯爵は、照らし出された地獄の光景に、事態を把握した。フィアの打ちあげた魔法光弾は、漆黒の闇の底を明るく照らし出していた。
ギルク伯爵は、馬を翻して叫んでいた。
まさに、自分たちの命が、惨劇のるつぼに投げ入れられる寸前だったと、気づいたのだ。
作戦を看破されたことを悟った妖魔側も、ただちに反応した。
地面を這い寄り、じりじりと距離を詰めていた黒き骸骨兵の群れが、津波に変わる。数千体の黒き骸骨が、一斉に抜刀し、城門へと殺到した。
生き残っていた奴隷兵たちが、撤退も間に合わぬまま、骸骨兵に囲まれ、次々と切り伏せられていった。
ギルク伯爵と城兵たちが、かろうじて逃げ込み、城門が閉ざされた。城兵たちが投げ捨てた方形盾が地面に転がり、黒き骸骨兵の群れに踏みにじられた。
黒き骸骨兵たちは、砦に押し寄せた。
城門に無数の火矢が浴びせられた。
俺は、フィアを抱いたまま走った。
フィアの星弾はすべて虚空の中で燃え尽きていた。
再び、辺りを漆黒の暗闇が襲う。
だが、星弾が照らすわずかな時間でも、俺には脱出ルートが見えていた。
その後は、獣人の目と耳を頼りに暗闇を駆けた。
森の奥深くまで全力疾走を続けた。
俺の腕は、フィアを抱き続けていた。
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