第7話 妖魔が襲来した闇夜
星歴899年 11月19日 午前2時15分
ベルイット辺境領 守備砦 地下牢
俺の獣人の耳が、ピクリとそばだつ。
「フィア、起きろ」
毛布すら与えられず眠るには、地下牢は冷えすぎる。
獣人の俺はまだ平気だが、フィアはそうはいかない。そう、城館で手当てと着替えを済ませたフィアは、やはり自ら希望して、俺の地下牢にいる。
獣人姿の俺は、眠るフィアをしっぽの毛に包んでいた。
「あ……」
俺のしっぽを抱き枕にしていたフィアが、目覚めて、何も見えない暗闇で身を起こした。フィアの白銀の髪が揺れる。フィアが何も見えないまま周囲を見回している。
「何か、遠くで音が聞こえます」
クォータエルフのフィアは、耳が聡い。
だが、俺は、言葉を選んだ。不必要にフィアを驚かせたくない。
「これは、砦に敵が近づいているようだ」
獣人の俺にはわかる。オオカミ系獣人の俺は、フィアよりもさらに優れた聴覚を持っていた。
すでに砦は包囲されている。小競り合いが始まり、城兵が敵の大群に押されている。だが、さらにその外側に、多数の妖魔らしい気配が忍び寄っている。
おそらく、間もなく、ギルク伯爵がここへくるはずだ。俺は、ゆっくりと立ち上がり、フィアに作戦をささやいた。
◇ ◇
星歴899年 11月19日 午前2時30分
ベルイット辺境領 守備砦 地下牢
俺の予想どおり、ギルク伯爵が城兵を数名、引き連れ地下牢にきた。俺たちも妖魔との戦いに参戦させるつもりだ。
「妖魔の群れが、夜襲を仕掛けてきた。この砦はベルイット辺境領、ひいては王国を守る重要な拠点だ。落されることは許されない。おまえたちも戦いに参加させる」
フィアが立ちあがり、俺はこの小さな少女の足元に伏せた。恭順を示すフリをするためだ。俺たちは、予め打ち合わせたとおりにした。
「かしこまりました。いまは…… アーセルト王国のため、力を尽くします」
ギルク伯爵が、満足そうにうなずく。困難な戦いの夜になるという高揚感が、ギルク伯爵を高ぶらせている。軍人とはそういうものだ。予想どおりだ。
「どうか、満足に戦えるよう、充分な装備を貸し与えください」
フィアが、ギルク伯爵の前に跪いた。
むうとギルク伯爵が唸る。
だが、こうしている間にも砦の周囲からは、喧騒が聞こえてくる。城兵が苦戦し、手をこまねいていたら確実に砦は陥落する。
「よかろう。ただし、おまえたちは奴隷であることを忘れるな」
ギルク伯爵は凄んだ。フィアは恭しく頭を下げた。
すぐに装備と武器が運ばれてきた。
ギルク伯爵が城兵を伴って現れた時点で、フィアに言われなくとも、俺たちを戦いに加えるには、充分な装備を与える必要を理解していたはずだ。
フィアと俺が、虐待された恨みを押し殺して恭順に徹したのは、この危機的な状況に放り出されるに際して、可能な限り上質な装備を手にしたかったからだ。
俺に与えられたのは、簡素な防具一式と巨大な魔導戦斧。
魔導戦斧は全体に防御呪文が刻印され、幅広い刃面は盾の役割を兼ねる。頑強な獣人の体には、防具は最小限で良い。
クォータエルフのフィアには、騎士服に合わせた革製の防具と、レイピアが与えられた。防具といっても胸元を守る程度の簡素なものだ。細身のクォータエルフであるフィアに、装備可能な重量は限られている。
俺の鎖は外された。
しかし、ふたりとも、奴隷であることの象徴でもある首輪は残される。
「おそらく乱戦になる。経験値稼ぎの鍛錬と異なり、フィアだけを安全な場所に保護することはできない。フィアを守れ、いいな」
「言われなくとも!」
ギルク伯爵は、どんなにブタ野郎でも軍人だ。ここまでの判断は正しい。
ベルイット砦に来て以来、俺は、勇者王太子の複アカとして、何度も妖魔との戦いを強いられてきた。俺は、王宮の特命で、ギルク伯爵に預けられた特別な獣人奴隷だ。だから、極限まで無理な戦いを強いるが、ギリギリで死なないように管理されていた。
俺ひとりが、多数の魔導生物の群れの中に投げ込まれて、戦った。
ギルク伯爵は、フィアを伴い、離れた位置から、俺が孤軍奮戦する有様を眺めていたのだ。フィアは泣きそうだったが、兵士を引き連れたギルク伯爵が、つねにそばに付き添っていた。督戦される気分は最低だが、少なくとも戦いには集中できた。
だが、今夜はわけが違う。
オオカミ系獣人の耳を持つ俺だけが、気づいていた。
砦の城兵と戦う妖魔の群れだけでも十分な大軍だが、さらに離れた位置から、妖魔の大軍団が包囲している。大群のうごめく足音が無数に感じ取れた。
このベルイット砦は、妖魔の二重包囲の真ん中に置かれているのだ。
「妖魔は稀にみる大軍だ。おまえも全力で戦え」
俺に手渡された魔装戦斧は、特別製だった。普段のなまくらな粗雑品の斧とは違う。ギルク伯爵は、自身の武器コレクションから、俺に見合う武器を見繕ったのだ。
妖魔軍は圧倒的な大軍を揃えていた。ベルイット辺境領を守るギルク騎士団は、今夜、壊滅するかも知れない。ギルク伯爵は、まだ、敵妖魔の全容を把握できてはいない。だが、軍人としての嗅覚で判断した。
所有する武器で、最も強力なモノを俺に与えたのだ。
「俺も全力で戦う。おまえも生き残れ。いいな」
ギルク伯爵が、異様な高揚感に囚われている。殺戮をたしなむブタ獣人は、生命の危機を感じ取って、倒錯した悦楽に浸っていた。
俺は、どんなことがあっても、フィアを守る。それだけは心に誓っていた。
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