第10話 誘惑

「てか、今冷静になって考えんと、エリカと同じ部屋ってなんか嫌な感じだな」

「は?こっちのセリフですが?」

「でも精にぶっ殺されるよりはましか……」

「そうそう。どうせ食べて寝るだけの宿なんだし、気ぃ使わなくてもいいのになぁ」


 ガランさんは能天気に笑うと、少し大きめのサングラスをたたんでポケットに突っ込んだ。


「ガランさん、何があっても知りませんよ……このことがバレたらわたしファンに刺されますからね、わたしの人生そこで終了ですよ」

「そんな大げさなぁ、こんなとこまで来る人なんて冒険家くらいしかおらんよ」


 ガランさん、自分の存在が他にどんな影響を与えるかくらいは考えてくれ……と切に願いながら歩いていると、ほのかに灯りが見えてきた。

 見た感じあまり大きな建物ではなく、ホテルというより民宿、と言った感じだ。


「おっ、もしかしてあれか!」

「そ。全国展開しとる大層なホテルよりも、こういうこぢんまりしたあったかいとこが好きなんよね。さ、寒いし早く行こか」


 建物に駆け足で向かうネクターに、ガランさんはまるで母親のように「足元悪いから気をつけんと転ぶぞー」と忠告した。


「お二人さんもネクターにおいてかれんようにせんとな」


 淡々と歩いていたわたしとエリカに振り返ってニカッと笑うと、ガランさんもネクターに続いてホテルに向かった。


「……エリカさん、ガランさんと知り合いだったんですか?」

「知り合い、と言えばそうなります。まぁ、本当に存在を知っているだけの関係だと思っていましたがね。相手はどうやら思うことがあるようで」


 エリカは先ほどの一連の流れを思い出したようで、気まずそうに苦笑した。


「私は正直怖かったんです。あの人に何を言われるのか、どう責め立てられるのか。私のことを覚えていない可能性も大いにあったので、名前を呼ばれた時は覚悟しましたよ。過去を掘り起こされて打ちのめされてしまうのだろう、と」

「その結果がアレ、ですか」


 だいぶ嫌味になってしまった。


「…………忘れてください。私はそういう気は全くありませんので、問い詰めるならあの人で」

「ごめんなさい、問い詰める気はないので大丈夫です」


 ため息混じりの陰った声でエリカは言う。


「とりあえず、具体的な話は明日に持ち越しですね」



 ホテルの中は意外に明るく、設備もきちんとしていた。白く清潔感のある床のタイルに自分の顔が映る。


 ロビーにはたくさんの観葉植物が植えられていて、入って左手に受付、正面にエレベーターが見える。奥の方には食堂らしきものもあった。


「遅くなってごめんな、二部屋空いとる?いっちばん安いところで構わんけど」


 ガランさんが早速話を進めてくれている。本当に芸能人ってすごいなぁとつくづく実感する。


 受付の人はガランさんなのかそっくりさんなのかで混乱しているようだった。そうだよなぁ、本当だったらそれはもう大変だもんなぁ……。本物だけど。


「フェリシア、ここ結構いいとこなんじゃねぇか?」

「ね、荒地に立ってる割には普通のホテルだよね」

「ぜってぇ飯もうめぇって!楽しみだな!」


 ネクターは食堂の方を見てガッツポーズをした。散々待ちわびてきた食事だ。喜びようには納得する。


「少しは声を抑えろ。もう日が暮れてから何時間経っていると思ってる」


 エリカがネクターを凍てつく視線で見る。


「……コイツ」


「おーい、二部屋取ってきたぞー。二階の三十五番と三十六番のとこなー」


 エリカにとっかかりそうになったネクターの前にガランさんが戻ってきた。


「おっ、ありがとだぜ!」

「そうな、みんなガラ姉に感謝するんよ」


 ガランさんはフフンと誇らしげに笑うと、二つある部屋の鍵の片方をエリカに渡した。


「これは三十五番のとこの鍵な。ガラ姉とフェリシアは三十六番だから、ちょうどお向かいさんになるんね」

「はぁ……そうですか」

「なに、ガラ姉に恨みでもあるんなら言ってみ。ガラ姉自分を認められん人間じゃないもんで」

「……いや、恨みとかそういうことではっ」


 エリカはその場から逃げ出すかのようにネクターの首元を鷲掴みにすると、ズカズカとエレベーターに向かって行った。


「おい!お前、どこ行く気だよ!もうちょっとフェリシアたちと話したかったのに!」

「黙れ。いつまでもあんなところにいては頭がおかしくなりそうだ。サヴェンティアリ様を裏切るようでもどかしくはあるが仕方ない」

「はぁ!?ガランさんいい人だろ!何避けてんだよ、もしかして照れてんのか?」

「そんなわけがないだろう?!」


 騒がしい口喧嘩は、エレベーターの扉が閉まると同時に吸い込まれるように消えていった。


 何人かネクターとエリカのことをヒソヒソと話す人が見受けられる。


「……エリカ、なんか変わったよなぁ」


 ああ、そうだ。エリカからは結局聞くことができなかったこと。ガランさんなら話してくれるかもしれない。


「ガランさんとエリカさんって、どういう関係なんですか?さっきエリカさんにも聞いたんですけど、はっきり言ってくれなくて」


 ガランさんは少しだけ目尻をつり上げると、軽く言い放った。


「んー……。同級生かな」

「えっ、同級生ですか?!」


 自分の予想以上に大きな声が出てしまった。


「そうなんよ。エリカとガラ姉、中学の同級生。一年だけおんなじクラスだったんよね」

「二人が中学行ってる想像つかないです……」

「そう。エリカも、そしてガラ姉も……世間一般の普通じゃなかったんね、きっと」


 ほんの少し声のトーンを下げた。


「……さーてっ、うじうじしててもなんにも変わらんね!部屋行こな!」

「あ、はいっ!」

「ハハ、そんな気張らなくてもいいんよ。ガラ姉なぁ、体冷えてるからお風呂入りたいんよ。いつもよりちょっと熱めのな」

「全然入っちゃって下さい!わたしシャワーで充分ですから!」


 ガランさんはキーチェーンをくるくる回しながら部屋に向かった。また思い出したけど、もしこれがファンにバレたなら……。あぁ、おそろしい。ファンはわたしが思っている以上に強力に違いない。



「はぁぁぁーっ、ベッドだぁぁ」


 部屋に入るなり、ガランさんは毛布の海に飛び込んだ。


「ガラ姉、ほんとにあの時バカでよく考えてなかったけど、男子二人組いなくてよかった思ったわ」

「あ、はい、まぁそれは……」

「だって男はエッチだもん。なっ」


 小悪魔のようにイタズラっぽく微笑むガランさんは、わたしの心をも奪おうとする。


「本当にいなくてよかったですよ」


 これは心からの本音である。


「でもエリカはいい大人だし、ネクターもそんな人じゃないだろうし。どっちかというと食べ物の方が興味ありそうな感じ。だから大丈夫だったんかな」

「そうかもしれないですけど、やっぱり隔離しておかないと危ないです」

「隔離て。フェリシアもなかなか毒舌なんね」


 ベッドの上でゴロゴロするガランさんを見ていると、これが現実なのか頭がおかしくなってくる。


 ましてや自分の名前が呼ばれているだなんて、幸せな夢の中にでもいるのだろうか。


 ガランさんと目が合う。その度に目元を緩ませて笑いかけてくれる。

 あぁ、この世に必要な人ってこういう人なんだ、となんとなくだけど思った。浅はかなことかもしれないけど、ガランさんはいい人だ。


「よし。ハゼイにも出てきてもらおっか」


 ゴロゴロしていた反動で起き上がると、どこからともなく先ほどの精、ハゼイが現れた。


「リフッ」

「今日も頑張ったなぁ、ハゼイ。新しい仲間にも会えたしなぁ。……でもな、あともう少しだけ頑張ってもらわんといかんの」


 忠犬のように礼儀正しく座るハゼイの顔に自身の額を触れさせると、ガランさんは今までよりもさらにハスキーな声でささやいた。


「フリィ……?」


 ハゼイが不安そうに鳴く。


「ここはガラ姉たちを襲う強い精が出ることがあるんよ。だから、ハゼイの力を借りたいと思って。フェリシアが襲われたら、ハゼイが守ってあげてほしいんよ。ガラ姉よりフェリシアだからな、そこは間違わんといて」


 ハゼイは何か反論したげだったが、ガランさんの鋭くも甘い眼差しに見つめられ、コクンと頷いた。


「フリッ!リイイッ!」

「……いい子」


 いつもの親しみやすい笑みではなかった。ハゼイの主人としての威厳があり、どこか誘惑されてしまうような表情。


「フェリシア、これでハゼイは命をかけて君を太刀打ちできない精から守る。だから、心配せんといて」

「あ、ありがとうございます、だけど、いいんですか?ガランさんが最優先じゃ……」

「ガラ姉はガラ姉だから、みんなの命を最優先にしないといけんの。そもそも、年下のフェリシアほっぽって逃げるなんてできないしな」

「フリィ!」


 木枯らしに似た声だった。


「大丈夫。ハゼイはガラ姉の自慢の精だから」






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