第2話 ネクター

 もし本当にこの叫び声が『復讐の精』のものならば、わたしはとうとう死んでしまうかもしれない。世間一般の認識だ。「『復讐の精』は恐ろしいもの」「化け物」「殺すべきもの」「人類の敵」……。いいことは聞いたことがない。わたしが食われるっていうのはあながち間違っていなかったのだろうか。でも何でよりによってわたしが?わたしは何か悪いことをした?それともパパと関係しているのか?たとえそうでもわたしが食い殺される筋合いはないじゃん?!

 その時。

「フェリシア、ネクター君が来たわ。玄関で待ってるから降りてきて」

 少し遠慮がちな声が下から聞こえた。ママの命令に従うようで癪だけど、ネクターを待たせるのは良心が咎める。

「分かったー。今行くから」

 今はパニック状態でネクターと平和にお喋りしている場合じゃないけど……。そんなことを頭の中でぐるぐる巡らせながら、早足で階段を駆けおりた。あの癒し系キャラのネクターが『復讐の精』について詳しく知ってるとは思えないし。

 渋々玄関の重たいドアを開ける。

「おー、フェリシア!元気してたか?急に来ちゃってごめんな」

 そこには、いつもと変わらない明るさ百二十パーセントのネクターがいた。いいのか悪いのか分からないけど、とにかく純粋で、話しているだけで癒されてしまう。しかしそれはわたし個人の意見であって、ネクター本人は男としてモテたいと思っているらしい。その夢は応援するけど、わたしは心が和む友達として付き合っていきたいと思っている。親密な関係になればなるほど、一緒にいて楽しいと思えるほど、嫌になっていって全部壊れてしまうのはよく知っているから。

「ううん、全然大丈夫。なんかあったの?」

 わたしが訊くと、ネクターは分かりやすく顔をしかめた。

「それがな……。そんなに軽い話じゃないんだな。ここで話すのも体冷えるだけだし、俺の家来てくれねぇかな」

 珍しい。湿っぽい話だったり、真剣な話はあまりしないのに。

「いいよ。行こう」

 でも、そんなことを気にしている場合じゃない。逆に、ネクターの話を聞けば『復讐の精』について聞き出せるかもしれない。その可能性はゼロに等しいけれども、一筋の希望であってもすがりたい。

「ありがとなっ!俺ん家だからってかしこまんなくていいからな!じゃ、行こうぜ!」

 腹から声を出して、ネクターは先に小走りで去ってしまった。どうやったらそのテンションを保てるのかいよいよ不思議になってきた。まぁ、生まれ持った才能のようなものなんだろうけど。

 わたしはあまり無駄な体力を使いたくないからゆっくり歩いた。家が近いんだから走ったって歩いたって同じようなものだ。

 外に出て真っ先に思ったことは、「寒い」ということ。最近はめっぽう寒くなった。ここら辺はあまり雪が降る地域ではないものの、今年は降ってもおかしくないだろう。いつかの朝露は霜になっていた。

「フェリシア、車来てるぞ!早くこっち!」

「あっ、ごめん」

 車道のど真ん中をのろのろ歩いていたことに気づかなかったのは、きっと集中していなかったから。『復讐の精』のことで頭がいっぱいなんだ。

 駆け足でネクターの家にあがった。

「で、肝心の話なんだけどな。……。俺たちの大切な人が、『復讐の精』に殺されたってことが分かった」

「…………!?」

 家にあがって唐突に言われたものだから理解ができなかった。

「え?大切な人って、」

「フェリシアも知ってるヤツだと思うな……」

 わたしがうろたえているのに対し、ネクターはひどく冷静だ。

「ねぇ、それって本当なの?というか誰が?嘘言ってるの?」

「嘘つく必要ないだろ。今話してることは全部ホントのことだ。……俺はもうこのことを呑み込んでるし、仕方ないことだと思ってる。世界の均衡は犠牲なしに成り立つものじゃないことは分かってるしな」

「そうなんだろうけどさ、考えてみてよ?知ってる人が急にいなくなっちゃうのって耐えられないじゃん?普通。ネクターは悲しくないの?辛くないの?なんでそんなに冷静なの?」

「フェリシア」

 わたしの名前を冷たく呼ばれて心なしか背筋が伸びた。

「俺、言った。人が死ぬってことは世界のためなら仕方ないことだと思うし、何かが犠牲になるってことは日常茶飯事なんだ。それが、たまたまその人だっただけ……。人一人の犠牲と、世界の平和、どっちが大事だよ?」

 言われないでもわかってはいる。そう言われたらわたしも世界の平和を選ぶだろう。だけど、その選択をなんのためらいもなくできるだろうか?

「ごめん。話遮っちゃった。続き話して」

「わかった。その人は、その人の名前は」

 ネクターからきかされたその人の名前は、遠い昔に聞いた気がした、懐かしい響きだった。いつ聞いたかなんて覚えていない。だけど、わたしの記憶に知らず知らずのうちに焼き付けられていた。

「アスター・サヴェンティアリ」

「……。サヴェンティアリって、わたしの苗字」

 わたしの名前はフェリシア・サヴェンティアリ。お父さんの方の苗字だ。

「そうだな。だからフェリシアに声をかけた。殺されたって言っても、つい最近のことじゃない。俺たちがまだ三歳くらいの時だ。何となく記憶にはあるだろ」

「うん、大雑把には。優しい人だったから」

 確か、家の近くの公園の花畑で初めて出会った。あまたの花の中に消えてしまいそうな人だった。何と言えばいいのか、適当な言葉が見つからないけど、この世の全ての生き物と話をしているように見えた。花とも、セミとも、ウサギとも。もしかしたら、精の考えていることもわかったのかもしれない。ちょっと不思議な人だったけど、わたしたちにはいつも優しかった。公園にネクターと一緒に行けば遊んでくれたし、珍しい花の種類も教えてくれた。あの時はまだまだ小さかったから、気が向いたときに遊びたいだけ遊んでいただけなのだが、幼稚な頭でもアスターの人間性には無意識に憧れていたんだと思う。

 そんな人が、殺されるって……。

「じゃあなおさら殺される理由が分からない。そしてこの事実を受け入れられているネクターも正直よく分からないし、失礼なこと言うけど、怖い」

 ネクターは表情を変えなかった。そのまま続ける。

「怖いなら、それでいい。しつこいようだけど、この世界に犠牲はつきものだ。それは俺も重々承知している。だけど、最近は『復讐の精』のせいで無駄な犠牲が増えてるって思ってるんだ」

「そう、わたしも今同じこと考えてた。その……『復讐の精』って、最近暴れ出したの?」

「最近、といえばそうなのかもな。十何年前?くらいから今みたいにやたらめったらに人を殺すようになったらしい。でも、本来はそんな狂ってるヤツじゃなかったんだ」

 わたしは一応『復讐の精』の話題になったからのっているだけであって、詳しく知っているわけではない。だから、食い殺されないためにもネクターの話をよく聞いておかなくては。

 そう思って、熱心に耳を傾ける。

「そうなの?その話聞かせてくれない?」

「ああ。その話をしに来てるからな。……この世界の均衡は、『復讐の精』と『祝福の精』によって保たれているっていうのは聞いたことある話だろ?人間からすれば、『復讐の精』は犠牲を生み出すばかりだし、関わっていいことは何一つないから、忌み嫌われる存在だ。逆に『祝福の精』はいろいろなことを恵んでくれるから崇めるべき存在、素晴らしいものだという認識だ。まぁ、これも今更って感じだよな。でも、ここ最近は本当にヤバい。何があったかはよく分かんないけど、『復讐の精』が暴れだした。そんで、均衡が崩れた。『復讐の精』と『祝福の精』はそれぞれを支え合って、抑えあって存在しているらしいけど、もう統御できないくらいに『復讐の精』が狂っちまってる。それが今の現状だ」

「そんな……」

『復讐の精』はわたしのパパも殺して、アスターも殺したのか。気が動転しているんだ。ネクター理論だと仕方ないことなのかもしれないけど、わたしもそう思いたいけど、それは無理だ。多分いつまでも。

「それで、ネクターがわたしに伝えたいことは何?わたしに何かしてほしいの?それともアスターが死んだのが分かったから報告したかっただけ?」

「俺は……」

 ネクターはそこで言葉を呑み込むと、そっぽを向いて深呼吸をした。

 鋭い目つきで、言う。

「『復讐の精』の脅威から、みんなを救いたい」

 もう一度息を吸って、吐いて、続ける。

「これ以上無駄な犠牲を増やしたくないんだ。ある程度の免れない犠牲はあると思う。だけど、それ以上に被害が出て世界の平和が脅かされるのは絶対にダメだ。まだ計画だってないし、俺たちがどうこうして解決する問題じゃないかもしれない。だけど、やらないでいる間にどれほどの犠牲が出るのかって、そう考えたらグズグズしてる暇なんてないよなって思ってさ」

 ネクターが、わたしを見ていた。その目は、ただ人々を救いたい、そんな決意がにじみ出ているような気がした。

「この、無謀な理想に付き合ってくれる人を探してたんだ。真っ先に考えついたのがフェリシアだった。ごめんな、俺の勝手でこんな話しちゃって。だけど、これは俺の本気だからな。冗談じゃない」

 分かってるよ、ネクターが勇気振り絞って話してるってこと。こんな表情見たことなかったから。いつもヘラヘラしてるだけのヤツじゃないって、知ってるから。

「ネクター」

 この話に乗れば何もかもうまくいくわけじゃないけど、今までみたいに少しかじっただけでやめてしまうかもしれないけど、わたしは何も変わらないかもしれないけど……。

 この退屈で窮屈で罪悪感に満ちた日常からは解放されるかもしれない。しかも、わたしは『復讐の精』だと思われる叫び声を聞いている。このままいつも通りに過ごしていればわたしもパパやアスターみたいに殺されて終わりなんだろう。

 せめて、悪あがきくらいさせてほしい。

「その話、のってあげる」

 握り拳を真っ直ぐに突き出した。その手が何を掴むかなんてわかりやしないけど、わたしは知ってみたかった。この世界を、そして、この世界に生きる『精』のことを。

 願わくば尋ねたい。

「どうしてパパとアスターを殺したの」と。

 そして、今までのわたしを殺したい。罪悪感に浸る人生なんてつまらない。でも普通に、無難に生きるのもつまらない。

 わたしは冒険家の子供だ。これぐらい、やってやる。

『復讐の精』に伝えてあげる。

 一人じゃない、と。






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