雪辱の空に注ぐ星
@tyuiaipabunabaromeniefie
第1話 叫び声
「化け物」「コイツは殺してしまえ」「人類の敵だ」……。そんな言葉ばかり投げかけられてきた『復讐の精』がいた。
「私たちを導いてくれる」「一緒にいると楽しい!」「この世界にはあなたが必要だ」……。人間の心身の支えになってきた 『祝福の精』がいた。
ふたりはこの世界の均衡を保っている。味気ない人生になることのないよう、人々の醜い復讐の感情が行き過ぎることのないよう。
*雪辱の空に注ぐ星*
私はただ普通に過ごせればよかった。普通に勉強して、普通にご飯を食べて、普通にそこそこの幸せを手に入れられればそれで。たいした特技もありゃしないし、背伸びをしようとすら思わない。端から見たらどうしようも無いクソ人間になるだろう。それももうどうでもいいことだった。いろんな理由があるんだろうけど、その一つはパパが死んだことなのかもしれない。パパが死んだ理由を聞いて、トドメを刺されたような気がする。
それなのに、何でこんなことに……。
「ママー、ポテチ持ってきてー」
自分の部屋から動画を見ながらそう言った。これはありきたりで取るに足らないいつもの風景だ。もうママも慣れきってしまって「自立しなさい」だとか「もう高校生になるんだよ?」だとかは言わなくなっていた。ママ自身も仕方ないと思っているに違いない。それか、わたしを改心させることはできないと割り切ったのか。
私の部屋は二階で、リビングは一階。ママの階段を登る足音がだんだん大きくなる。私の中の重りもどんどん重さを増していく。
パパは殺された。『復讐の精』に。
「フェリシア、入るよ」
ママの声と、ドアをノックする音が聞こえた、その時。
ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァ!
どこからともなく黒板を引っ掻いたような叫び声が聞こえた。
「……っ?!」
鼓膜がぶち破られる気しかしなかったので、考えるよりも先に耳を塞いでうずくまった。
「どこからこんな……」
探りたいけど、一歩でも動いたら危ない何かに触れてしまいそうで怖い。今化け物の巨躯が目の前にあるわけでもないのに、腹の奥が鷲掴みにされているようだ。こんな感覚、今まで経験したことがない。とりあえず埃をかぶった勉強机の下に隠れて、息を殺した。化け物が来てもわたしに気づかないように出来るだけ体を小さくした。それでも食われる可能性の方が高いわけだから、最後に見る景色が化け物の口じゃあまりにも悲惨だと思って目を閉じた。これで食われても大丈夫だ、と、どこから湧いてきたのかわからない自信をつけた。そうでもしなきゃこの状況を乗り切れないだろう。
お願い、化け物なんて来ないで。わたしの肉は美味しくないし、食べるところも少ない。お願い、お願い、お願い……。神様仏様わたしを救ってください……。
…
……
………
…………
……………
化け物が来ない?こんなに身構えたのに?いや、これはハッタリで、油断したところを襲う作戦かもしれない。きっとそうだ。もう少し大人しくしておいた方がいい。
………………
…………………
……………………
化け物はいつまで経ってもこない。やっぱりわたしの被害妄想だったんじゃなかろうか。そもそも叫び声=食われると考えること自体がおかしい。
当たり前のようだけど、わたしが声も出さずにじっとしていれば沈黙が訪れる。化け物はいないし、ここにいる人だってわたしだけだし。……?
あれ?さっき確かにママの足音が聞こえて、それでノックが聞こえた後に叫び声が。
ママは?
「ママ!?さっきのって」
嫌な予感がして、ママがいたであろうドアを開いた。ママが食われていたらわたしは今度こそ全てを失う。
「どうしたの、フェリシア。そんなに慌てて」
しかし、ママはいつものようにそこに立っていた。逆に恐ろしくなるほど平然としていて、さっきの出来事が嘘か現実か訳がわからなくなる。絶対わたしは叫び声を聞いた。ママにも聞こえたはずだ。あんな爆音だったんだから。
「どうしたのって、聞こえなかったの?さっきの」
「え?さっきのって何のこと?大きな音は聞こえなかったけど」
「……え?」
ママが嘘をついているそぶりもない。でもあれが聞こえないというのは信じがたい。
「誰かの、いや、何かの叫び声みたいなの。耳壊れるかと思ったよ、それがママには聞こえてないっておかしいでしょ?」
「私は洗濯が終わったところだったから少し一階に戻ってたけど、その時じゃないの?本当に何もなかったと思うけど」
ママがあの時わたしの部屋に入って来なかったのはそれが理由なのか。モヤモヤしていたことが一つ分かった。でも、でも!
「本当に?いや本当なんだろうけど、ほんと……。意味わかんないよ」
「そう言われたって私には何も聞こえなかったってことしか言えないの!」
「いや……」
面倒で不可思議な口論に発展しそうな雰囲気だったが、それをかき消すようにまたあの叫び声が聞こえた。
ギャァァァァァァッ ガァァァッ
ほんとこの声、耳に突き刺さる。嫌がらせだったら悪質すぎるだろう。
「ほら、今聞こえたでしょ。どこからかはわからないけどすごい声。何かの鳴き声だと思うんだけど」
今度こそはママも認めてくれるだろうという自信があった。わたしと向かい合っているのだから、聞こえない理由がない。
なのに。
「だから本当にどうしたのフェリシア。悩んでることとかあるの?」
ママの考えは空回りして、とうとうわたしがどうかしているんじゃないかと疑いだした。無理はないのは分かっている。でも、わたしのことを信じてはくれないのだと落胆したし、その行動を引き起こしている自分自身に腹がたった。
「……幻聴とか、そういうのじゃなくてさ。悩みなんてあると思う?毎日ぐうたらして幸せ三昧だよ。わたしは普通。幻を見て聞いてるわけじゃない」
でも、聞こえる。ここまで来たらもうそういうものだと思うほかない。わたしには聞こえて、ママには聞こえないもの。これ以上話を複雑にしたくない。無駄なことに労力を費やしても時間が刻々と過ぎていくだけだ。仕方ない。
「ごめんママ、変なことばっかり話しちゃって。わたしちょっと疲れてるみたい。寝るから戻ってて」
急に話を切ったわたしを不審に思ったのか、ママはベッドに向かうわたしを引き留めた。
「何があったの。私に話せないようなことなの?変なところで話やめられたら困るでしょう」
「そんな大事な話でもないから、もう大丈夫だよ。ママもいろいろやることあるでしょ。こんなことに時間使ってる暇ないじゃん」
「こんなことって、これまで一度もなかったじゃない。フェリシアが悩んでいるんなら相談に乗るし、私にできることがあるんだったら手伝うこともできるの。まずはフェリシアにあったことを知らないといけないでしょう?だから聞いてるの」
「もういいって」
「良くない」
「もういいって!」
くどいママを無理矢理部屋から追い出して、ドアを乱暴に閉めて、すぐさま鍵をかけた。どこかの金具が音を立てていたが、それを気にする余裕は無い。
もういい、と強がって言ったものの、あの声は不気味だ。ママだけが聞こえないんじゃなくて、わたしだけ聞こえていたんだったら縋る人はいなくなる。これで収まってくれればいいけど、それはないだろう。声の出どころはまずどこなんだか……。大きな音が出るものなんて部屋の中にあったかな?
ギャァァァァァァァァァァァァァァァァ!!
「うわっ!!……もうほんとにやめて……」
最初聞いた時よりは慣れたものの、相変わらず驚かされる。考えるんだ、わたし。できる限り耳を澄まして、叫び声の聞こえる方にあるものから原因を探し出すんだ。
グルルルルルルッ! ガァァァッ!!
目を閉じて音に集中する。音が大きすぎて定かじゃないけど、私の机の方から聞こえているような……?
早速机の上を覗く。乱雑に置かれたままの教科書類に、ところどころ散らばった筆記用具。ノートの間に挟まっているものもある。埃に消しカスだらけだけど、やはり音が出そうなものは見つからない。
そこで、机の上にそびえている棚に目を移した。沢山の教科書がぎっしりと詰まっている。今のわたしはスマホにパソコン漬けだけど、過去のわたしは違った。塾に通って、毎日狂ったように勉強した。その証がこの棚だ。分厚い夏期講習テキストの横にぼろぼろのノートが何冊も並んでいる。このテキストを隅から隅までやったんだと思うと、落ちるところまで落ちたんだと実感する。
そして、その横には、存在すら忘れて去られていたとあるものが物悲しくフックにかけられていた。
丸いペンダント。
そうだ。パパから小さい頃にもらったもの。これを見ると強烈な虚しさに襲われるから、普段は目につかないところにかけてあった。よくよく見てみると、わたしが思っていたほど古くはないものだ。何百年も前から伝承されているものだとばかり。だけど、ペンダントの表面は黒くくすんでいた。
パパは、『復讐の精』に殺されたと聞いた。パパはちょっと有名な冒険家で、世界中のいろんなところを旅してはそこのお土産を持ち帰ってきてくれた。そのせいなのだろうか、わたしは世界を知りたくてたまらなかった。隠されているものや人、精のことだって、謎を解き明かしてやろうと真剣に思っていた。だけど、もうその気持ちは消え失せている。世界が怖くてたまらない。パパが、冒険の途中で『復讐の精』に殺されたから。その旅に出る時、パパは何を探しに行くか教えてくれなかった。いつもは教えてくれるのだ。というか、パパの方から教えてくれる。海の向こうの大陸の秘境を見に行くんだ、とか、珍しい食べ物を持って帰ってくるからな、とか。パパはいつも楽しそうだった。だけど、その時は黙ったまま家を出ていってしまった。きっと金銀財宝よりも、この世のものとは思えないほど美味しい食物よりも大切なものを探しに出たんだろう。……その結果、運悪く『復讐の精』に出会って死んでしまったけれど。
おもむろにペンダントを手に取ってみる。小さなものだけれど、ずっしりと重みがあった。大げさでなく、命そのものが詰まっているような。
そこで、ペンダントに挟まれていた小さな紙に気づいた。こんなもの今まであったんだろうか。全く気づかなかった。パパの言葉が何かしら書いてあるかもしれない。そんな淡い期待をして、その小さな紙を引き抜いた。
そこに書いてあったのは。
「『復讐の精』に、一人じゃないって伝えてほしい」
それだけだった。それも、パパの字じゃない。パパはもっと崩れた字を書く。こんな綺麗に整った字は見たことがない。じゃあこれは一体誰が書いた?
グァァァッ!! ガゥゥゥゥァァッ!!
この鳴り止まない叫び声は、もしかして。
この叫び声が求めているのは、もしかして。
「この声って、『復讐の精』……?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます