釣瓶落としの後始末

智里

釣瓶落としの後始末

秋の日は、釣瓶落とし。あっという間に夜になる。

その夜はだれが呼んできて、次の日の朝はだれが持ってくるのでしょう。

これは、代々続く彼らのお話。


美保は井戸というものを初めて見た。9歳、平成終わりに生まれた彼女にとって井戸は昔話に出てくるもの。両親に連れられてあったこともない曽祖父の葬式へやってきたこの田舎で、初めて本物を目撃した。

美保はお通夜の料理が口に合わず、一人井戸のある裏庭へやってきた。季節は秋。そろそろ日が暮れてくる。母親から落ちると危ないからと近づくなと言われていた井戸だが好奇心旺盛な年齢にそれは無理な話であった。

今は使われていない古井戸のため、水は入っていない。そこには縄で繋がれたつるべだけが残されていた。いくら何でもこんな穴に落ちるはずがないじゃん。もう小3だよ?と内心思いながら井戸を見ていると上からカリカリと何かを削るような音がした。

上を見るとつるべの繋がっている縄をおそらくネズミと思われる生き物がかじっていた。

びっくりしてみていると、ネズミらしきいきものは美保に気づき「おや、ここの人間は亡くなったと聞いていたんだがね」というではないですか。

こういったときに順応できるギリギリの年齢、性格をしていた美保ですから「おおおじいちゃんのこと?」と聞き返した。

「ということはひ孫でいいのかな?こんばんは。私はハギ。よろしくね。」「美保です。」

「美保さん。驚かせてしまってごめんね。私たちの一族はつるべ落としとその後始末をする一家なんだ。ただただ縄を切ろうとしていたんではないんだよ」

「つるべ落とし?」

「今の若い子は知らないかな?この井戸についている桶をつるべと言って、これを落として後始末をしに来たんだよ。」

ハギはそういうとまた縄をかじり続けた。ハギはネズミのようだといったけど美保はネズミもほとんどいたことがなかったのでそうなのかな?と思ったのだ。しっかりした前歯と長いしっぽ、灰色ががった毛はふわふわとしている。


じっとハギを観察しているとついに縄が切れた。元々古い縄で風化もしていた。いつ落ちてもおかしくない上に危ないから撤去していてもおかしくなかったつるべがスルリと落下してく。底に落ちたつるべは、いい音で割れたようだった。

「これでつるべ落としは完了。井戸にもこの音で主が亡くなったことが分かってだろう。」

「どうしてこの桶…つるべ?を落としたの?」

「井戸には水の神様が宿るとされているんだ。その神様にもうこの井戸は終わりですよ。と教えて差し上げたのさ。神様も使う主がいないのにずうっとここにいると寂しいだろ?だからもういいんだよ。と知らせる為なのさ。」

「神様はどうなるの?」

「神様は元居た世界に戻られる。おうちに帰る感じかな。」

「それなら教えてあげたほうがいいね。」

そんな会話をしているとすっかり日が暮れる。縁側から母親の呼ぶ声がする。

「もう暗くて冷えるから戻っておいで。お昼ごはんろくに食べてないでしょ?子供たち向けにカレー作るから、お風呂入っちゃいなさい。」

それを聞いて「そうだね。秋の日はつるべ落とし。さっきのつるべみたいにお日様もあっという間に沈んでいく。人間は温かな家にお帰り。あとは私たちの仕事だから。」

ハギはそういうと、井戸の中に降りて行った。


カレーは中辛で、小3の美保には少し辛かった。明日の朝にはここを出る。きっと美保が二度とこないこの場所。さぼれてラッキーと思った学校も、思ったより退屈なこの場所にきて少し恋しくなっていた。さっきのハギとつるべの話。仲良しの結花は信じてくれるだろうか。私は本が好きで絵本みたいな出来事にドキドキしたけれど結花は絵本より、マンガや雑誌を読む方が好きみたい。結花の家でみんなで遊ぶとき、最近少し輪に入れない自分がいる。同い年で、同じように勉強して、同じような給食を食べているのに、私たちは全然同じものが好きじゃない。だんだんと憂鬱になってきた。本が好きな子はいるけれど、塾に行くような子ばかりだから放課後遊ぶ感じではないし、これから結花たちともっと、もっと違くなっていく自分が嫌で、怖くて、明日なんか来なければいいのに。そんなことを思いながら窓の外の井戸を見る。ハギはつるべを落とすのがお仕事。私は今は勉強とか友達と遊ぶのがお仕事。きっと大人の仕事と比べたらどっちもちっぽけだけど。それでも。私はハギの仕事がうらやましくて仕方なくなってきた。


夜。こっそりジャンパーを羽織り、庭の井戸へ行く。井戸の底に向かって小さくハギの名前を呼ぶ。井戸に呼び掛けた声は響いた。いくら仕事といってももういないのか。そう思って帰ろうとすると裏山にちいさな、ほんの小さな明かりが見えた。バレたら両親に怒られる。そんなことはするっと頭から抜け、その明かりを追う。それは蛍ほどの明かりだった。それが5つほど地面を動いている。そおっと近づくと、ハギによく似た生き物が5匹。彼らは美保を見ると慌てて明かりを葉っぱで隠して、自らも隠れるように逃げて行った。

美保は「こ、こんばんは。私怖いことしないよ?ハギを探しているの。知らない?」としゃがみこんで優しく小さな声で話しかけた。ハギの名前を聞いたからか、一匹が明かりを出して美保の前に出てくる。

「人間がハギに何用かい?」「え、えっと」言葉が詰まってしまった。特に目的などなかったのだから。ただハギがうらやましくて、明日が怖くて、こんな寒い中一人で出てきてしまったのだから。美保は戸惑い泣きそうになる。まだこの世に生まれて9年の美保にこの重い思いはあまりに消化できなかったのだ。

そこにのんきな声で「すまない。遅くなった。」と後からまた6匹が増えた。そのうちの一匹が「おやおや、美保さんじゃあないか。小さな子供がこんな時間にどうしたんだい?」

という。ハギだ。「あっ、あの…」言葉を詰まらせ目に涙を浮かべていると「ふうむ、なにやら訳ありかな?では特別だ。美保さん、私たちのもう一つの仕事を見せてあげよう。さっきは言い忘れていたけれど、私たちの仕事については内緒で頼むよ?」片目をつむってそういうハギは仲間にも了解を取り、美保を特別な仕事場へ連れて行ってくれるようだ。


裏山はそんなに高い山ではないが、美保や小さなハギたちにとっては上まで登るのにも一苦労。ハアハアと白い息を吐く美保にハギは「大丈夫かい?」「もう一息だよ」と励ましの言葉をかけながら一緒に頂上を目指した。


頂上。高くない山と言っても上まで来ると周りにほかに高いものは何もないので昼間ならばかなり見通しが良いだろう。ハギは美保を近くの岩に座らせ、ここで見ているようにという。

ハギたち小さな生き物は、明かりを並べてなにやらクルクルと回ったり片足を上げたりと不思議な動きをする。だんだんと統率の取れてきたそれは踊りのようだ。そして彼らは歌いだす。


秋の日は つるべ落とし

つるべがおちた つるべがおちた

秋の日もおちた 秋の日もおちた

ご先祖様が間違えて

お日様のひもも切っちゃった


秋の日は つるべ落とし

もうすぐ朝だ もうすぐ朝だ

秋の日はどこだ 秋の日はどこだ

ねぼすけお日様間違えて

起きる時間を忘れてる


楽しそうな歌声とともに踊る彼らは楽しそうだ。

すると彼らは真ん中におしくらまんじゅうのように集まっていく。

むにむにと灰色の塊は一つになる。そして明かりに照らされた灰色は色あせていき白くなり、やがて一匹のまねきねこくらいの生き物になった。


そのまま大きく跳躍し、空中へと舞い上がる。美保の方をちらりとみたその生き物はまあみてなってという表情をした。そして何もなかったはずの空中で何かをつかみ、地上へと降りてきた。「美保も手伝って。寝坊助を起こすよ。」それは縄のようなものであった。せーのと言われた美保は掛け声に合わせて運動家の綱引きを思い出して引っ張っていく。とても重く、先に何がついているのかわからない。不安でいっぱいの美保に白い生き物は「先が見えなくても、やってみると案外先ってさ簡単に見えてくるから。」という。

きれいな白い生き物はもう一度掛け声をかける。さっきよりおもいっきり引っ張ると先ほどよりも手ごたえがある。「さあ、未来を、明日を自らの手で!」せーのっ!

目を開けるとそこからは朝日が顔を覗かせた。

暗闇を照らすとてもまぶしい光。


下山しながら白い生き物は言う。

太陽には季節ごとに4種類神様が用意していると。そのうちの秋の太陽を引っ張る縄を自分の先祖がかみ切ってしまったと、だから縄のついていない太陽は自ら上ることはできるがゆっくりと沈むはずの時に引っ張ってくれる人もいないので丸いので滑り落ちてしまうのだとか。しかも一度落ちると秋の日は寝坊助なので中々上ってこないのだと。

だから先祖の失態を仲間とともに始末をつけているのだとか。さっき引っ張ったのは切れてしまって空までは届かない縄。この山からなら引っ張れる。

いつもは一人でやるから大変なんだ。ともいうだろう。


下山するとすっかり日は上り、朝になっていた。あんなに嫌だった翌日を自分で引っ張ってしまったのだ。


ふと生き物をみると元の11匹に分裂していた。それからハギが声をかけてきた。

「これにて僕らつるべ落としの後始末隊の仕事は完了さ。美保さん、どうかな?」

「どうって?」

「人間は太陽をみると元気になるって聞いたからさ。元気になったかなって。」

美保の心は寝坊助を引っ張ったときにもやもやも一緒に取っ払ったのかと思うほど晴れやかになっていた。

にこっと笑って「うん。私、すっかり元気になったよ。」というだろう。


幸いなことに母親は美保の靴の汚れに気づかず、朝に散歩していたという美保のとっさのウソを信じてくれた。

昼にはここを立つ。二度とこないはずのこの場所で美保は素敵な後始末隊を見た。

きっと大人になるころには忘れているかもしれない。

でも太陽はいつでも昇るだろう。

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釣瓶落としの後始末 智里 @chisato-san811

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