CASE3 - 黒翼
ジェリーズ・ダイナーはデイビッドの想像よりも近くにあったが、外装は先程のダイナーと違い70年代風どころか
「アンタ達は……」
店員に釣られてこちらへと振り向く警察達に向かって、二人は捜査官手帳の
「悪魔が出たと聞きました」
「話が早くて助かります。悪魔絡みの事件とのことで
「偶然付近に居たもので。運が良かったです」
アルバートはそう言うと、手帳のメモ欄を開いてボールペンをカチカチと鳴らした。店員の抑える腕には白いハンドタオルが挟まっているが、出血量は大したことがなかった。口にはしないが、想像よりも軽傷だ。
「それで、何があったんです?」
「信じちゃくれねえかもしれねえが……」
「我々には日常茶飯事です。笑いませんよ」
アルバートは宥めるようにそう言うが、店員の口から出た言葉はどの予想からも微妙にズレていた。
「……悪魔に在庫を盗まれた」
後ろで聞いていたデイビッドは怪訝そうにアルバートの顔を見るが、彼も同じく困惑していた。
「……悪魔が盗みを?」
「ああ。見ろよこの傷……」
店員の男の腕には鋭利な刃物で切り裂かれたような裂傷があった。
「悪魔による傷だから一応専門の医療機関への受診をお勧めしますが……何故このように?」
「倉庫に冷凍ポテトを取りに行ったらフードを被った子供がリュックサックに物を詰めててな。フライパンでブン殴ろうとしたらダッシュで逃げられたから追ったんだが……」
「悪魔だった、と」
「そういうことだ」
近頃、悪魔だと勘違いしたり悪戯で通報する人間が増えてきているのもありアルバートは若干疑いを持っていた。しかし職務の一環であり本当に悪魔なら対処しなければいけない。デイビッドも少し困惑した顔をしながら恐る恐る店員に訊く。
「えー……何故悪魔だと?」
「掴もうとしたらフードが脱げて……そしたら背中から黒い翼が生えてきたんだよ。顔は見てないな。振り向きざまに切り刻まれたよ」
「はい、黒い翼ね……ちょっと待ってくれ。黒い翼?」
黒い翼。義務的に聞き始めていたアルバートが即座に聞き返した。
「ああ。恐ろしかった。すぐにフードを被り直してそのまま逃げていったんだが――」
「どっちに行った?」
「え、あっちの方に……」
店員は、急に丁寧語が崩れるアルバートに多少困惑しながらも、大量のパイプとケーブルが壁に這う路地裏の奥を指差した。顔を見合わせた二人の捜査官は見解が一致する。
「助かった。こっちは警察に任せる!」
会話を中断させられ困惑する店員を無視して走り出すと道路上に電鉄の高架が通った路地に出た。二人は辺りを見渡す。アルバートはハンドサインで二手に分かれるよう促した。
「例の事件の悪魔なら相当危険だ。黒い羽根を見つけたら通信を入れろ!」
「了解!」
二人は見落とさないように早歩きへと歩調を緩めた。行き交う人々の声。車と電車の通過音が入り混じる。デイビッドは辺りを見渡した。入り組んだビル街の路地裏をくまなく探す時間はない。
「クソッ……これじゃ検討も付かない」
通行人の間を潜りデイビッドは大股で歩く。
その時、遠くで走り出した人影が見えたが、人混みの中に紛れ込んでしまった。一瞬のことだったが、あまり身長が高くないことだけは伺えた。デイビッドの考える悪魔のイメージからはかけ離れており、悪魔だという疑念はあまり感じなかった。
悪魔か? ただの通行人か? あれじゃ全く分からない、けど――
デイビッドに考える余地は無い。数秒の間逡巡し、迷いを捨て走り出した。通行人の間を潜り抜けて路地を駆けるが、それらしき姿は見当たらない。どこかの路地裏に隠れたのだろうか。
――気付かれたか?しかし、そもそも、血相を変えたスーツの男を見たら不安に思うのも当然であり、やはり全く無関係の可能性すらある。大通りを小走りで駆け抜けては左右を確認するが、先程の人影は見当たらない。
道行く人々は不安げな顔でデイビッドを見つめるが、気にする余裕等全く無かった。そんな中、デイビッドは通り過ぎようとした路地裏で何かが動いていた気がして踵を返す。
ゴミが散乱した路面を見ると、黒い羽根が落ちていた。
「デイビッド・サンチェスからアルバート・クーパー捜査官へ。黒い羽根と悪魔らしき人影を確認。場所は3番通り衣服店裏。後を追います」
「了解、
アルバートの応答にデイビッドはホルスターに片手をかける。ジャケットの隙間からちらつく拳銃を見た人影は咄嗟に走り出した。
「っ……! 待て!」
疑惑が確証へ変わった。
デイビッドも後を追う。子供とは思えないほどその足は速く、二人の距離を考えると姿を見失わないだけで精一杯だった。
路地裏を抜け横断歩道が見える。子供の影が渡り切ると運悪く信号は赤へと変わった。厳守している暇はない。車を静止しつつ罵声を浴びせられながら横断歩道を無視して駆け抜ける。向かい側の細い路地裏はL字になっていた。新聞のゴミを巻き上げ空き缶のゴミを踏み付けながら、デイビッドは全速力で走る。角を曲がると、子供の影は足を止めた。目の前に聳え立つコンクリートの壁。
――袋小路。捕らえられたネズミは、こちらに視線を流す。
「
慣れないなりの大声を出したデイビッドは、顔を見られないようフードを掴む子供の影に銃口を向けた。
少年だと思っていた子供は近くで見ると10代前半程の少女だと気が付いた。怪しいのは確かだが、本当にただの子供だったらと思うと恐ろしくて仕方がない。トリガーガードに指を置く他無かった。そもそも悪魔だとして、この力の弱そうな悪魔が
「こちらサンチェス。容疑者を追い詰めました。場所は先程の地点から1ブロック先、コンビニエンスストア裏」
「今向かっている! そのまま静止させろ!」
無線の先のアルバートは走っているようだった。緊張が走る。子供は掌をこちらに向け、ゆっくりと手を上げる。フードを深く被って顔を隠しているせいでその人相は掴めなかった。
「そうだ……そのまま伏せるんだ」
唾を飲み込み、中腰でにじり寄る。もし悪魔だとして子供の姿を撃てるのか? 今までの彼はそんなことを考えたことも無かった。現実と想像の風景が交差して数秒が永遠に感じる。少女はゆっくりと足を屈めて膝を付こうとした。
――次の瞬間。屈めた足をバネにして少女は壁へと跳んだ。明らかに人間の脚力ではない。答えは明白だった。
「悪魔っ……!」
トリガーガードに指を置いていたデイビッドは発砲が遅れ尽く外す。壁から壁へと跳躍し、室外機を足場にして少女は登っていく。素早い。悪魔の背中から翼が生え、姿を覆い隠す。
その時、背後で銃声が響いた。銃弾は悪魔の頬を掠め血が飛び散る。壁にめり込んだ銃弾は赤い稲妻を発してコンクリートにヒビを入れた。霊力を帯びている証拠。
高い霊力を持つ人間は物に自分の霊力を付与できること、そしてそれに該当しうる人間をデイビッドは知っていた。
薬莢が転がる音。振り向くと、アルバート・クーパーがそこに立っていた。
「そいつか!」
「クーパーさん!」
アルバート達は撃ち続ける。しかし硬化した翼は鉛の雨をガードし受け流した。黒い風のように動くそれは翼を振り下ろして黒い雨を降らせる。硬化した羽根の刃が狙う先はデイビッドだった。
「危ねえ!」
デイビッドを間一髪突き飛ばしたが、アルバートの腕に突き刺さり頬を掠めた。滴る血を見てデイビッドは自分が庇われたことに気が付く。
「っ……! クーパーさん!」
ビルの屋上へと辿り着き翼を広げる悪魔を見て、アルバートは力を振り絞った。
「悪魔風情が……」
デイビッドは戦慄した。ダイナーで一度聞いたあの低く悍しい声以上の冷たさ。その表情は殺意に満ちていた。血塗れになった腕を振り上げ悪魔に狙いを定める。悪魔は今にも羽ばたこうとしていた。アルバートは引き金に指を置き霊力を込める。劈くような音を立てながら、赤い稲妻が迸る。悪魔が空へと飛んだ瞬間、空気を切り裂く銃声を伴って、赤と黒の雷光が辺りを包んだ。
脇腹を銃弾が貫いた。
絶叫は少女の声と獣の声が重なったような不気味な音だった。悪魔は振り向き苦悶の表情を浮かべる。その顔を見たデイビッドは何かに気が付くと、一瞬手元が狂い追撃を外してしまった。悪魔は血を撒き散らしながら不格好に翼を羽ばたかせ飛んでいく。急所を免れたのか、まだ飛ぶ余力は残っているようだった。
アルバートは追撃しようとするが腕が上がらない。
「クソ……」
「……! クーパーさん!」
雨が降る。デイビッドは怪我を負いよろめくアルバートを支える。
悪魔の姿はもう見えなかった。
鳴り響く轟音と小刻みな揺れで目を覚ました。歪みまくったギターと地響きのようなドラム。アルバートは、こういう曲を好む男を一人知っている。
交差点に差し掛かり、ダッシュボードから高熱を帯びたシガーライターが飛び出す。運転手は、咥えた煙草の先端にシガーライターを押し当てた。隣に座るデイビッドはアルバートが起きたのに気が付いた。
「クーパーさん!」
「こちらの車両は
揺らめく煙の中、ミラー越しにガタイの良い男が笑う。
「お前、エドか……」
ツーブロックの金髪はワックスで荒々しく自立している。流れるスラッシュメタルも彼の豪快さを表していた。エドこと、同期のエドモンド・ブリック捜査官だ。
「無線で応援を求めたらブリック捜査官が駆け付けてきてくれたんです。お知り合いだったんですね」
エドは単独行動を好む遊撃手的立ち位置の捜査官だった。彼のフットワークに助けられたのだ。
「そうだぞお、感謝しろ。この俺様の手を煩わせるとは良い度胸だなあアルバート。しっかしよお、こんなにボロボロになってるのなんて久々じゃねえかあ、おい」
「うるせえな。何でちょっと嬉しそうなんだお前……」
アルバートは経験の違いからか平然としていたが、デイビッドは悔しさと不甲斐なさで打ち震えていた。
「クーパーさん……すみませんでした……! 俺のせいで悪魔を取り逃がして、怪我まで……!」
デイビッドは足の間で手を組み、俯きながら歯を食いしばった。自罰的に握られた両の手は、痛い程に力が籠もっている。アルバートは一旦何か考える素振りを見せると、何か思い付いたようでニヤついた。
小気味のいい音と共に、背中に痺れるような痛みが走る。
「痛っ!」
「ブッ……ハハハッ! 痛そうだなあ!」
エドもミラー越しにそれを見て吹き出した。
「これでおあいこでいいか?」
アルバートは悪戯っぽく笑い、デイビッドの背中を叩いた手の平を見せた。真面目な声色に変わり話を続ける。
「あのな、撃てただけ上出来だ。気に病むんじゃねえ」
「しかし……! あの姿を見て、無意識に引き金に指を置けなかった上、最後も絶好のチャンスを逃した! 俺の甘さがミスを生んだんです……!」
エドは久々に見る新人の生真面目な様子にクスクスと笑い、アルバートは顎に手を起き一息付いて口を開いた。
「うーん、まあそれはそうかもしれないがな。見つけたのはアンタだろ? それが無ければ撃つもクソも無かったんだぜ。よくやってくれたよ」
少し甘くも聞こえるが、確かに言う通りだった。アルバートは続ける。
「奴は手負いだ。手掛かりも掴めた。今日中になんとかすりゃいい。怪我を直してからが捜査本番だ」
彼も同じく手負いであり、決して軽傷ではない筈だが、その眼は本気で今日中に追い詰めるという意志を孕んでいた。エドは後部座席に目配せすると「お前ならそう言うだろうな」という顔でニヤニヤと笑った。
「それに、アンタが最後気を緩めたのも仕方ない。見たんだろう? 奴の顔を」
車内の空気が変わるのを感じた。タバコを灰皿に押し付けると、エドも口を固く締めて聞き耳を立てた。
デイビッドも光景を思い出した。
「あの顔は……!」
「そう。俺も目を疑ったよ。あの顔は――」
アスファルトに雨が打ち付ける。二人は確信に迫ってきていた。
「――誘拐されたソフィア・セイヤーズとそっくりだった」
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